やたら正義感を振り廻す男
赤根好古
第1話
(あー、今日も残業やった。しんどいわ)
重い足を、引き摺るように歩きながら明は、独り住まいのアパートへ。この街は眠りが早く、23時を廻った商店街のアーケードは誰もいない。明の靴音だけが、遠くまで響いている。全ての店がシャッターを降ろしていて、そこはまるで、異次元空間のよう。呑み屋も一件も開いていない。
その時
「おい、テメエ」
と、大きな声が。
(何処だ)
と、明が耳をすませば、路地からまた
「金を出せ」
と、声だけが聞こえてくる。
明は、急に全身に血液が激しく流れ出し、
力が漲ってきて、耳をすまして聞こえる方向へ、街角を曲がって駆け出して行けば、若者三人が、老人を囲んで蹴っている。その付近に住んでいる住人たちは、関わり合うのを恐れてか、シーンと静まったまま。明は
「やめろ」
と、大きな声で叫びながら走っていって、いきなり三人のうちの丁度老人を再度、蹴ろうとした若者に、腰の入った横蹴りを見舞うと、その男は、2、3メートル後方へ飛んでしまい、あとの二人は、急に割って入った明に警戒心を。冬なので、着ぶくれはしているが、明にはひとりの若者に蹴りを入れた充分な感触が、足裏に残っている。
「だ、誰だ」
「おまえらなんかに、名乗る必要なんかない」
二人は、明が喧嘩に強そうだと思い
「おい、帰ろうぜ」
と走りだし、明に蹴られた男も立ち上がると、明に蹴られた腰を押さえて、二人を追って走っていってしまった。明が倒れている老人を抱き起こすと、その老人は
「すまんな」
「大丈夫ですか」
「あー、何とか」
と言って、身体のホコリを手で払っている。
立ち上がった老人は、明よりも背が高く、細い目をしていて、顔にシワも多く、80歳を越える年齢のように、明には思われた。
「お怪我は、ありませんか」
「うーん」
と言うと、老人は明をじっと見つめ
「お礼にこれをやろう」
と、胸ポケットから薬のような物が入ったビンを取り出して
「これだけは、あいつらに取られたくないと思って、抱いていたんじゃ」
「何ですか。その薬のような物は」
「これか、これはワシが作った不眠薬じゃ」
「えっ」
老人は、薬を明の目の高さまで持っていき
「あんたは、疑っているんじゃろう。この薬は効くぞ。一晩全然眠くならん」
(一晩くらいじゃ、たいしたことないやん)
「たいしたことないと、思っているんじゃろう」
「えっ」
明は、目をパチクリした。
「それが、若いうちは何でもないことだが、ワシくらいの年になると、すごく役に立つんじゃ。まぁ騙されたと思って飲んでみるんじゃな。また、何処かで会えることもあるじゃろう」
と言って、老人は何事もなかったかのように帰っていった。
明は、唖然と老人を見送った後、改めて手のうちにある薬を眺め
「帰ろ」
と。
大下明。平成生まれの27歳。髪はロン毛で瞳はクリッとして大きく、眉毛は濃く、と、ここまではいいのだが、鼻ペチャでこれだけが残念である。
中肉中背で、身長173cm。小さな会社に勤めながら、子供の頃から空手を習ってい、現在も週に二度、道場へ通っている。黒帯で三段の腕前である。しかし、会社は、明が空手三段の腕前だとは誰も知らない。
明は、1LDKの家のキッチンにあるテレビの前で、日々のひったくりや、放火等の理不尽な犯罪にイラついていた。
(何で、こんなことをするんや)
明は、テーブルの上に置いてある老人から頂いた薬を、手に取って見ながら
(これがあれば、寝ないで街の防犯が出来るんかな?)
と思った。その気持ちは、子供の頃にテレビで見ていた『サンダーバード』への憧れだ。身の危険も顧みず、ひとの命を救うために、全力を尽くす姿に。そしてその夜、テレビを点けてニュースを見ていると、近所でひったくりが発生していると。時刻はもう午前0時を廻っている。
明は、矢も盾もたまらず、早速老人から頂いた薬を一錠飲んで、家を出た。
「キレイな月や」
と思ってから、白のフルフェイスのヘルメットを被り、50ccのカブで街に出た。ヘルメットには、赤で『A』のマークが。
(もっと、格好ええバイクやったら、ええんやけど)
それが、明の気になっている所だ。勿論、武器などは持たず、空手三段だけが、唯一の頼りだ。けれど、先日老人を助けたことが、明にとってすごい自信となっている。
「あー、手袋をしてきたら良かった。手が寒いわ」
明が、10分程カブを走らせていると、2人乗りの単車を発見した。
(これか)
と思いながら、少し離れてカブを走らせていると、2人乗りの単車は、めぼしい女性を物色でもするかのように速度を落として、路地をアチコチ走らせている。
(あんまり近付くと知られてしまうから、慎重に慎重に)
と、明はあえてカブのヘッドライトを消してみた。
単車の二人は、黒の上下の服に、フルフェイスのヘルメットを被り、ナンバープレートも泥のような物で隠している。
やがて2人乗りの単車は、ターゲットを見つけたのか、急に速度を上げた。
「あっ」
明も、目をパチクリしながら遅れじと、カブのアクセルをフルスロットルにしたが、カブでは、とても2人乗りの単車に追い付けるものではない。所詮、カブはカブだ。真冬で、指先がとても冷たい。明は、いらついて
(くそっ、もっと早く走れ)
と、カブを平手でどついたが、どうにもならない。
「キャー」
という声と共に、2人乗りの単車の後ろに乗っていた男が、女性のカバンを引ったくって走り去った。その勢いで女性は転んでしまい、明がカブを止めて降り
「大丈夫ですか」
と助け起こしたが、女性はひじから血を流して泣きながら
「カバンを取られたんです」
明はお尻のポケットからハンカチを取り出して、女性の怪我をした肘に当てながら
「すぐ警察へ」
「は、はい」
(逃がさんぞ。絶対に、見付けてやる。)
明は、カブを全速力で走らせながら
(そんな遠くには、行ってないはずや)
と、確信を持ちながら30分程、路地から路地をカブを走らせていると、それと思われる単車を、明は見付けた。時刻はもう、2時を廻っている。明はカブから降りて、単車のエンジンに手を触れてみると
(あっ、熱。たった今まで走ってたんや)
ナンバープレートも、泥で汚れている。しかも、目の前のアパートで明かりが点いているのは一軒だけ。
(どうしょう)
その家からは、ささやきが聞こえてくる。悩んでいる場合ではないと思った明は
(えーい、当たって砕けろや)
思い切って、その家のドアを明は叩いてみた。トントンとその家をノックしてみると、急にささやきが聞こえなくなり、明がもう一度ノックしてみると
「はい」
と言って、若い男が顔を出した。明は、男のその後ろの部屋の様子を見ようとすると、その男は見せない様に身体を前のめりにするが、明は女物のカバンがあることをを目ざとく見付け
「何ですか」
「いや、さっき近くでひったくりがあって、犯人を探してるんです。外の単車は、あなたのですか?」
「あなた、刑事?」
「いや、一般市民だけど」
男は急に態度を変えて
「だったらとっとと帰れよ」
と言って、明が押してきた男の脇をすり抜けてその家に入ると、もうひとりの男がちょうど女物のカバンの中身を広げている所だった。
「テメエ」
と、玄関にいた男が明を捕まえようと両手を広げてきたが、
(中段がら空き)
と、中段突きをその男の鳩尾に見舞うとその男は
「うー」
と、言いながら屈み込んだが、その時、明のフルフェイスのヘルメットに『A』という文字が男の目に焼き付いた。
明は、すぐ振り向き、もうひとりの男に身構えると、その男はナイフを手に
「おまえ、いったい何者や」
と、急に肉薄してきたが、明がその男の急所に前蹴りを見舞うと、倒れてしまった。ふたりの男は、前屈みになって、明に突きと蹴りを受けた場所を手で押さえてうめいていて、抵抗出来ないとみた明が部屋を見廻すと、あるわあるわ沢山の女物のカバンが。
明は、ふたりの男の両手両足を縛るのに、部屋の中を見てみるが、ヒモのような物が見当たらないので、
「あっ、あった」
と、ふたりを電気コードを使って縛り、その場で110番し、そしてすぐ帰宅した。
明くる朝、6時半。何時ものように明は、目覚まし時計で目を覚ましたが
(あー、ねむ。家に帰ったのが朝の4時やもんな。やっぱりあの老人の薬って、全然効いてないやんけ)
ベッドの枕元にある目覚まし時計のアラームを止めて、明はしばらく、もの思いにふけった。
(警察は、あのふたりを捕まえてくれたんやろうか)
と、ボケーと考えていると
(あっ、遅刻する。起きなしゃあない)
明は、朝食を大事にしている。勿論、和食だ。ご飯に味噌汁、それと漬物。ご飯はあらかじめ、昨日、カブで防犯に出掛ける前に、炊飯器に時間をセットしておいた。味噌汁の出汁は昆布出汁(明が、休みの日に作り置きしてある)で、具は豆腐と薄揚げ、そして漬物はしば漬け。これか明の朝の定番だ。味噌汁を啜って
(やっぱり旨い)
明がご飯片手にテレビを点けると、偶然
「本日未明、尼崎でひったくり2名が、逮捕されました。捜査関係者への取材によりますと、匿名の電話があり、警察官が現場に駆け付けると2名の若い男が、後ろ手に電気コードで縛られていて、その家から盗品のカバン17点が見付かり、かねて捜査中のひったくり犯人であることが判明しました」
明は、そのテレビニュースを見て
「やったあ」
と、拳を突き上げた。
(眠気も一辺に覚めたわ。さぁ会社行こ)
明が出社して、自分の机の上にカバンを置いた所へ、女性社員の田所洋子が
「大下君、おはよう。はいコーヒー」
と、ホットコーヒーを机の上に置いてくれた。
「あっ、いつもありがとうございます」
「あれっ、今日は、いつもと違う。何かいいこと、あったみたいね」
「そっ、そうかな」
明は、大きな目をパチクリした。幼い頃から、好奇心旺盛で、もっともっとたくさんのものを貪欲に吸収したいということの表れなのか、その表情は。
洋子は
「あやしいなぁ。恋人でもできたの」
「そんなのじゃぁ、ないですって」
「じゃあ、何なのよ」
明は
「実家から、送金があって」
「えっ、大下君ってまだ実家から送金してもらってるの」
「うん、まぁ」
明は、何とかごまかすことに成功したが
(この女は、ごまかしが効かん。注意しないと)
仕事をしていて昼食後、明は急に睡魔に襲われ、洋子に揺り起こされた。
「大下君、眠っちゃダメよ」
「う、うん。ありがとうございます」
「どうしたの。恋人と夜更かししたの」
「そうでもないんですけど」
洋子は、曰くありげな目で見ている。明は
(やっぱり、あの老人の薬は全然効かん)
退社時刻が近付いてきて、隣りの机の洋子が
「大下君。今日、一杯行かない?」
明は、目をパチクリさせて
「いいですねぇ、行きますか」
と、明はコートを羽織った。
田所洋子は、明よりも少しだけ背が高く、昔で言うグラマー。オッパイよりもお尻の大きさが目立ち、鼻は低いが愛敬があると言えなくはない。明は、洋子と話す時、洋子がハイヒールを履いているので、いつも見上げてしまう。洋子は明より2歳年上の29歳。明が新入社員で入社した時、会社のことをこと細かく教えてくれたのが洋子だった。つまり洋子は、明の教育係だったのだ。
ふたりは、会社の近所の居酒屋へ。その店はカウンターだけで、座席は7つしかなく、まだ早いからか、他に客は誰もいない。洋子は
「こんばんわ」
と言って入っていき、いちばん奥に明とふたり、席についていきなり
「生2つ」
とたのんでから
「大下君が、入社した時以来ね。この店は」
「はい、田所さんはこの店、よく来られるんですか」
「まあね」
マスターが
「何、食べます?」
「そうですねぇ。とりあえず、おでんの玉子と厚揚げとすじ肉」
「私も、すじ二本と大根」
「あいよ」
「ここはね、河内鴨も出してくれるの。美味しいわよ」
「じゃあ、それもお願いします」
「あいよ」
「ねぇ、大下君。昨日、彼女と夜更かしして眠かったんでしょ」
(また、その話し)
「いえ、ただ眠かっただけですよ」
「言いたくなけりゃあ、いいけれど」
「マジ、本当ですよ」
生2つが運ばれてきて
「とりあえず、乾杯」
「乾杯」
ジョッキを重ねる音が、店内に響いた。
明は、中ジョッキを一気に飲み干してから
「田所さんこそ、どうなんですか。もうすぐ30歳でしょ」
「それ言うな、大下」
新しい客が来る度に、店の開け閉めで居酒屋の暖気が外に持って行かれてしまう。明は
(今日は、防犯パトロールやめて、飲むぞー)
「マスター、芋のお湯割り」
「私も」
「田所さん、今日は、飲みましょう」
洋子は、生ビールをぐいと飲み干して
「大下、私をおまえの彼女にしろ」
「えっ、田所さん。もう酔ったんですか」
「なんだと」
と言って、洋子は明の首を腕で締めて
「酔ってない」
洋子のオッパイが、明の脇に触れている。
「それが、酔ってると言うんですよ」
(田所さんは、酒癖悪いなぁ)
「大下。おまえ、私を酒癖悪いと思ってるんだろう」
明は、目をパチクリさせて、あわてて手を振りながら
「えっ、そんなこと、思ってませんよ」
(するどい)
「今のは冗談よ。私ね、仕事辞めようと思ってるの」
「えっ、どうしてですか」
「振られたの」
「えっ」
「振られたのよ」
「誰にですか」
「それは言えない。で、大下君に失恋のことを聞いてもらおうかなと思って」
「僕でよければ、いくらでもお聞きしますよ。田所さん、自分の心の中に失恋の痛手を持ったままじゃ良くないですよ。吐き出さないと。ため込んだままじゃダメですよ」
「ありがとう。私ね、ずっと付き合ってたひとがいたの。年は私よりも20歳も上で。叶わぬ恋だと、わかっていたの。けど、けど、わかっていたんだけど、もしかしたら、結婚出来るんじゃないかなと、1%でも思ってて」
「何か、わかるような気がします。所詮は、男と女なんですもんね」
洋子は、明の脇を肘でつついて
「わかったような顔して」
明は、頭をかきながら
「い、いえ。田所さん、今日はいっぱい飲んで、忘れて下さい。僕が介抱しますから」
「えっ、私をもらってくれるって」
「そっ、それは」
「まあいいわ。飲むぞ大下」
「はい」
(その、20歳も年の離れたひととは、何処で知り合ったんですか)
と、聞きたいところだが、明はその言葉を飲み込んだ。そして
(田所さんのお尻を、独占してたんだな、そのひとは)
と、明が洋子のお尻に視線を持っていくと
「何処、見てんのよ。エッチ」
と、洋子に背中をはたかれると、明は、目をパチクリさせて
(するどい)
「本当のこと、言うのよ。私も言ったんだから」
「は、はい」
「彼女はいるの」
「いえ」
「うそ」
「本当ですよ」
「じゃあ、仕事中に寝てた理由は」
「ただ眠たかっただけですって」
「じゃあ、明君の彼女に私がなってもいい?お古だけど」
と言って、洋子が首を傾げた。その仕草を見た明は
(可愛い)
と、心底思った。
「ぼ、僕で良ければ」
「それって、真実?」
「僕の本当の気持ちです」
「私はお古よ。さっき言ったように使い古しなのよ」
「何で田所さんは、そんなに自分を卑下するんですか」
「じゃあ、私を持ち帰ってくれる?」
「いいですよ」
「いいですよ、じゃないだろうが。ありがとうございますと言え、大下」
「ありがとうございます」
「よし」
(洋子さんは、酔ってるのか、酔ってないのか、わからん)
明が店のマスターを見るが、知らん顔をしている。
「私の生尻、拝ませてやる」
「えっ」
「だって、さっき。私のお尻見てたでしょ」
「は、はい」
「私ね、お尻だけが自慢なんだ」
「そんなことないですよ。田所さん、可愛いから」
「うーん、言いにくいことを考えてしゃべつたな、大下」
(うーん、ここは。雰囲気を変えよう)
と明は
「マスター、芋のお湯割り」
「私も」
と、洋子もグラスを持ち上げて
「今日、私を好きにしていいわよ。なんちゃってー」
と、洋子は明の肩に頭を預けた。
(いい髪の香りがする・・・。いや)
「ちょっと、田所さん」
洋子は、急に頭を上げて
「大下、おまえの家までどれくらいだ」
「タクシーで、20分程です」
「じぁあ、もっと呑むぞ」
(えっ、僕の家へ来るっていうこと?)
洋子は芋のお湯割りをグッと呑んで
「あー、いい気持ち」
と、明から見ても洋子の目は、宙を泳いでいるよう。と思っていると、急にテーブルに肘を付いて寝てしまった。
(洋子さん、本当に振られたんだ)
明は、
「マスター。僕、田所さんとは、入社の時にこの店に連れてきてもらって以来なんですが、いつもこんな感じですか」
「いやぁ、いつもは上品なお客さんなんだけど、今日は違うね」
「そうですよね。僕、こんなに絡まれたこと、初めてなんで」
「大丈夫かな?」
「僕が何とかします」
「いいのかい」
「いつもお世話になってる先輩ですから。任せて下さい」
明は、寝ている洋子の背中に、目をやりながら
「マスター、タクシー呼んでもらえますか」
「了解」
やがてタクシーが店に来て、マスターに手伝ってもらい、明は洋子を乗せて自分のアパートへ。タクシーに揺られながら、明は洋子の寝顔を見て
(本当に振られたんだ。こんな洋子さんを見るの初めて)
タクシーの窓の外は、まさしく闇の中。
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