第24話 悪の魔術師の工房に到着
絶壁の中途に掘られた、暗い洞窟。
魔術の松明で照らされた地面には大きな魔法陣が描かれていた。そのそばには檻があり、6,7人の女性たちが鎖に繋がれている。それを見据えるのは、黒いローブをすっぽりとかぶった、瘦身の男。
深淵の魔術師ダグラス・ディレッド。
ダグラスは細い肩を震わせ、歓喜に酔いしれていた。
「ようやくこの時がきた……」
両手を突き上げ、ダグラスは哄笑を上げた。
「ようやく私の才覚を世に知らしめる日がきたのだ!」
細い腕が鉄格子を掴み、魔術師は檻の中を覗き込む。女性たちは一様に怯えた表情になるが、ダグラスはまったく構わない。
「見ているがいい、魔術同盟の俗物共め。長かった。ああ、実に長かった……っ。今日という日をどれほど待ちわびたかことか!」
「わ、わたしたちを家に帰して……っ」
女性のひとりが勇気を振り絞った様子でそう言った。しかしダグラスは一笑に伏す。
「無理な相談だ。お前たちはこれから魔術の贄となるのだから」
「贄っ!? どうしてそんなことをするの……!?」
「良い質問だ」
三日月のようにダグラスの口角が上がった。
「そう遠くない将来――太古の魔王が蘇る!」
講義する教師のように朗々と声が響く。
「私は魔族の文献からそれを察知し、魔王への対抗策を編み出した。それがこの魔法陣、『異界の神』を召喚するための儀式だ。呼び出された神は必ずや魔王を仕留めてくれるだろう。これは世の平和のための魔術なのだ!」
ダグラスは意気揚々と語る。
しかしふいにその表情がかげり、奥歯がギリッと鳴った。
「だというのに魔術同盟の老人共は私の天才的発想を認めなかった……! たかが数人の贄を必要とするという理由だけで!」
「ひぃっ」
ダグラスは自らの額を鉄格子に叩きつけた。皮膚が裂け、一筋の血が流れるが、一向に構う様子はない。鬼気迫る目が女性たちを見据える。
「今日この日、私はお前たちの命を持って儀式を完遂する。そうして『異界の神』を降臨させ、我が行いの正しさを老人共に認めさせるのだ……!」
血を拭きもせず、ダグラスは洞窟の入口の方へ視線を向ける。
「あとひとり! あとひとり贄が届けば儀式を始められる! 我が使い魔のなかでも最強のドラゴン、ヒュードランがまもなく最後の贄を連れてくるだろう。そうなればお前たちは晴れて平和への礎となれるのだ。名誉なことだろう? 私に感謝するがいい」
「そんな……っ」
「くくくっ、助けを願っても無駄だ。魔術同盟や騎士団に気取られぬため、わざわざモンスター共を使い魔にして暴れさせた。誰もがその脅威にのみ着目し、ひとりやふたりの人攫いには気づかない」
「で、でもモンスターが暴れているなら、王都や地方領地から討伐隊が来てくれるはず……っ」
「否、否、否! そんなことは先刻承知よ。もしもモンスターの討伐隊が来ようとも、我が工房は最強の五体の使い魔によって守らせている。我が使い魔はすべてがS級モンスターだ!」
「え、S級……」
「理解したか!? 五体ものS級モンスターを突破できる討伐隊など存在しない! つまり私の儀式を阻むものは何もないのだ!」
悪しき魔術師は自らの栄光を確信し、恍惚の表情で天を振り仰ぐ。
――その瞬間だった。
突然、洞窟が激しい振動に襲われ、入口側の天井が崩れ出した。ダグラスはワケが分からず、瞠目する。
「な、なんだ……!?」
グオオオオオオオオオオッ!
咆哮を上げて姿を見せたのは、巨大なドラゴン。
「ヒュードラン!? なぜ工房を壊すのだ!? やめろ! この部屋の魔法陣は精緻な計算の上で描いてあるのだぞ……っ」
「あー、そうそう。コイツからそう聞いたから俺がやらせたんだよ。とりあえず洞窟に突っ込め、ってな。さらわれた人たちの檻は奥に置かれてるってことも聞いたしさ」
「みなさーん! 助けにきましたー!」
ヒュードランの背中から2人の人物が顔を覗かせた。
どちらも若い。少年少女といっても差し支えない年頃だ。
助けにきた、という言葉を聞き、檻の中の贄たちが沸いた。一方でダグラスは怒りを隠さず声を張り上げる。
「ヒュードラン、なんだその者たちは!? なぜ私以外の者の言うことを聞いている!? 契約を忘れたか!」
ローブの懐からタリスマンを取り出し、これ見よがしに掲げた。ここにはヒュードランの血が封じてあり、主の意志一つで命を奪うことができる。侵入者共が何者かは知らないが、ヒュードランの裏切りは自殺行為だ。
「『我は賭けることにしたのだ』」
「賭けだと?」
「『ああ。我を倒したこの男は貴様より――そして太古の魔王よりも強い』」
「何を馬鹿なことを……!」
「あっ、それがヒューちゃんの言ってた、契約のタリスマンだね。レオ、やっちゃって!」
「しゃーないな。よっと!」
少年が指を振った。
その途端、烈風が吹き荒れて、なんとタリスマンが砕け散った。
「なにぃ……!?」
「『はっはっ! こういうわけだ、主……いや元・主よ!』」
シュウウウッと音を立てて、ヒュードランの腹の紋様が消えていく。契約が解除されたのだ。
「馬鹿な!? 不測の事態に備え、タリスマンには何重もの魔術的防御をしていたのだぞ!?」
「そういうのは効かないみたいだな。なにせこっちは聖剣だから」
「聖剣、だと? ――なっ!?」
少年が傍らから何かを持ち上げて見せる。
それは稲妻と風の意匠が施された、見るも美しい剣だった。
聖剣。
その名に相応しい威容と魔術的密度を感じる。
魔術師としての才覚がダグラスを絶句させた。あのような剣を持ち、あまつさえタリスマンを砕くほどに使いこなすなど、並大抵のことではない。心底からの疑問が生まれた。
「き、貴様、一体何者なのだ……っ」
「ふっふっふっ、待ってました。その質問!」
なぜか少女の方が得意げな顔になった。
「レオ!」
「へいへい」
少年に抱えられ、ヒュードランの背中から下りる。そして少女はおもむろに腰のポシェットから何かを取り出した。それは――特殊な紋章が刻まれた、金貨。
ダグラスの背筋にゾッ……と悪寒が走る。
あえりない。あれは、あの金貨が示す紋章は――っ。
「お控えなさーいっ!」
魔術師の工房たる洞窟に少女の快活な声が響いた。
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