38 陛下にお伺いしたいことはひとつだけですわ


「私からもお願い申し上げます。どうか、マルガレーナ嬢とお二人でお話を――」


「お黙りなさい!」


 恭しくこうべを垂れ、ジェスロッドに願い出ようとした言葉が、マルガレーナの尖った声に遮られる。


 驚いて見やると、マルガレーナが碧い瞳に激しい怒りを宿してソティアを見つめていた。


「あなたに同情されるほど落ちぶれてはいませんわ! わたくしを見くびらないで!」


「マルガレーナ嬢――!」


「申し訳ございません。差し出た真似をいたしました」


 眉を寄せたジェスロッドがマルガレーナを咎めるより早く、深々と頭を下げて詫びる。


 マルガレーナが言うとおり、しがない男爵令嬢にすぎないソティアが、国王と侯爵令嬢の話に口を挟もうなんて、越権行為だと叱責されても当然だ。


 マルガレーナが上げた大きな声に驚いたのか、ユウェルリースが本格的にぐずりだす。


 その声に我に返ったように、マルガレーナが表情を改めてかぶりを振った。


「……いいえ。わたくしもつい感情的になってしまいました。陛下がこの場での会話を望まれるのでしたら、従いましょう」


 マルガレーナが苛烈な反応をしてしまった己を恥じるように視線を伏せる。風に揺れる花のような風情は、同性のソティアも見惚れずにはいられない可憐さだ。


 マルガレーナが心を落ち着けようとするかのように、ゆっくりと深呼吸し、面輪を上げた。


「陛下にお伺いしたいことはひとつだけですわ」


 マルガレーナが挑むように長身のジェスロッドを見上げる。


「わたくしは侯爵令嬢として、教養も礼儀作法も政治的な駆け引きの能力も、他の令嬢達より抜きん出ていると自負しております。そのための努力もしてまいりました。自画自賛と言われようと、わたくしほどローゲンブルグ王国の王妃にふさわしい者はいないと信じております。陛下が邪神の欠片を滅ぼすまで待てとおっしゃるのでしたら、待ちましょう。他に何か理由があって、もっと待てというなら、いつまででも待ちましょう。その程度でわたくしの意志は揺るぎません。それでも――」


 麗しい面輪に悲壮な決意をにじませて、マルガレーナが問う。


「陛下は、わたくしを王妃として迎えてはくださらないのでしょうか?」


 放たれた矢のような真っ直ぐな言葉。


 不可視の矢に射られたかのように、ジェスロッドの長身がわずかに揺れる。


 同時に、ソティアの胸も剣で貫かれたように痛くなった。


(どう、して……?)


 わけがわからず、心の中で呟いた瞬間、気づく。気づいてしまう。


(私……。陛下のことを……っ!)


 不意に自覚させられた恋心に、ソティアは心の中で必死にかぶりを振る。


 だめだ。絶対にだめだ。そんなこと、あっていいはずがない。


 しがない男爵令嬢に過ぎないソティアなんかが、ジェスロッドに恋などしていいはずがない。


(ご立派な陛下には、マルガレーナ嬢のような非の打ちどころのないご令嬢こそがお相手にふさわしいのだもの……っ)


 不意に気づいてしまった恋心から目を逸らすように、ソティアは必死で自分がジェスロッドに釣り合わぬ理由を考える。いや、考えるまでもない。


『やっぱり女は可愛くて小さいのがいいよ。』


『あんな女と結婚して一生連れ歩かないといけないのかと思うと、ぞっとするね』


 脳裏に甦るのは、元婚約者の吐き捨てるような侮蔑だ。


 隣に並ぶことさえ嫌がられる地味でのっぽなかかし令嬢。


 元婚約者だけでなく他の令息達もソティアがそばに行くといつも迷惑そうだった。当たり前だ。誰が自分と同じくらいの背の令嬢に横に並ばれたいだろう。


 けれど。


『ソティア嬢は何も悪くなどないだろう?』


『少なくとも、俺にとっては隣にいて落ち着く高さだ』


 ジェスロッドの穏やかな声が耳の奥に甦るだけで、嬉しさに涙があふれそうになる。


 初めてソティアの背の高さを悪くないと言ってくれた人。


 何気ないあの言葉がどれほどソティアの心を癒やしてくれたのか、きっとジェスロッド自身は知るまい。


 それだけではない。ユウェルリースのお世話係として来てくれてよかったとソティアの働きぶりを認めてくれ、お詫びだと素敵なお菓子まで贈ってくれ――。


 あんな風に家族以外の誰かに気遣ってもらったのは生まれて初めてで。


(ジェスロッド陛下ほど素敵な方はいらっしゃらないわ。令嬢みんなの憧れだもの。でも……っ!)


 だからと言って、ソティアなんかが恋していい御方ではない。


 この想いは、決して実ることはないのだから。


 ずきずきと軋む胸の痛みを押し隠し、ソティアは必死で理性を奮い立たせる。


 先ほどマルガレーナが口にした主張は、誰が聞いてももっともだと考えるだろう。


 この十日間を聖獣の館で過ごす中で、家格の高さというだけでなく、彼女自身の品位と才覚によって他の令嬢達から一目置かれているマルガレーナが、わがまま放題を言う令嬢達をさりげなく統制していたのは、ソティアも感じていた。


 もしマルガレーナがいなかったら、令嬢達はさらに高慢にふるまい、聖獣の館の侍女達にもっと無体な行いをしていたに違いない。


 王妃として――ジェスロッドの隣に並び立つに最もふさわしい令嬢はマルガレーナしかいない。


 理性ではわかっているというのに――。


 いますぐ、この場から逃げ出したい。


 ジェスロッドがマルガレーナを受け入れる言葉を、すぐ近くで聞きたくない。


 けれど、ソティアが退席を願うより早く。


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