第6話 一人目のヴァンパイア

光心学園は小高い山と森に囲まれていた。

以知子は金曜日の正午に学園へ訪れた。履歴書などの書類を送ってしまうと、その後は簡単な手続きだけで、寮の管理人になるのはほぼ決まっているようだった。

午後に理事長と面談をする予定になっている。以知子は来月に寮の管理人を離職するという、年配の女性から学園内や寮を案内してもらうことになった。


正門から桜の木々が並ぶ長いスロープを上がると、グラウンドだけが森の中に砂漠のように浮かび上がる。授業は月火水木金で、土日になると学生寮に居る生徒と部活動の生徒、当直の学校職員、牧師と修道女シスターたちだけが学園に居るということだった。学園には生徒たちの週末のざわめきが残っていて、午後の授業が始まるとそのざわめきは潮が引くようにけていく。

学園と教会は行き来出来るようにアーチ型の装飾がいくつも施された通路によって結ばれていた。

礼拝堂は学園内にあり、普段は講堂のように使用しているとのことだった。

学園の教会はまるで白い塔のようにそびえている。中は昼でも薄暗く、暖房は無いので冬はとても寒い。左右に聖人たちのステンドガラスが張られ、以知子は昔通っていた幼稚園の教会と似つかわしいと感じた。

教会を出ると白い鳩が何羽か空へ飛んでいった。通路に紺色の制服を着た女子生徒たちと長いローブの修道女シスターが横切る。日陰のベンチにはひとりの女生徒が腰掛けていた。

その様子を見て、以知子はそれぞれの不思議な時間が流れているわ、と思う。

面談結果によってはこれから以知子もこの中で生活をすることになるので、この時間に慣れていかなくてはと思った。それは以知子の生来の責任感の強さからくるものだった。


学生寮は三階建ての大きな造りになっていて、天使像が置かれた中庭を中心としてコの字型の建築がなされ、右翼部と左翼部に分かれていた。寮に暮らす生徒たちは一人一部屋が割り当てられていて、集団生活というより個人生活に近いようだった。

一階の右翼部に食堂、左翼部に六角形の応接間と広い管理人室があり、以知子は応接間で管理人の仕事についての説明を受けた。応接間の窓からは冬枯れの木々の梢が風に揺れていた。



__________



アンティーク・ショップの店主、今井はこう言った。

「城山理事長はヴァンパイアです」

「学園の理事長が?」

「そうです。ですが、彼は吸血もしないし人を襲うこともしないヴァンパイアだから大丈夫。見守っていただきたいヴァンパイアのうちのひとりです。彼は昔、ピアニストでしてね。この店のお客様でもあるんです。ほら、チェンバロを買った……」

今井と以知子はチェンバロを見遣みやった。


チェンバロを購入したのはヴァンパイアのひとりだったのね……


「本当に大丈夫なのですか?」

「大丈夫、大丈夫。ちなみに彼は涙もろいのですが決して消失はしません。太陽は苦手かもしれませんが、さほど厭がらないはず。とても強力なヴァンパイアです」

涙。以知子は横濱の三人を思い出した。三人とも涙を流して消えていった。


「私は学園にいる二人のヴァンパイアを見守るだけで良いのでしょうか」

「ええ、でもそうですね……見守るだけというより、彼らの話相手になってあげてください。それが彼らのためでもあるし、あなたのハントを手助けすることにもなるでしょう」

「彼らのため、とは……」

「私が個人的に二人を、特に城山さんを気に掛けているというだけの話ですよ。」

店主は、私からもあなたを城山理事長にご紹介します、と残した。



___________




「城山といいます」

彼は少し高い声でぽそりと言った。

以知子は城山を目にした途端、その出で立ちに面食らった。

少し肩にかかるくらいの長さの金色の髪を流し、胸元を開けた上下白のスーツと黒いブーツでコーディネートを合わせていた。面立ちは絵に描いたように整っていて、切れ長の目は一見、冷たさを感じさせる。学園内でこのファッションは奇抜と言えたが、彼の顔と合わされば不思議と自然だった。

学園の理事長という肩書きが無ければ、どんな職業かは分からなかったであろうと思われた。還暦を迎えるくらいの年齢だと聞いていたが、風貌から十以上は若く見える。

以知子は少なからず魅了された。


「新井以知子と申します」

以知子は深くお辞儀をした。

城山はどうぞ、と以知子に着席を促すと、リラックスした様子でソファに腰掛け、細い脚を組んだ。以知子は理事長室へ入る前に南がどちらかを確認したが、今井の話通り、意味を成していないようだった。カーテンは閉まっているものの、窓の隙間から城山の脚に陽射しがかかっている。


「ほんの少し新井さんのお話を伺いました。バッハのシャコンヌがお好きだとか」

「ええ」

「僕もバッハは好きなんです。でも、ベートーベンとチャイコフスキーの方が好きかな」

城山は髪先に少し触れた。白い指、と以知子は思う。

「寮の管理人になってくださるんですよね。来月に今の管理人さんが辞めてしまうからどうしようかと思っていたんですよ。今井さんからのご紹介で、あなたのご体調のこともお聞きして。お若いけれどぴったりの方が居て、とても良かったと思いました」


自身の体調面の話が出たので、以知子は切り込むことにした。


「今井さんから、管理人とともに理事長のお話相手にもと頼まれました」

「今井さんが?寮の管理だけじゃなく?そうなんだ、でも本当に?」

「本当です」

「……ということは、僕のこと、もう知ってる?」


城山は切れ長の目を鋭くした。核心を突いてきた、と以知子は思った。が、今井が大丈夫と言うので大丈夫だろうと思うことにした。


「知っております。その上でお話相手にと」

「ええ?そうなんだ。今井さんがそう言うなら……」

城山はしげしげと以知子を眺めた。

「それなら君にいろいろ話してもいいのかな」

まるでこの小娘をどう扱おう、と城山が考えているようにも見えた。が、以知子は萎縮しなかった。


「ええ。色んなお話をお聞かせください」

「そうだね。それじゃまず、僕ってどう見える?」

「へっ?」

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