夢師ミルカ
新多まとい
第1話 ミルカの能力
「先生、ありがとうございました」
およそ三十代であろう男性が、ミルカに向けて頭を下げた。
それに対してミルカは、特段得意げな様子もなくいつものように形式的に返答する。
「いえ、ご満足いただけたならなによりです」
感謝されることには慣れていた。ミルカは自身の能力に絶対な自信を持っていたし、事実として今の仕事を生業とし始めてから失敗したことがなかったから。失敗していたのは、まだ若く未熟だった頃の話だ。
「最初は、本当だったらラッキーくらいにしか考えてなかったんですよ。だって信じろって方が難しいでしょう? 好きな夢が見られるなんて」
「そうでしょうね」
「でも来て良かった。まさか憧れのあの人と──」
「お客さん」
男が饒舌になってきたところで、ミルカはそれを遮る。
「夢の内容は決して私に話さないように、と最初に言いましたよね?」
「あっ、そうでした。失礼しました」
男は、しまったといった顔をして口をつぐむ。
「しかし、いけませんね。止めてくれと言われていたのに、あまりにも良い体験だったものだから誰かに聞いて欲しくなってしまう。今まで私みたいな人はいなかったんですか?」
たった今止めたばかりだというのに、それでも男は今にも喋ってしまいそうなほど前のめりだ。
「いましたよ。そりゃあ嫌というほどに。というか、ほとんどがあなたみたい語ろうとして私が止める羽目になります。まあ、それだけで内容の検討はおおよそついてしまうものですがね」
ミルカの脳裏に、今までの客たちの顔が浮かんでは消える。基本的に客のことは意識的に覚えないようにしているが、それでも限界はある。
ミルカは客の夢を聞かない。聞きたくもない。人の欲望なんて、醜いものばかりだ。
「さて、お帰りはあちらです。足下にお気をつけて」
「ありがとうございました」
「あと、先ほども言いましたが、ここのご利用は一度限りです。お忘れなきよう」
「わかっています。それでは」
男は、名残惜しそうにミルカの診療所を後にした。車の音が遠ざかって消える。聞こえるのは、波が崖を打ち付ける音だけ。
「ふぅ……」
やっと一息。客が寝ている最中にミルカがやることなどほとんどないが、それでも誰かが家の中にいるというのは心が落ち着かないものである。
時刻は既に十九時を回っている。今から飛び込みの客が来ることはないだろうう。
晩ご飯をどうするか考えながら、インスタントコーヒーをマグカップにサラサラと注いだときだった。
「おじゃましまーす! ミルカいるー?」
騒がしい声と共に、玄関のドアがガチャリと開く音がした。
「はあ……あいつは……」
ミルカは呆れたようにため息をつきながら、コーヒーの瓶をテーブルに置く。そして、リビングへの扉をくぐった。
「あ、ミルカ! ご飯作りにきたよ」
「あのなあ、そろそろ俺の返事を待たずに入り込んでくることに躊躇いを感じて欲しいんだが」
フレンカはミルカの言葉が気にもかからないようで、持っていた袋をドサッとテーブルへと置く。
夜とはいえ暑いのか、タンクトップにハーフパンツという出で立ちだ。短髪の赤髪にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「だって、鍵が開いてるんだもん。開けっぱなしだと不用心だよ?」
そう言いながら、フレンカは袋をがさごそと漁っている。大根や人参と言った野菜を取り出してキッチンへと持っていく。
「こんなところに泥棒なんか来ないからな。そもそも、取られたらマズいようなものも特にないし」
「鍵を閉めれば、私が勝手に入ってくることも無くなるよ? 合鍵を持ってるわけでもないんだから」
フレンカは既に包丁で野菜を切り始めている。ミルカの家のどこに何があるのかを完全に把握している。真剣に話し合うつもりもないようで、特にミルカの方を見るでもなく会話が続く。
「それはそうだけど、それだと俺が立て込んでるときにフレンカが外で待ちぼうけを食らうことになるだろ。この家だって町から近いわけでもないし」
ミルカの家は町から車でも三十分はかかる。ミルカが人とかかわるのが嫌いで少しでも人がいない場所を求めたからである。
結局は真後ろに断崖絶壁、下には海が広がるこの地に居を構えた。過去にミルカと同じような考えを持ったであろう人がここに家を建ててくれていて良かった。格安中古で売り出されていたこの場所を見つけたとき、ミルカはすぐに購入を決意した。
「ほら、そうやってミルカはいつもなんだかんだ私のことを考えてくれるんだよね」
「俺は自分のことしか考えてないよ」
「はいはい、そうだねえ」
トントンとリズミカルに包丁の音が響く。
「はあ……ところで、何作ってるんだ?」
「今日はカレーだよ。久しぶりに食べたい気分だったから」
「いいね。じゃあ俺は肉でも切るか」
ミルカは二本目の包丁を手に、フレンカと肩を並べる。
「えー? 別にゆっくりくつろいでくれてていいのに」
「腹減ってるからな。少しでも早くできたほうがいいだろ」
「今日お客さんもいたんでしょ? 疲れてるんじゃないの?」
「大したことないよ。こうしていた方が気がまぎれる」
「そう? じゃあお願いしよっかな」
そこからしばらく、キッチンには無言で料理の音だけが響いていた。
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