第2話 彼女の望み
「……えっ?」
藤堂さんの言葉の意味が理解できなかった。
今、彼女は何と言った?
聞き間違い。そう、聞き間違いに決まっている。
「だから、人を殺したことってある?」
微笑みを崩さず、楽しそうに目を細めて、藤堂さんは同じ言葉を繰り返した。聞き間違いではなかった。何故こんな事を聞かれているのだろうか。突然のことに頭の中に疑問符が渦巻いていた。
「い、いや、さすがにそんな経験ないよ」
「そっか。じゃあ人殺し童貞なんだね」
まず最初に浮かんだのは、あの藤堂さんから『童貞』などという言葉が出てきたことへの驚きだった。次いで、その言葉の意味不明さ。
まさか、という考えが頭を過ぎる。そんなことはないと思いながら。
「と、藤堂さんはあるの……?」
「ううん、私もない。人殺し処女」
彼女は片手を胸に当てて、首を横に振る。その声色は、やはり雑談のような気軽さのまま変わらない。
人殺し童貞に、人殺し処女。当たり前だ。この平和な日本で、人殺しの経験などあるわけがない。そもそもそんな事をしたなら、こんな風に日常を過ごしていない。
「人を殺してみたい、って思ったことはある?」
「ある訳ない」
即答する。もちろん、そんな願望など持ち合わせていない。しかし、まるで、彼女はそんな願望を持ち合わせているかのようだった。
「そう。でも、意外と心の中で思っている人は多いかもしてないわよ? 普段から思ってはいなくても、ふとした時に。そうね……例えば、学校がテロリストに占拠された妄想とかしたことない? その妄想の中で、貴方はテロリスト達を殺しているんじゃない?」
確かに中学の暇な授業の際にそんな妄想をしたことはある。しかし。
「でも、そういうのは人を殺すことが目的じゃない」
「例え、目的じゃなくても、そこに少なからず楽しさや爽快感を覚えているんじゃないの? それは人殺しによって得られるものでしょう?」
確かに楽しいからこそ、そういう妄想をする。しかし、それは『人を殺すこと』ではなく『敵を倒す』ことへのものだ。人、だからではない。殺す、からではない。少なくとも自分にとっては。
藤堂さんが、ゆっくりと歩み寄ってきた。蠱惑的な雰囲気を纏わせたまま。視線を外すことは出来なかった。だが、無意識に後ずさりをしていた。
藤堂さんの歩調はゆったりとしたものだ。
彼女が近づく。
僕は離れる。
しかし、程なくして屋上への扉が背に当たり、逃げ場はなくなる。
距離が縮まる。
歩みは止まらない。
端正な顔立ちが近づき、どうしても鼓動が早まってしまう。
あと一歩、という近さでやっと足が止まった。爽やかさを持った甘い香りが鼻腔を擽る。彼女の両手が伸び、僕の顔を包み込んだ。柔らかな感触。何が何だか分からずに、頭の中が真っ白になってしまう。
黒色の瞳が、僕の顔を覗き込む。そこには淀んだ何かが潜んでいるようで。黒より黒い底知れぬ闇があるようで。
「──私は、人を殺してみたいの。この手で、人の命を奪ってみたい」
ぞくり、と恐怖が背筋を走る。冗談でもなんでもなく、彼女は、本気でそう思っている。本気で人を殺してみたいのだと、声色が、瞳が、表情が語っていた。
「そ、そんな、こと……」
「ねぇ」
彼女の口が三日月型に弧を描く。その後に続く言葉は、きっと、碌なものではない。聞きたくなどない。それでも硬直しきった体では、何もすることも出来ずに。
「協力、してくれない?」
再び可愛らしく小首を傾げる彼女に、僕は小さな呻き声を漏らした。
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