第4話 時峰の証言によると


 几帳の向こうにいる姫は、時峰ときみねの想像以上に話に食いついてきた。

 怖がるどころか、もっと詳しく聞きたいという。

 それで、求めに応じ、時峰は、夕星ゆうづつ姫のところを訪れたときのことを話し始めた。



*  *  *


 そもそも、結婚して都を去った夕星が、人知れず戻ってきたらしいという噂を、時峰が耳にしたのは、偶然だった。


 宿直とのいをしていた時に、誰かが時峰に、「お前はさかしい女が好きだろう? 夕星姫はなかなか教養のある人だって聞いたぜ。」と、囃してきたのだ。


 時峰は、結婚前の夕星を知っていた。

 何度か、文のやり取りをしたこともある。確かに控えめな性格で自分からは話さないが、口を開けばハッとするほど色々な事をご存知で、趣味の良い方だった。


 結婚を機に、文のやり取りも途絶えていたがーーー


「そうか。夕星姫が、都に戻られているのか……」


「俺はむしろ、妹の……明星あかぼしだっけ? ……のほうが明るくて、可愛らしくて、好みだったなァ。お父上が亡くなられてから、とんと噂を聞かなくなったね。今は、姉妹で右京にいるらしい。」


 それならばと、時峰は、早速、文を差し出し、会いに行った。


 別に、艶めいた下心があったわけではない。

 全くなかったというと嘘になるが、かつては華やかな暮らしをしていた姉妹だから、何か困っているようなら、というような義侠心だった。


 夕星、明星姉妹の住処は、右京の二条にあった。

 それも、朱雀大路から随分と離れている。おそらく、庭まで手入れをする余裕がないのだろう。屋敷は、背の高い草花に覆われるようにして、建っていた。


 真ん中に母屋、東西にそれぞれ姉妹の部屋があるだけの簡素な造り。母屋と各部屋は、渡殿わたどの(渡り廊下)で繋がれている。


 屋敷に入ると、どこからかことの音がした。


「お上手な箏だね。これは夕星ですか?」


 取次に出てきた、年老いた女房に尋ねると、


「いえ、これは、妹の明星姫でございます。夕星姫は、もともと琵琶の方がお得意でして。箏は都を下がるときに、全て処分いたしました。」

「へぇ! 琵琶を? 女性にしては珍しいね。それは是非、お聞きしたいものだ。」

「男の方が出されるような派手な音ではございませんが、それは、もう大層お美しい音色ですよ。」

「姉妹で一緒に演奏することもあるのかな?」


 すると女房は、やや気まずそうな表情を浮かべた。


「昔はありましたが、夕星がこちらに戻られてからは……」


 今は、姉妹の関係があまり良くないのかもしれない。


「ここには、夕星、明星と貴女の他には誰が?」

「明星姫にも侍女がおります。若い女です。それと、小間使いの下男が出入りしております。」


 食事や生活に係る雑事は全て、この二人がしてくれるらしい。


 時峰は女房の案内で、夕星と対面した。対面と言っても、御簾ごしだ。


 彼女はかつてと同じように、教養高く、風流な人だった。会話は尽きず、それなりに楽しめた。


 ただ、時峰は、恋愛感情は抱かなかった。


 おそらく、夕星の方も同じだろう。あるいは、自分は離縁された出戻りであるという立場から、あえて一線を引いていたのかもしれない。


 ともかく、時峰と夕星は、その日から、良い友人となった。


 時峰は、何か困ったことがないかと、折に触れて、着物や食べ物を贈った。また、話し相手として、時折、屋敷を訪れた。


 その間、妹の明星姫のところに来ているらしき牛車を何度か見た。


 忍んで来ているのか、いつも、目立たぬ草木の陰に隠れるようにして停めてある。

 その牛車が、毎回同じでないことにも、時峰は気づいていた。


 華やかで可愛らしい姫だというから、通う男もいるのだろう。御簾の下から手を伸ばして誘う、甘え上手だと聞いたことがある。


 時峰は、あまり、そういう女は好みではなかった。

 だから、下手に関わり合いにならないように、東の部屋には足を踏み入れないようにしていた。


 結局、初めて明星の部屋を訪れたのは、夕星が亡くなったことを知った日だった。


 その日、時峰は、久々に夕星の屋敷を訪れた。前回から三週間ほど空いてしまったのは、たまたま忙しくしており、なかなか会いに来ることが出来なかったからだ。


 いつもなら母屋に老年の女房が迎えに来るのに、その日は誰もいなかった。

 事前に文を出したはずだが読んでいないのか。


 家敷があまりにシンと静まり返っているのが気になって、時峰は、渡殿を通って、夕星の部屋に向かった。


 その時だった。


「痛ッ!!」


 何かを踏んだ。


 時峰は、左足を持ち上げ、踏んだものを指で摘んだ。小さな木片のようなものだった。


 それを袖口に放り込んで、夕星の部屋の前で、来訪を告げた。


「夕星姫? 私です。近衛中将、藤原時峰にございます。」


 しかし返事がない。

 それどころか、人の気配すらない。


 迷ったが、「入りますよ?」と、声をかけ、中に足を踏み入れた。


「夕星姫……?」


 部屋の中には、誰もいなかった。しかも、いつにも増して物がなく、ガランとしている。


 元々、あまり物のない部屋ではあったが、それでも、これ程ではなかった。


 御簾があげられ、一つだけ有ったはずの几帳も見当たらない。衣紋掛けにも、着物はかかっていない。几帳にかけられていたはずの布が、丁寧に折り畳んで部屋の隅に置かれている。

 まるで人の気配がない部屋だった。


「これ……は?」


 急な引っ越しでも、あったのだろうか?

 何か良い縁があったのなら良いが、それにしても、時峰に何も言わずに去るとは……


 その時。カタリという音が背後からした。


 振り向くと、あの年老いた女房。


「中将……さま……?」


 女房はなぜか、青白い顔で震えている。


「ほう。お前は残っていたのか。夕星はどこかに移ったのかな?」


 すると女房は、床に座り、両手をついた。頭を擦りつけんばかりに下げて、


「も……申し訳……申し訳ございませんッ……」


 明らかに、普通ではない。


「夕星に何かあったのか?」

「夕星姫は……一昨夜半に、身罷りました……」


 驚きのあまり声が、出なかった。


「夕星姫が……亡くなられたのか……突然……?」

「えぇ。えぇ。突然でございました。」

「夕星姫が亡くなった理由を聞いても?」

「それは……その……」


 女房はモゴモゴいうばかりで、要領を得ない。


「よく分からないな。」


 これでは、埒が明かない。


「明星姫に会えないか?」


 女房がギョッと目を剝いた。


「明星……姫様ですか?」

「えぇ。夕星の妹の。」


 ずっと避けていたが、今はそういう時ではないだろう。


「いえ、しかし……あの…」


 しどろもどろする女房に強く言って、明星との面会を了承させた。


 明星の部屋は、夕星に比べると、物が多い。勿論、贅を尽くした姫たちに比べれば、大したことはない。それでも、男からの贈り物だろうか、着物や調度類がいくつかあり、また、几帳の柄も華やかだ。


 華やかだがーーー僅かな違和感。美しい絵巻物に一滴、墨を垂らしたような……。

 いや、不幸な出来事のせいで、部屋全体の雰囲気が沈んでいるからそう見えるのだろう。


 女房によると、明星は御簾の向こうにいるという。


「初めてお目にかかります。近衛の中将、藤原時峰と申します。」

「………」

「お姉様の夕星姫とは、良き友人でございました。」

「………」


 本当にいるのかと疑いたくなるほどに、静かだった。


「あの……夕星姫は…」

「夕星は、亡くなりました。」


 夕星よりは少し高いが、思ったよりも張りのある、凛とした声だった。やはり姉妹だ。どこか似ている。


「それは、聞きましたが、あの……事情をうかがっても……?」

「夕星は、物の怪に命を喰われたのです。」

「物の怪に……?」

「朝起きたら、息絶えていたのです。私たちは、何も存じ上げません。」


 取り付く島もない。時峰は尚も食い下がって質問しようとしたが、


「私たちは……間もなく、ここを出ます。どうか、貴方も、二度とここには来ませんように………」


 先程とは違い、どこか息苦しそうな、絞り出すような言い方が気になった。


「あの……それは、どういう?」


 しかし明星は、それ以上は、何も答えなかった。

 代わりに、御簾の向こうから啜り泣くような声が聞こえる。


 女房が側にやってきて、


「明星姫は、もうお話にはなりません。どうぞ、中将もお引取りください。」

「明星は、ここを去るのか?」

「えぇ。結婚が決まっておりまして。夕星姫のことがなくとも、早晩、こちらを出るつもりでした。」

「お前は? どうするのか?」

「私は………」


 言葉を切った。沈んだ声で、


「他に行く宛もございませんので、明星姫と……」

「……そうか。」


 父が健在の頃から、姫たちの面倒を見てきたと言っていた。今更、離れることは出来ないのだろう。


「明星の侍女も、か?」


 その言葉に、女房が突然、キッと目を釣り上げた。かと思うと、


「あの女のことは、存じませんッ!!夕星さまのことがあってから、とんと見かけませぬ。」


 ハッハと息巻く。


「見かけない?」


「あの女も物の怪に喰われたのでございましょう? いえ、ひょっとしたら……小間使いの男も一緒に消えたから、二人で共謀して、亡き夕星さまの金品を……」


「やめなさい。」


 御簾の向こうから、叱責する声。


「憶測で、物を言ってはダメ。死者を……侮辱するようなことも。」


 死者を侮辱というのは、金品を奪うと言ったことだろう。男好きな姫という噂だが、案外、信心深いところがあるらしい。


 女房も、明星の叱責に、「申し訳ございません。」と謝った。


「夕星の遺品で、何か失くなっているものがあるのですか?」


 時峰は親切心から尋ねたのだが、


「…………わかりません。私どもは、姉の持ち物を把握しておりませんので。」

「もし良ければ、その二人を探しましょうか? その……何か、夕星姫の大切な物を持ち出されているといけないから……」


 金目の物があるなら、この不運な姫に返してやりたい。しかし、明星は、短く。


「いえ、結構です。」


 もう関わり合いになりたくないから、探さないでくれと、素気なく言う。


 それで、これ以上、出来ることはなさそうだと判断した時峰は、二人に、何か困ったことがあった場合はいつでも頼るよう伝えて、屋敷を出た。


 ちょうど、夕日が落ちる時分で、対屋から左右に伸びた二人の部屋が橙に染まる。


 片方の部屋の主はもういない。

 そのせいか、実際には均衡のとれた作りの屋敷が、酷く歪な恐ろしいもののように心に迫ってくる。



 牛車に乗り込もうとすると、みずぼらしい身なりの、頬の痩けた男が、こちらを見ているのに気づいた。男は、時峰の腕ほどの長さの赤褐色の木の棒を数本、抱えていた。


 その表情が妙に気になって、時峰は男を呼んだ。


「何で、こちらを見ていた?」

「……貴方様は、近衛中将様でしょう?」


 男は、思わず頬がニヤニヤしてしまいそうなのを必死に抑えているかのように、引き攣った顔をしていた。


「いかにも。」

「夕星姫のところにお通いで?」

「通っていた、というと語弊があるが、まぁ、良き友人だった。」

「そうですか……」


 頬がピクピクと動くのが不快だった。


「お前はここで、何をしていたのだ?」

「あっしは、ここの者に頼まれて、姫様のご遺体をお運びしたので。」

「ご遺体を?」

「左様。墓地に弔い、お部屋の片付けまですべて。」

「そうか、それはご苦労だったな。物の怪の仕業だとか言うから、きっと恐ろしかっただろう。」


 すると、男が「ヘッ」とつばを吐いた。


「物の怪の仕業? いや、そんなことは、ねぇですよ。」

「……どういうことだ?」

「首に紐の痕がありました。ありゃあ、物の怪なんかじゃねぇ。生きた人間の仕業だ。」


 男は、大げさに自分の首を締める仕草をした。


「首に紐……下手人は、誰だ?」


 男が肩を竦めた。


「存じ上げませんよ。あっしは、てっきり……」


 意味ありげに時峰を見る。つまり、先程の不躾な視線は、そういうことか。


「私を疑っていたのか?」

「いえ、別に……ただ近衛中将などという、ご立派か方が頻繁に、この朽ちた姫の元を訪れていて、その姫が亡くなったんだなぁと思っただけでさぁ。」

「……もういい。」


 確かに、他に通うような者のいた気配はなかった。好奇の目で見られても仕方がない。


「私は何もやってない。夕星が殺されたことすら、たった今、知ったのだ。」

「へぇ。左様ですか。」


 男はあまり時峰の話を信じていないようだ。


「夕星の死に様、お前の他に知っているものは?」

「あっしと、他に、この近くの村に住む3人の男で亡骸とお部屋の片付けを。」

「その男たちは、お喋りか?」

「さぁ、どうでしょうね? あっしと同じくらい、口が固いかと。」


 ダメだ。

 全く信用できない。


 おそらく、すでに噂になっているのだろう。男の目は、少しでも時峰から話を引き出してやろうという好奇心に満ちていた。


「わかった。ありがとう。」


 時峰は、余分なことを話さないほうが良さそうだと、男に礼を告げた。


 後味の悪さだけを残して、屋敷を去った。



*  *  *


「と、いうわけなんですがね。」


 時峰は、御簾の向こうにいる、花房家の姫に言った。


「なるほど、よく分かりましたわ。」


 姫は、聡明そうな声で応えた。


「一つ伺ってもいいかしら?」

「なんなりと。」

「夕星姫の部屋の前で踏んだものって、何だったのかしら?」

「覚えてましたか。」


 記憶力もいい。しっかり話を聞いていた証拠だ。


 時峰は、あのとき拾ったものを、袖口から出した。


「偶然にも、今日、持っていましてね。」


 あれからずっと、これは、なんだろうと考えていた。ひょっとして、何か意味があるのではないか、と。


「見せていただいても?」

「どうぞ」


 几帳の隙間から、手を差し入れて渡す。


 遮られて見えない向こう側で、柔らかい指先が時峰の手に触れた。

 瞬間、時峰の身体に、ピリピリと痺れる何かが走った。


「これは……竹、ですか?」


 御簾の向こうは、時峰の様子など気付いていないらしい。


「え……えぇ、そのようですね。」


 今のは、一体なんだったのか。

 時峰は親指と人差し指の指先を擦り合わせながら、心を鎮めようと努めた。


「私の指先よりも、小さいわ。小さくて、荒削り。これは……ーーー」


 姫は竹片を見ながら、何かブツブツ呟いている。かと思うと、突然、ハッと息を呑むような音。


 そして、彼女は言った。


「夕星姫は……本当に殺されたのでしょうか?」

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