第32話 クラブ《海乃》にて

『臨時休業』と書かれた紙が貼ってある扉を静かに開けると、懐かしい顔がカウンターに座っていた。

 と、言っても会社が隕石で消滅してから1年もたっていないので、海乃幸の姿は髪型が変わったことしか分からない。

「あれ、押本君だけなの? 凛子ちゃんは?」

「なんかシステムにエラーがあったそうで、そっちを調べてますよ」


 海乃幸がグラスにウーロン茶を注いでくれた。ソファに小麦色の女の子が座っている。この娘がQちゃんだろうか。二人ともログインしていないので助かる。

『あの店は上野の魔窟だからね、入ったら二度と太陽を拝めなくなるよ』

 渋谷のギルド長から脅されていたのだ。開店のお祝いに胡蝶蘭を送っただけで、実際に店に入るのは今日が初めてだ。


「何があったんです?」

「これよ」

 海乃幸の手に、銀色の丸い盆が光っていた。


~昨日~

『お盆の角度は垂直に! しっかり持たないとお酒がこぼれるからね!』

 ダークエルフのQは銀色に光る盆を左手に持ち、右腕をその中に吸い込ませていた。

『手を入れる時も取り出す時もゆっくりと。ボーイがキッチンのお盆にグラスを置いてるから、指先が触れたら倒さないように注意して!』


 Qが丸い盆から右手を引き抜くと、キッチンルームにあるはずの水の入ったグラスを掴んでいた。


『ど、どうなってるんですか?』

 黄色いツノが生えたデーモン嬢は、Qが持つ盆に恐る恐る指先で触れた。

『私の魔法で二つのお盆が繋がってるだけよ。ほら、さっさと手入れてっ』

『ひぃぃっ』

 Qはデーモン嬢の腕を掴むと銀色の盆に突っ込んだ。

『Qちゃんっ、もっと優しく教えてあげて』

『怖くないのにっ』


『あ、あれ? これ……何ですか……?』

 盆からゆっくりと手を引き抜いたデーモン嬢は、それを落としてしまった。

〝ゴトンッ!〟

『痛てっ!』

 黒い頭巾を被った男の子の頭が、テーブルに転がっていた。


「昨日の夕方の話よ。ブンちゃんは気を失うし、私とQちゃんは程よくパニックになったわ」


 俺は海乃幸から問題の盆を受け取って調べたが、どこをどう見てもステンレス製のありがちなトレーであった。

「今はログオフしてるからQちゃんの魔法はかかってないけど、基本的には単なるお盆ね」

「で、忍者の首は今どこに?」

「ここだよ……」

 Qが膝に乗せていたバスケットをテーブルに置くと、蓋を開けた。

「今は眠ってるけど」

 タオルに包まれた男の子の頭が寝息を立てている。なるほど、黒い頭巾は忍者が着る衣装のようだ。


「話はできたんですか?」

「ええ、名前はコンノタカユキ君、7歳。大阪の豊中に住んでるって」

「東京までは家族と来たんですかね」

「いいえ。昨日の夕方頃、家の近くの神社で遊んでたら、いつの間にかお盆に乗ってたそうよ」

 ほんのちょっとだが、話が見えてきた。


「その、盆を繋げる魔法というのを見たいんですが、東京と大阪ぐらい離れていても可能なんですかね」

「それは無理かな、遠すぎるよ」

 Qがスマホを取り出してログインすると、色っぽいダークエルフに変わった。確かにここは魔窟らしい。


「トランセット!」

 Qは二つの盆を手に持って呪文を唱えると、一つをカウンターに置いた。

「この魔法って、本当は二つの場所を繋げて、人が通れる扉を作るものなんだ。私はお盆を繋げてるけどね、お客さんにウケるし」

「つまり、人が離れた空間を移動できる魔法か」

「そーいうことっ。ほら、面白いっしょっ」

 丸い盆に突っ込んだQの右腕が、カウンターの盆から伸びて手を振っている。まるで金属の円盤に腕を載せて飾っているようだ。


「触っても大丈夫かな」

「いいよ、どうせなら握手握手っ!」

 俺は盆から伸びている長い爪の華奢な手をそっと握った。

「えいっ」

 俺の腕は、引っ張られると盆の中に消えた。


「あははっ! こっちこっち!」

「押本君、後ろよ」

 見ると、Qが持つ銀色の盆から俺の手が生えていた。

「なるほど……」

 店の中で離れている二つの盆は、一つの時空で繋がっているのだ。

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