35 こんな暴挙を許していいはずがない!


「何ですと……っ!?」


 ローゲンブルグ国の王城のアルベッドに与えられた豪奢ごうしゃな部屋で、口々に驚愕の声を上げる貴族達を、アルベッドはソファーにゆったりと腰かけて眺めた。


「そ、それは真でございますか……っ!?」


 信じられない、と言わんばかりの顔で遠慮がちに問うたのは、集まった七人ほどの貴族達の中で最も老年の伯爵だ。


 己の言葉が疑われたことに不満の色も見せず、アルベッドは鷹揚おうように頷いてみせた。


「貴公らが信じたくない気持ちはよくわかる。これは、長年、ローゲンブルグ王家に忠誠を誓ってきた貴公らに対する裏切りと言っても過言ではない」


 あえて言葉を区切り、重々しく告げる。


「――まさか、本当はジェスロッドが邪神を封じ切れていなかったなんてね」


「皆様方! アルベッド殿下がおっしゃることが真実であるならば、看過できることではありませんぞ、これは!」


 声を張り上げたのはオーデル伯爵だ。


 芝居がかった仕草で一同を見回しながら、オーデル伯爵が憤懣ふんまんやるかたないと言いたげに声を張る。


「ローゲンブルグ国王の最大の務めは、聖獣とともに邪神を封じること! だというのに、我々が聖域に入れないことをいいことに、よもや封じてもいない邪神を封じたと我らをたばかるとは……っ! 神をも畏れぬ所業と言うほかないっ! それどころか……っ!」


 オーデル伯爵が言葉を切り、おもむろに一同を見回す。


「我が娘のソラレイアは、現在、聖獣の館にて、ユウェルリース様のお世話係を務めておりますが……。なぜ急に、令嬢達が聖獣の館に集められたのか、皆様はご存知でしょうか?」


 かぶりを振る貴族達に、優越感に満ちた笑みを浮かべ、オーデル伯爵が言を継ぐ。


「娘が言うには、なんと聖獣ユウェルリース様は、邪神との戦いで力を使い果たし、赤子の姿となっているそうなのですっ! 邪神を封じられなかったばかりか、頼みの綱である聖獣様をかよわい赤子の姿にしてしまうなど、言語道断! 国王の責務をないがしろにしていると言うほかありませんっ!」


 憤然と告げるオーデル伯爵の熱弁は止まらない。


「しかも、ソラレイアが言うには、邪神の欠片はいまも聖域内に潜んでいるとのこと……っ! 幸いにも我が娘は無事に聖域から出てこられましたが、ひょっとすると、陛下は貴族達の不満を封じるために、人質にするつもりで大切な娘達を余人が入れぬ聖域に集めたのやもしれません! こんな暴挙を許していいはずがありませんっ!」


 よく回る口だと、アルベッドは内心の侮蔑が顔に出ないよう注意してオーデル伯爵を見やる。


 アルベッドが密かに集めた情報では、聖域に入る乙女達を集めた際、オーデル伯爵は自分の娘を王妃にしようと真っ先に名乗りを上げたはずだが、見事なほどの手のひら返しだ。


 いまやオーデル伯爵の頭の中には、アルベッドをローゲンブルグ王国の新たな王としていただき、己の娘をアルベッドに嫁がせることしかないに違いない。


 見下げた権力欲だが、だからこそ使いやすい。耳ざわりのよい甘い言葉を聞かせてやれば、こちらの思いどおりに動いてくれるのだから。


 オーデル伯爵の勢いに押されたかのように、他の貴族達も口々に顔をしかめて口を開く。


「まさか、陛下が……。ですが、それが真実であれば、由々しきことですぞ」


「では、邪神封印を祝う宴の準備をしているのも、本当は邪神を封印できていないことをごまかすための虚偽だと……!? なんと卑劣な……っ!」


「そのような御方には見えませんでしたが……。やはり、まだお若くていらっしゃる。お父上のあとを継いで、邪神封印という大役を担うには、あまりに未熟だったということですかな」


「まあ、そうジェスロッドを責めないでやってくれ」


 うまくあおられてくれた貴族達の反応に、内心ほくそ笑みながら、アルベッドは穏やかな声音で貴族達をなだめる。


 アルベッドは、決して何ひとつ嘘は言っていない。


 ジェスロッドが邪神を完全に封印しきれなかったのは、本当のことだ。邪神の欠片は、まだ確かに、聖獣の館のどこかに潜んでいる。


 それを勝手に解釈して吹聴したのはオーデル伯爵だ。アルベッドは、ただ『信頼しているきみには打ち明けておきたい大切な話があってね』と話しただけだ。


 それを『ジェスロッドが邪神の封印に失敗した』と解釈したのは、オーデル伯爵の勝手だ。


「何としても国王の務めを果たさせねばと、ジェスロッドなりに努力した結果なんだ。わたしはその場で邪神を封じる戦いに助力したが、気の毒なくらい緊張していてね。ユウェルリース様が赤子になってしまうほど、力を使ってしまうのも、仕方がないという有様だったよ」


 ひとつ吐息したアルベッドは、いかにも沈痛そうに顔をしかめてみせる。


「だが、謝罪せねばならぬのは、わたしのほうだ。こういった事態を引き起こさぬために、貴公らの要請を受けて、ジェスロッドとともに邪神との戦いに挑んだというのに……。聖剣ラーシェリンがない状態ではあまりに無力でね。邪神に手傷を負わせるだけで精いっぱいだった」


「何をおっしゃいます! 聖剣も持たずに邪神と相対するなど、並の人間では到底できることではありません!」


 悔しげに告げたアルベッドの言葉に、即座にオーデル伯爵が応じる。


「もしアルベッド殿下が聖剣ラーシェリンをお持ちであれば、邪神の封印もつつがなく終わっていたに違いありませんっ!」


「済んだことを言っても仕方がないさ、オーデル伯爵。だが……」


 貴族達の視線を集め、アルベッドは表情を引き締めて、すこぶる生真面目に告げる。


「バーレンドルフ王国の王太子と言えど、わたしもローゲンブルグ王家の血を引くひとり。聖剣ラーシェリンをこの手にしたあかつきには、わたしが全身全霊を懸けて邪神を封印すると貴公らに誓おう」


 アルベッドの宣言に、貴族達が「おお……っ!」と感嘆の声を洩らす。


 ジェスロッドが邪神を封印し、赤子になったユウェルリースを抱えて出て行った際に邪悪の残滓ざんしを見たが、あの程度なら聖剣ラーシェリンさえあれば、たやすく葬れるだろう。


 いや、ジェスロッドを葬るためには、もう少し力をつけてもらわねば困るのだが。

 もしアルベッドの手に負えないほど強大になれば、それこそ封印したと偽ればよいのだ。


 真実を確かめられる者は限られているのだから。


 アルベッドはくつりと小さく喉を鳴らす。


 ジェスロッドが邪神の封印に失敗したという噂を流して権威を失墜させ、彼が取り逃がした邪神を、アルベッドが聖剣を手に華麗に倒してみせる……。


 そうなれば、王位継承権第二の弟王子を飛び越えて、アルベッドを新王にと望む声は無視できぬほどに大きくなるに違いない。


 アルベッドの言葉に疑わしいところがあったとしても、ここに集まった貴族達は、ひとりとして聖域に入れない。だからこそ、いかにももっともらしい噂を流すのが重要なのだ。


 人はみな、自分の信じたいものしか見ないのだから。


 ここにいるのは権力欲が強く、まだ若いジェスロッドを王に戴くことに不満を持つ者ばかりだ。


「さすが、アルベッド殿下でございます! ジェスロッド陛下は、おとなしくアルベッド殿下に聖剣をお譲りするべきですな!」


 大声でおべっかを使うオーデル伯爵を内心は冷ややかに、表面上はにこやかに見ながら、アルベッドは算段を巡らせる。


 邪悪の欠片に気づいたらしいジェスロッドは令嬢達を聖獣の館から出したようだが、まだやりようはある。


 先ほどオーデル伯爵は娘が無事に戻ってきたと言ったが、真実は違う。他の令嬢から聞いた話では、ソラレイア嬢は邪神の欠片に囚われ、ジェスロッドに襲いかかろうとしたのだという。


 あいにくジェスロッドに撃退されたらしいが、まだまだいくらでも方法はある。


 令嬢の話によると、ジェスロッドが国境付近へ会談へ行っていてなかなか姿を現さなかったため、また、王妃の座を狙う令嬢達が一堂に集まったため、聖獣の館の雰囲気はかなりぎすぎすしていたのだという。


 さぞかし、邪神の欠片は負の感情を喰らうことができたに違いない。


 後は、ソラレイアのように、邪神の依代よろしろとなるべき者を聖域内に送り込むことができれば……。


 いや、聖獣の館の侍女達の誰かでもいい。慣れぬ赤子の世話に令嬢達の世話と、さぞかし鬱憤うっぷんが溜まっていることだろう。


 聖域で出会ったユウェルリースを背に負って洗濯物を干していた背の高い侍女を思い出す。


 ユウェルリースは火がついたように泣いていたあんなに癇癪かんしゃくが強い赤子の相手をしていれば、さぞ不満を抱いていることだろう。


 さて、どうするか……。と貴族達が褒めそやす声を聞きながら、アルベッドは算段を巡らせた。


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