ヴァンパイア・ハンター

森口吾蘭

第1話 厳冬の雨

雨が降り出した。

「しかもこんな、厳冬の……」

雨……。

以知子は都合の悪さを思った。

この二月で雨が降れば人出は少ないだろう。雪に変わるかもしれない。

雨雪が降り、アンティーク・ショップに寄る客なんて少ないはずだ。

それでも、と以知子は思う。

晴れの日では店が不定休かもしれないのは最初から分かっている。

雨の中でひっそりと琥珀色に灯りながら開く店を思う。


時代遅れの固定電話が遠く鳴り始めた。察したな、と以知子は思う。

急がずにゆっくりと電話に出る。

「もしもし」

「友人の広告を見てほしい」

「今日は見えるかしら」

「広告はいつでも見える」

がちりと電話が切れた。

窓の向こうで雨が白い線となってさあっと降り注いでいる。

以知子は首元で結んでいたスカーフを解いて拡げ、二度ほどはたいた。

雨でも雪でも、行くしかない。


ふと、今日の様子を先見しようと思い立つ。

引き出しからタロット・カードを出し、スカーフを机に引いてシャッフルを始める。


太陽の逆位置、隠者の正位置、ワンドの4、正位置。

以知子はあれ、と思う。そこまで悪くない。自分自身を示すカードを開く。

"カップのエース 正位置"

新しい始まりや感情のときめきなどを示すカードだ。

そんな馬鹿な、と思う。

完全な敗北を示すソードの10など不吉なカードは出ていない。以知子はカードを片付けながら安心する。

ワンドの10が出ると思った……。

ワンドの10は自分自身の力を超える重責を表す。以知子は過去三度の成功は自分の力ではなく運でしか無かったと思っている。

カードがそう言うのならば今日も大丈夫かもしれない、気を付けるに越したことは無いだけれど……。


以知子は暗号のようなヴァンパイア・ハントの要請を受けている。

近頃のヴァンパイアたちには中世のような城は無い。

十字架も銀の弾丸も彼らにとって弱点ではなくなってしまった。

ただ唯一、太陽の光と銀を忌み嫌うという特異な共通項は、中世の物語から現代に至るまで変わっていないらしい。

以知子が初めてハントをしてしまったのは夜の街だった。

学生時代からひとりで飲み歩いている横濱のバーで、いとも簡単に二人仕留めてしまった。その少ない経験から分かったことは、ひと目で人間かヴァンパイアか区別することは出来ず、ヴァンパイアたちはひとりひとり性質も、急所事項もそれぞれに異なるらしいということだった。

そして二人を葬ったせいで、得体の知れないヴァンパイア・ハンターの協会団体のようなものに目をつけられたのか、ある日突然家に電話が掛かってきた。

そして暗号のような要請を聞き、また同じように横濱で一人を消失させると、報酬として銀行口座に多額の金が振り込まれていた。

以知子はすべてを不審に思わなかった。

ヴァンパイアとその懸賞金を狙うハンターたちがこの世の中に存在していることも、夜の街で人が異様な消え方をするという噂なら学生時代から聞いていた。

その噂が自分の中で繋がったとだけ以知子は思った。三度ばかり、自分が犠牲にならずに済んだだけの話だと。

以知子が不可思議な電話の要請を受けたのは、興味本位や思い上がりではなかった。

会社を辞めてばかりだったので、報酬がある聞いて無視する理由が無かった。高額な報酬を求めてというより、ただ生活を守るためにハントの要請を聞いた。


今回の要請は指定の日に指定の住所に向かえということだった。地図で調べ、事前に下見に向かうと其処は一軒のアンティーク・ショップだった。以前と同じく、ヴァンパイアの情報を集め、必要であれば対峙しろという意味だろうと以知子は思った。


やるしかない?

今回はどうだろう?

ヴァンパイアはあの店の店員?いえ、客のひとりかもしれないわ……。だとしたらこの天候で遭遇するのだろうか?

だからこそのあの予想に反するカード結果だったのかもしれない。

以知子は荷物をまとめ終えた。荷物といっても特別なものは特にない。ノートとペン、フィルムカメラに携帯、財布……

ただ、いつものようにフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の文庫本を鞄に入れた。三度成功した時もそうだったので、ゲン担ぎだ。

以知子には今日自分が死にはしないというカード結果と、これがあれば十分のように思えた。


以知子の頭の中にはずっとカップのエースがひらめいていた。

あれは一体何を意味するのだろう……。

雨の降り続く窓の向こうを見つめる。

十字のコインをくわえた、タロット・カードの白い鳩が思考によぎる。

まだ雪にはなっていない。

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