23日23時23分
梓野みかん
23日23時23分
クリスマス間近の夜更けに、「スーパー 三田屋」をめざして歩く人影がある。
人影はふたつ。
三田屋から数百メートル離れた無人駅を降り、ロングブーツのヒールをカツカツと鳴らして向かう者の影がまずひとつ。もうひとつは、寝静まった低い家並の間を、灰色のスウェットの上下にマフラー一本といった姿で、こっそりと進んでいる。
道沿いに点在する田んぼや畑は、当然ながらすでにみな夜に沈んでいた。家々の窓は、お楽しみは明日のイブの夜だと言わんばかりに、きちんと明かりが落ちている。コンビニのないこの地域で、夜中にこうこうと電気をつけているのは、数台の自動販売機をのぞけば、毎日深夜12時まで営業している三田屋だけだった。田んぼの一画を埋め立てて作った、遮る物のない土地の真ん中で、冬の夜風にさらされながら、三田屋の外灯だけが夜の底をぽつんと白くしている。
「いらっしゃいませ!」
先に三田屋へ到着したのは、灰色のスウェットのほうだった。入口の正面に置かれたワゴンで作業をしていた若い店員が、彼女を元気よく出迎えた。店員がかぶったサンタ帽子の下にある顔はよく見えなかったけれど、たぶん自分と同じくらいの年だろうな、とスウェットは思った。店員は帽子の先のついた白いポンポンをゆらしながら、閉店前の作業だか明日の準備だかをせっせとしている。間もなく奥から上司らしき人物が現れ、その店員に何事かを指示し、店員は「わかりました」と快活に答えて別の売り場のほうへ走っていった。
そんな店員のうしろ姿を思わず見送っていたスウェットだったが、上司らしき人物が入口に向かって「いらっしゃいませ」と発した声でわれにかえり、首に巻いた黒いマフラーを鼻の上までグイと引き上げると、そそくさと目当ての売り場へ移動した。
(こんな時間に来る客が、ほかにもいるんだ)
そのときそう思ったのは、スウェットだけではなかった。
無人駅からの夜道を踏破した、ロングブーツのほうも同様だった。
店長らしき人物の「いらっしゃいませ」という野太い声に迎えられて店内に入ったロングブーツの目に、棚と棚の間に消えていく灰色のスウェット姿が見えたからだ。
(まあそりゃ、いるか)
いるからこそ、こんな片田舎で深夜営業をしているんだろうし、大体そのおかげで、こうして残業のあとにもかかわらずお目当てのモノを物色しに来れたのだから感謝しかない……とはいえ、終電に間に合うようにまた駅まで歩かなきゃいけないんだから、さっさと探さないと――ロングブーツはそう思い、キョロ、と店内を見渡した。クリスマスムードを盛り上げるべく、野菜や肉やタワシといった店内の何もかもが、キラキラした種々のオーナメントや赤と緑のリボンといったにぎやかな装飾を施されている。その一方で、深夜という時間帯と人けのなさも相まって、BGMで流れる「きよしこの夜」が店内に神妙な雰囲気を醸し出していた。積み上げられた徳用シャンメリーがどこか高貴に見えるのはそのせいかもしれない。天井からぶら下がった売り場案内の看板をたよりに、ロングブーツは目ざす売り場へと足を向けた。
(こっちかな?)
そう思ったロングブーツが棚と棚の間にのびた通路へ首をのばすと、菓子売り場の一画に、灰色のスウェット姿の客がいた。スウェットの客は一見大きなほこりのように食玩コーナーの棚の前でうずくまり、手をポケットに入れたまま、じっとして動かない。
しかしスウェットの頭の中はといえば、じっとしているどころではなかった。
(こっちかな……いや、やっぱりこっちか……?)
うずくまったスウェットの視線の先には、棚に二箱だけ残った、彼女が大好きなアニメ『プリティ・マジカリズム』のイラストカード入りガムが並んでいる。
(右にするか、左にするか……)
あらかじめ中身の分かる食玩もあるが、これは分からないタイプだった。
(右か、左か……)
迷ったところで、どちらの箱も同じイラストカードかもしれないし、すでに所持しているものかもしれないし、あまり欲しくないキャラクターのカードかもしれない。しかしそれと同じくらいに、どちらか、もしくはいずれもが、スウェットが狙うスーパーレアのカードであるかもしれないのだ。二箱とも買ってしまえればよいのだが、目下、自宅にて家事手伝い中の身の上であるスウェットの小遣いから捻出できるのは一箱ぶんしかない。
右か左か。左か右か。
(ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な――)
やはりこれで決めるしかない。
スウェットはうずくまったまま目を閉じて、ポケットのなかで右の人さし指を動かした。
二度目だけど、これでホントに決めます神様――と、一度目の神様の決定を反故にしたことをスウェットは念入りに謝り、心のなかで唱える呪文に力をこめた。
(――か・み・さ・ま・の・い・う・と・お)
り!
勢いでポケットから出したスウェットの人さし指が、何かに当った。食玩の紙箱の感触ではなかった。
「え」
それは23日23時23分、加えて23秒のことだったが、とくに意味はない。
スウェットの人さし指と、ロングブーツの人さし指とが、左の箱の上でかち合った。
「あ」
お互いに顔を見合わせた。
黒のショルダーバッグを肩にかけ、濃いめの化粧がところどころハゲ落ちたロングブーツの顔を、スウェットは見上げた。一方ロングブーツは、毛玉だらけのマフラーで半分隠れたスウェットのつやつやした頬を中腰で見下ろしていた。
年の功で、ロングブーツのほうが先にこの偶然の衝撃から抜け出した。
「あ、どうぞ。それ」
一見、慌てず騒がずのロングブーツである。
(あ~! びっくりしたあ! びっくりしたあ! 目閉じてたから、もしかして具合悪いのかなってちょっと思ったけど、ちがった~! ちがってよかったけど! 一箱まず確保してから声かけようしたから、変なタイミングになっちゃったか~! ごめんね、若人よ! マジでごめん! でもどーしてもコレ娘に買って帰りたくてッ! 娘っちが大好きでさ~! 『プリ・マジ』いいよね! 私も大好き! 早くゲットしたかったんだけど仕事忙しくて……まだ在庫残ってそうなスーパー調べて、よ~~やく買いに来れたんだよね! いや、そもそも悪いのはこんな時間になったクソ残業なんだけどさ! っつーか、家族捨てて出てったクソ夫のせいかッ!? なんにしろ、若人に罪はない! 驚かせてごめんね~! 私もどっちの箱にするかちょっと迷ったもん。迷うよね~! うんうん、お詫びじゃ! そっち持っていきな~!)
スウェットもまた、表面上は冷静そのものといった様子でぺこりと頭を下げ、左の箱を手に取った。
「……すみません」
(エ~! なにコレ! どんな偶然よ!? 変質者とかじゃないよね!? この人よく見るとブーツの先っちょ破けてるし、顔にシワがけっこーあるけど、バッグかっこいいし、なんかデキるお局ってかんじ! 『プリ・マジ』のファン層広いって聞いてたけど、ホントに広いな! ってか、夜中にザ・部屋着で食玩選んでるアタシのほうがよっぽどガチで変質者じゃん! すいません! 譲ってくれたのに! でも昼間は近所の知り合いに会いそうでイヤなんで、しかたなく! しかたなく! この時間なんです! いいトシして仕事クビんなって、実家で親にこづかいもらってるとか……ほんと、イヤなんだけどしかたなくて――)
カツカツ、とヒールを鳴らしてレジに向かうロングブーツに続いて、スウェットも腰をあげた。
店内にはほかに客のいる気配はなく、BGMの「きよしこの夜」がしめやかな曲調の日本語バージョンから、アップテンポな英語バージョンへと切り替わった瞬間がはっきりと分かるほど静かだった。数台あるレジはどれもからっぽだったが、ヒールの音を聞きつけたらしい店員がどこかからパタパタと走って現れた。店に入ったときにスウェットが見た、あの若い店員だった。
「ありがとうございまーす」
ピッ、ピッ、とレジの操作音が響く。トレーの上で小銭の受け渡しが静かに行われ、先に会計をすませたロングブーツはショルダーバッグに品物を入れた。ありがとうございました、とロングブーツにお辞儀した店員は、並んでいたスウェットに向き直り「いらっしゃいませ。お預かりします」と笑顔で言った。
店員に食玩の箱を渡したとき、スウェットは店員の胸の内を想像して少し恥ずかしい気持ちになった。
(夜中に同じ食玩を仲良くひとつずつ並んで買うとか、なんなのおまえら(笑)……とか思ってんだろうな)
いえいえベツに知り合いでもなんでもなくて、この状況はタマタマで――なんて弁解を口にするのも大いに変なので、そのかわりにスウェットは鼻の上までマフラーを上げ直した。しかし食玩のバーコードをスキャンした店員が明るく「ワタシも『プリ・マジ』好きなんですよ~」と話しかけてきたので、結局マフラーはまたアゴまでずり落ちてしまった。
「ほら、魔力を交換して大技を出すじゃないですか。そのとき交換するお互いの魔力を通じて二人のきずなが深まって……奇跡が起きる! みたいな展開が、ほんっと、毎回胸アツですよね~!」
そう言いながらテキパキとお釣りをトレーにのせ、品物をスウェットに渡し、熱く語るテンションそのままに「ありがとうございました! また新商品が出ましたら、よろしくお願いしますね!」と大きくお辞儀して、店員はスウェットを送り出した。
ア、ハイ、とだけ返事をするのがスウェットには精一杯だった。食玩の箱をポケットに入れて、来たときと同じようにそそくさとスウェットは店の外に出た。
キリッとした冷たい空気が、一気に身を縛る。
三田屋の外灯に照らされながら、車の往来のない交差点で、信号が几帳面に赤点滅をくり返している。横断歩道の向こうで、カツカツというヒールの音が、赤い点滅から逃れるように駅のあるほうへ遠ざかってゆくのが聞こえた。
「あの!」
ヒールの音に向かってスウェットは叫んだ。
その声に、ロングブーツはふり返った。
三田屋の外灯が逆光になってよく見えなかったけれど、点滅する信号の赤い光が、叫び声の主が先刻人さし指をかち合わせたスウェットの若人であることをロングブーツに教えてくれた。
スウェットの若人はいまにも転びそうなかっこうで自分のほうへ走って来る。何だろう、というかすかな不安が、ロングブーツを数メートル先にあった電柱の街灯の下へと移動させた。電柱には警官のイラストが描かれた立て看板がくくりつけられていて、「アッ、危ない! そんなときは110番」と太い文字で書いてある。
「……あの」
数メートル余計に走ったからか、スウェットの若人はハアハアと息をきらしながら、ロングブーツのいる街灯の下へ入ってきた。
そして、灰色のスウェットの上着のポケットから食玩の箱を取り出した。
「交換、してもらっていいですか」
「え? あ……」
ロングブーツはショルダーバッグから自分の買った箱を取り出した。
「やっぱり、こっちの箱のほうがよかったですか?」
「いや、あの……魔力交換、したくて」
あきらかに足りていない自分の言葉を補うべく、スウェットは咳こみつつもまくしたてた。
「魔力交換したいっていうのは……えっと、まず自分、『プリ・マジ』の魔力交換のシーンが大好きなんですよ。何回見ても胸アツすぎて、見るたび元気もらってるかんじなんですけど。なんかその、あれみたいに……何かを交換して奇跡を起こすところが真似したくなっちゃって。まあ、でも、あの、真似しても結局カードはカブるかもしれないしスーパーレアじゃないかもしれないんですけど、でも何か奇跡が起こせるんなら起こしたいなと思って……。せっかく譲ってもらったのに、自分でもワケわかんない理由ですいませんなんですけど――」
スウェットは、自分の口からこぼれる言葉がおもいきり三田屋の店員のパクリだなと思いつつも、自分だって実際にそう思っているんだから構わないと開き直って、言葉をつないだ。家族以外とほとんど顔を合わせず、自室でひたすら『プリ・マジ』を見まくって溜め続けた心の気力のようなものを解放するのは今なんじゃないか、という衝動のままに、スウェットは、自分の持っていた箱を改めてロングブーツのほうへ差し出した。
ロングブーツは、マフラーからむき出しになったスウェットの顔を見て「ハハ」と小さく笑った。その顔が、数年前に、受験先の高校を公立から私立に変えたいと、熟慮に熟慮を重ねたすえに必死の形相で相談してきた娘の顔にそっくりだったのだ。
「魔力交換か……いいね。リアルでできると思ってなかった」
ロングブーツは自分の持っていた箱をスウェットに渡した。
「奇跡、きっと起きるね」
ロングブーツの言葉にスウェットはコクンと控えめにうなずき、最初に譲ってもらったほうの箱を手渡した。
「きっと起きます。私にも……私たちのどっちにも」
「ハハハ。ありがとう。きっと出るね、スーパーレア」
「魔力交換の威力は絶大ですから」
お互いの箱がそれぞれショルダーバッグとポケットに収まったタイミングで、どちらからともなく「じゃあ」と言って二人は街灯の下を離れた。カツカツと響くロングブーツの足音がテンポよく駅に向かう一方、マフラーをなびかせたシルエットは、往来のない車道をあちらからこちらへと自由に行き来して進んでいく。
やがて三田屋の外灯がすっかり消えるころ、二人はしばしの眠りについた。
ロングブーツは終電の中で、食玩の箱を自宅のどこに置いたら反抗期真っ最中の娘にサプライズできるかを考えながらウトウトしていた。スウェットは枕元に箱をうやうやしく鎮座させ、明日ハローワークに持って行く書類を準備してからベッドに横になっていた。
二人の意識のすきまを、三田屋で流れていた「きよしこの夜」のメロディーが埋めていく。
奇跡を信じる二人の気持ちに、ほのかな懐かしさを添えながら。
23日23時23分 梓野みかん @azusano
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