水底のアンバー

上念ブン子

第1話 


   プロローグ


 少女が水槽の中の熱帯魚に気が付いた。

「ねぇ、ママ見て。お魚さんがいるよ。綺麗だね」

 ブルーに光る四角い水槽の中で泳ぐのは三匹の赤橙色をした熱帯魚。

「これはね、キンギョハナダイっていうお魚なんだよ」

 目の前に座る白衣を着た男が、少女に笑みを浮かべながら答えた。

「キンギョ……?」

 少女は後ろに立つ母親の顔を見上げる。

「雌性先熟雌雄同体って言って、生まれたときはみんなメスなんだけど、成長して大きくなるとオスに性転換するんだ」

 白衣の男の言葉に、更に少女は困惑した表情で、

「しせい……?」

 と首を傾げた。

「へぇ、そんな魚がいるんですねぇ」

 母親は物珍しそうに水槽の熱帯魚を見つめる。

「ママ、お魚さん飼いたい」

「それよりもまず風邪を治さないとね」

 白衣の男は微笑みながら少女に言った。

「頑張ってお薬飲むんだよ」

 少女は笑顔で頷いた。




 青年は水の中で漂っていた。

 もうかれこれ数分間は潜っているだろうか。

 くるりと何度か体を反転させながら、ヒレの様に長い脚を動かして水中を泳ぎ続ける。

 こうしていると心が落ち着く。

 水中で目を開きながら、上から注ぐ陽の光をぼんやりと歪む視界の中で見つめた。

 青年は思い出す。

「よく言ってる意味がわからないんだけど」

 そう言って目の前の彼女は顔をしかめた。

「だから……子供の頃は女の子だったんだよ」

「女の子の格好をしてたってこと?」

「そうじゃなくて、本当に女の子だったんだ」

 彼女は冷めた表情で目を細める。

「なんか……あなた気味が悪いわ」

 そして彼女は去って行った。

 青年は水の中でくるりと方向転換をする。そしてまた思い出す。

「女だった?」

 年上の彼はバカにしたような声で問いかけた。

「そうだよ」

 その男は目の前にいる若い青年の背中を抱いた。

「お前が俺の女だってことは知ってたけど」

 耳元で甘く囁く。

「そう言う意味じゃなくて、真面目な……」

 男は青年の剥き出しの白い背中を抱き、その後ろに熱を帯びた太い手を這わせた。

「こんな時に冗談話なんて趣味が良くないぞ」

「冗談だなんて……」

 男は青年の体内に指を差し入れる。

「こういうことだろ? お前は淫らなメスだって」

 青年の抵抗の言葉はそれ以上出てこなかった。


 水の中で漂い続ける。

 もう誰もいない。

 自分は一人ぼっちの熱帯魚だと。


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