第3話 三人寄れば……?


 土筆の部屋に現れたのは、父の権大納言 花房資親はなぶさ すけちかだった。


「お邪魔しております。」


 時峰がサッと頭を下げ、資親がそれに応じると、「どうぞ楽にしてください。」と、自身も時峰の隣に胡座をかいた。


「時峰殿がいらしていると聞いて、顔を出したのです。」

「私に御用でしたか?」


 なんでしょう、と両眉を上げた時峰に、


「ちょっと……意見を聞きたいと思いましてね。」


 資親が、座った拍子に皺の寄った袴の裾を、直しながら言う。

 時峰は、土筆のいる御簾を一瞥してから、


「意見……というのは、例の?」

「えぇ、邸に入った強盗のことです。」


 土筆は、父がわざわざ時峰に聞くために、この部屋を訪れたということに驚いていた。

 時峰が、口元に手をやって、言葉を選ぶように慎重に尋ねる。


「もしかして、北の方殿が目撃談を変えた……という話のことですか?」

「もう聞いていましたか。」


「先程、タマさんに。灰汁色の着物ではなく、白だと言ったそうですね。」


「えぇ……そうなんですがね。」


 悩ましげに、眉間を指でコンコンと叩いた父に、何かあるとピンときた土筆は、「あの……」と、躊躇いがちに、二人の間に口を挟んだ。


「北の方さまは、なぜ証言を変えたのでしょう? いくら夜とはいえ、灰汁色と白は、見間違える色ではないかと思うのですが……。」


 白と灰汁色の着物の違いは、単に色だけではない。

 着る人の身分が違うから、生地や作り、着こなしーーー要は、着ている人間の様相そのものが全く異なるはずなのだ。


 土筆の言葉に、父が頷き、


「そうなのだ。実は私も、本当に単なる見間違えたのだとは思えないから、ここに……時峰殿と、意見を聞きに来たのだよ。」


「エッ?! 私にも……ですか?」


 土筆は戸惑い、「どういうことでしょう」と尋ねる。

 父は、「そうだな……」と呟くと、


「まずは、事件のあらましを、順を追って話すのが良かろう。」


 と、事件の発端から、北の方や検非違使たちから聞いた一連の話に至るまで、時系列に沿って話し始めた。



「事の起こりは、20日程前だ。暑さが和らぐ季節を狙って、笑み少納言の息子たちが、熊野詣に出かけた。」


 これは、もともと春先から計画されていた事だったという。

 少納言の息子は、とうに元服して宮中に出仕しているが、予め所々調整をし旅程を練ったうえで、旅立った。


 笑み少納言と北の方の間には、息子の他に、娘が一人いる。裳着を済ませたばかりの未婚の娘だという。


「それで、滅多にない機会だからと、息子殿だけではなく、その娘と、他にも希望する使用人たちは皆、ついて行って良いということになったらしい。」


 熊野詣は、紀伊の国にある熊野三社を巡る旅で、何代か前の上皇が行ってから、ちょっとした流行りブームになった。


 しかし、京から熊野に行くのは、決して楽な旅ではない。

 まず淀川を船で下り、それから海岸沿いの陸路を行く。旅程は、最短で20日程度、余裕を持つなら一月はみておきたいところだろう。


 それだけ長期に亘る旅行は、多くの者たちにとっては、一生に一度行けるかどうかだから、ほとんどの使用人たちーーーそれこそ、体力や健康に難のある者以外は、こぞって付いていく事になった。


 屋敷に残されたのは、少納言と北の方の他には、年嵩のいった者や虚弱で体力に自信のない者、怪我人など、行くのが困難と判断した、ごく少数の者だけだ。


「少納言は普段、ニコニコしていて穏やかだが、身体つきは大柄で、腕っぷしも悪くない。」


 いざとなれば頼りになる男。何も問題ないだろうと、皆、特別な心配はしていなかった。


 一行が無事に旅立ったあと、息子たちのいない数日は、何事もなく過ぎた。


 そして20日程が過ぎた日の晩、事件が起きた。


「北の方の話によると、その晩も、いつもと何ら変わりはなかったそうだ。」


 雲の少ない、三日月夜だった。


「笑み少納言は、皆のいない気楽な期間だからと、息子たちが旅立ってからは、夜毎、晩酌をしていたようで、その晩も、一人で庭でも眺めながら酒を飲むと言っていたらしい。」


 それで北の方は、自室である北の対屋で、一人先に休むことにした。


 音がしたのは、横になっていた北の方がウトウトと眠りに落ちかけた頃だった。


 ドタン、バタンという激しい音がして、驚いて起きあがった北の方は、夫のいる主殿の方へ駆けつけた。


「北の方は、一人で少納言さまのところまで行ったのですか?」


 土筆が確認を挟むと、父が「一人で行ったそうだ。」と答えた。


 共もなく、たった一人で飛び出した。土筆なら有り得るだろうが、見たところ北の方というのは、そういう勢いで行動する性格には見えないのだが。


「北の方が主殿に着いたときには、音は止んでいた。だが、塗籠ぬりごめの扉が開いていたので、気になって中に入ると、少納言がうつ伏せに倒れていたそうだ。」


 父は続きを、やや言い淀んでから、


「……そして、塗籠の壁一面には、激しい刀傷があった。」


 相当に激しい傷跡で、中には深く抉られるようなものも散見されたという。


「あの……少納言さまは、どのようにして、お亡くなりに?」


「喉を一突き、と聞いている。」


 後で見た検非違使たちが言っていた。絶命しているのは、ひと目で分かった、と。

 間違えのようのないような死に様だったから。


 夫の姿を見て、驚いた北の方は、叫び声をあげた。

 それで、ようやく家のものたちが起きてきたという。


「ようやく………」

「仕方ない。何せ、気の利く者たちは皆、息子について行っていたのだから。」


 主人の変わり果てた姿を見た使用人たちは、震え上がったという。


「それから隣の屋敷に助けを求め、検非違使が来たのが卯の刻だ。」

「卯の刻?」


 土筆は一瞬、聞き間違えたのかと思った。


「あの……卯の刻というと、明6ツ(※朝5〜7時頃)ですよね? もう、空が白んでくる頃ではないですか。一体、強盗は、いつ頃入ったのですか?」


「おそらく子の刻あたりだろう、と。」


 子の刻というと、日の変わる0時頃。


「検非違使が来るまで、随分と時間が空いているように思いますが……」


「外に人を呼びに行かなくてはならないのは分かっていたが、あまりに恐ろしい出来事に、誰も暗い最中に家を出る気になれなかったのだそうだ。日の昇る卯の刻まで、少納言邸の者たちは一処に身を寄せ合って、震えていたらしい。」


 それもこれも、頼りになる使用人がいなかったという不運のせいか。


「事件が起きたのが子の刻あたり……というのは、間違いないのですか?」


「その日の晩、たまたま付近を警邏していた検非違使たちがいてな。子の刻頃に、何かが割れるような音がしたというのだ。」


「何かが……割れるような音?」


「音は一回きりで、あとは静かだったから、検非違使たちは、そそっかしい使用人が食器か壺でも割ったのだろう、と思ったらしい。」


 割れるような音というのは、どういうことだろう。何故、それが強盗と繋がるのか。


「刀の打ち合う音ではなく、物が割れる音で間違いないのですか?」


 土筆が念を押して、確認すると、


「北の方が言うには、逃げる男の足が壺にあたって割れたから、その音だろう、と。」


 男は走り去る際に、置いてあった壺を蹴った。それで転がった壺が割れたというのだ。


「実際、その話を聞いた検非違使が、すぐに確かめに行ったところ、主殿の簀子の真下の地面に、割れた壺があったそうだ。」


 当たった壺が簀子から転がり落ち、割れた。

 そして、壺は北の方の証言通りに存在していた。


「では、北の方さまが逃げていく男の姿を見たのは、そのときなんですね?」


「あぁ、そうらしい。」


 やって来た検非違使が、「強盗が、どういう人間だったか見ていませんか」と問うと、北の方が、「みずぼらしい灰汁色の着物を着た男が、簀子から飛び降り、庭から逃げていくのを見ました。」と答えたのだそうだ。


「自ら話したのではなく、問われて答えた………?」


 北の方は、強盗を見ていたのに、何故すぐに言わなかったのだろう。

 普通なら憎き男を、すぐにでも捕まえてほしいと思わないか?


 気が動転していたから?


 いや、それ以前に、誰か一人でも怯懦を抑えて、すぐにでも助けを呼ぶべきだった。そんなにハッキリと強盗の姿を見ているのなら、逃げ出した直後なら、捕まえられた可能性も高かったろう。


 それとも、実際にそういう場に遭遇してしまったら、やはり怖くて動けなくなるのだろうか。


 そして何より気になるのは、北の方が、今日、犯人に関する重要な証言を覆したことだ。


 着物の色は灰汁色ではない。

 しかも、よりによって白。


「それでは何故、北の方は、その証言を変えたのでしょう?」


 灰汁色と違い、白の着物など、限られた人間しか着ない。


 嘘か、真か。


 嘘ならば、何故、白なのか。

 真ならば、どうして、今になって言うのか。


 すると、父は、


「それはな………」


 ここから先こそが本題なのだ、と言わんばかりに、グッと息を溜めてから、一気に吐き出すように、


「それは、おそらく、白い着物の男が、以前から少納言邸に出入りしていたことについて、検非違使が北の方に聞いたからだろう。」


「白い着物の男?」


「あぁ。白い着物で、、だそうだ。」


「えッ!?」

「な………?!」


 土筆と時峰が同時に声を上げた。


「……なんと、おっしゃいましたか?」


 土筆は、頭をガンと殴られるような強い衝撃を受けた。


 白い狩衣に、狐面。

 思い当たる人間は、一人しかいない。


「それって………ーーー」


 土筆は、ゴクリと唾を呑み込んだ。

 父が御簾と時峰の顔を交互に見て、「おそらく、そうだろう。」と、頷く。


「二人が考えた通り、笑み少納言邸に出入りしていた男は、狐笛丸である可能性が高い。」


 狐笛丸。その正体はーーー


「橘……貴匁。」


 やはり、あの男だった。

 白い着物の正体は、あの男だったのだ。


 あの正体不明の危険人物が、亡き少納言と何か関係があったということだ!


「『狐笛丸』という人間の怪しさは、ごく一部の者にしか知られていない。」


 呪力のフリして毒薬を振りまく陰陽師の存在など、下手したら、本物の陰陽師や僧たちへの信頼を揺るがせかねないからだ。


 あの土筆の事件の後も、誰がどこで、どう情報を抑えているのか、狐笛丸は近衛や検非違使庁のごく限られた人間だけに知られた存在だった。


「狐笛丸が笑み少納言邸に出入りしていたことが、どういう経緯で発覚したのかは定かではない。だが検非違使の一人が内々に掴んだ情報として、北の方に確認したのだ。」


 笑み少納言のところを時折訪ねていた、白い狩衣に狐面の男のことを知らないか、と。


「それで、尋ねられた北の方さまは、何と? 何とおっしゃったのです?」


 父は、頭を軽く左右に振った。期待するような答えではないぞ、と言わんばかりに。


「北の方は、『知りません。』と、短く答えただけだった。」


 タマが言っていた、北の方が聞かれたことというのは、このことだったのか。

 確かに、近くで様子を見ていたタマも、その後、何も変わった様子はなかった、と言っていた。


 にも関わらず、検非違使の去り際に、強盗に関する目撃談を変えた。


 それは、何故だろう。


 そして、そもそも橘貴匁は、何のために少納言に会っていたのか。

 何か、用事があったとして、あの怪しい陰陽師に頼む用事とは、一体何か。


 北の方は、本当に貴匁が出入りしていたことは知らなかったのか。


 それとも、誰かを庇って嘘をついている……ーーー?


 と、その時、


「土筆姫?」


 急に名を呼ばれ、驚いて「は……はい?」と答えると、時峰が、


「姫は、狐笛丸が犯人だと思いますか?」

「……え?」


 答えに詰まる土筆に、時峰がもう一度聞いた。


「どうでしょう? 狐笛丸が、この強盗騒ぎのーーー少納言殿を殺した犯人だと、思いますか?」


「え……えっと………」


 橘貴匁は以前から少納言邸に出入りしていた。

 だが、だからと言って、貴匁が少納言を、強盗を装って刀で殺害したと思うか。


 時峰に改めて問われ、土筆は少し冷静になった。

 落ち着いて状況を整理して考えてみる。


 この凄惨な事件と、橘の木の上にいた、どこか浮世離れした男のことを。すると、自然に出た答え。


 それはーーー


「違う……と思います。」


 多分、橘貴匁が出入りしていたことは、何かあるのだろう。あの男が、単に遊びに来ていたはずがない。

 だが、だからと言って、貴匁は今回の事件の犯人ではない。


 刀で打ち合い、喉を突く。あの男なら、そんな殺し方はしないと思うのだ。


「では、やはり強盗の仕業だと思いますか?」

「強盗の………仕業…かしら?」


 強盗の仕業。


 塗籠にあったという、無数の刀傷に、喉を一突きされた少納言。


 確かに、その非道さは、強盗の成した事のように思えるのだか………ーーー


「北の方殿、ですか?」


 答えあぐねている土筆の代わりに、時峰が尋ねた。


「気になるんですね、少納言の北の方殿が。」

「………はい。」


 口にして良いかと悩んでいたことを問われ、土筆は素直に認めた。

 すると、時峰も「私も少し気になっています。」と、土筆に賛同した。


「北の方殿の言動は、どことなく引っかかります。一つ一つの状況と説明は、辻褄が合っていますが、全体を通してみると、やや行き当たりばったりで不自然な感じと言いますか……。」


 そうだ。

 そうなのだ。


 確かに、北の方の話したことは、急に変えた着物の色のことがなければ、一応の説明はついていた。


 検非違使を呼ぶのに時間がかかったことも、逃げた男と割れた壺のことも。


 だが、その実、北の方の話している内容は、全て検非違使に聞かれ、それに合う答えを告げているだけのような気がするのだ。


「北の方さまは、他の方たちが駆けつけてから、夜が明けるまでは、ずっと皆と一緒にいたのですか?」


 土筆が尋ねると、父が


「そう聞いている。」


 答えてから、補足するように、


「途中、しばらく気を失っていた時間もあったようだが、皆、一緒に北の対屋にいたらしい。」


 そう言って、溜息をついた。


「二人は、北の殿が犯人だ……と考えているのだな?」


「いえ、あの……決して、そういうわけでは……」


 土筆が慌てて否定しようとしたが、


「よい。」


 資親は、片手を上げて、それを制した。


「実は私も、かの人の言動には思うところがあったのだ。」


 それも、ここに……時峰と土筆の二人の意見を聞きに来た理由の一つだからな、と父は言った。

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