蓬萊のトキ

高台苺苺

第1話 輝く幸せの世界とその境目

 最初の記憶は…どこかの緑のアスファルトの山道。新緑の木々や小さな花々が咲き、赤茶けや白っぽい少し湿った崖肌の道。鬱蒼と緑の枝を空を覆うばかりに伸ばす木々の新緑の緑。

 その時の空気も思い出せる。


 道の先には、屈みこんで両手を広げて笑う…若い両親。母の満面の笑顔。その後ろに、年老いた老人。


 みんな笑って手を広げている


 安心しておいで。

 ここまでおいで。

 ここは大丈夫。君を苦しめるものは何もない。

 ここは幸せの国。

 ここは安全の国。

 ここは愛と笑いと喜びの国。


 だから、安心しておいで。君の足で。

 ここまで歩いておいで。


 僕は迷わず、小さな足を見下ろし、そして1歩を踏み出す。白い柔らかい革靴は馴染んだように軽く、そして僕を両親達の元に運ぶ。


 輝くように笑う両親。そして祖父。


 歓声を上げる両親と祖父。そしてよちよち坂道を歩く僕を…母が抱きしめる。母の胸に飛び込む僕を…母が父が祖父が…


 優しく暖かく抱きしめる。


 がんばったね!

 エライ!エライ!

 素晴らしい!


 僕はとても嬉しく幸せで、母の膝から降りると、よちよちと歩いていく。さらに先を、木々の間に見える青い美しい空を見上げて進む。

 

 先に進む。


 母達は後ろから左右から、僕を見守り守りながら一緒に歩調を合わせて歩いていく。


 見上げると両親と祖父の笑顔。

 前の先に見えるのは美しい自然と空と空気と…広がる世界。


 そう。


 世界は優しい人達に守られ、美しい光と暖かさの輝きに満ちていて、どこまでもどこまでも楽しくきらめいていた。


 いつも母がそばにいて、毎日楽しい事を沢山教えてくれた。


 朝起きれば、抱き上げほおずりし、そして優しい朝の挨拶。抱き上げ外を見させて、その日の天候を話す。


 今日は晴れれて気持ちいいね。今日は雨だけど雨は綺麗だね。今日は曇りだけど、雲の形が面白いね。雪だね。風が強いね。花吹雪だね…。


 ご飯は毎日、美味しいね美味しいねと口に運ばれる。時々嫌な味があって吐き出しても、あらあらと笑う母。

 でも気分で吐き出すのは直ぐにばれて、怒られる。それでも食事の時間は楽しかった。


 家の中は安全で温かくて、そして大きな猫がいつも僕のそばをすりすりして歩いていた。


 いつも一緒に昼寝をしていた。

 いつも一緒に遊んでいた。

 ハイハイも猫に教えてもらった。

 猫を追いかけたくてつかまり立ちから、直ぐに歩いたと母は笑って教えてくれた。


 その猫との別れはぼんやり覚えている。

 

 目を開けると猫が僕を青い瞳で優しく見下ろしていた。そして「バイバイ、あたしの可愛い坊や。でもずっとそばにいるよ」と、そう言った気がする。


 僕も、「うん、またね。また遊んでね」と言うと、猫は目を細めてゴロゴロ喉を鳴らした。

 

 僕のそばにはいつも大きな猫がいる気がした。守ってくれる気がした。

 だから猫との別れは悲しくなかった…。

 それは僕が2歳のバースデーを迎える前だった。


 僕の周りの人達はみんな優しかった。

 

 みんなにこにこしながら、可愛いねえ、素敵だねえ、素晴らしいねえ、いい子だねえ、と、笑ってキラキラした言葉をシャワーの様に浴びかけさえてくれる。


 小さなお兄ちゃん、お姉ちゃん、大きなお兄ちゃんお姉ちゃん。毎日のように誰かが会いに来てくれて僕を抱きしめてくれる。ほおずりをしてくれる。


 外に出ても楽しい事、キラキラしたことが沢山あった。


 覚えているのは、小さな川沿いの両側に並ぶ桜並木を、黄色のベビーカーに乗せられて進む僕。

 その横には大きな白い犬と色々な色が混ざった犬が歩いている。

 

 嬉しそうな顔で僕を覗き込みながら、守るように両側を歩く。そしてすれ違う癇癪持ちの犬達がい吠えると、激しく吠え返し威嚇し黙らせ、そして僕の顔を、「大丈夫だよ」と、ペロリと舐める。ぺろぺろ舐める。それがご褒美の様に。


 後で聞いた話だが、その犬達は全く関係ない、散歩の時に会う飼い犬だったそうだ。


 野良猫がどこからともなく毎回必ず現れて、にゃーんと鳴いてすろすりしてきたり、ベビーカーの僕の上にのっかり丸くなって、ざらざらの舌で舐めたりもしたそうだ。

 僕は外にでると、「にゃーん!」と呼ぶ。そうすると猫は「にゃーん!」と走ってきてすりすりしたそうだ。


 僕は不思議と犬にも猫にも愛される子供だったと両親は言う。


 近所の公園でピクニックシートを広げて座らせた途端、周囲に離されていた飼い犬たちが一斉に駆け寄り、母が犬達の飼い主達が悲鳴と絶叫を上げる間もなく、僕が犬達にもみくちゃにされた話は有名らしい。

 

 しっぽを振る犬達にもみくちゃにされながら、べろべろ舐めまくられながら、僕はその真ん中で手足をバタバタさせながら、きゃっきゃと笑っていたそうだ。


 世界はきらめいていて暖かで、みんなは僕の事が大好きで、敵とか悪意とかはほんの少ししか知らなかった。


 毎日毎日、自然の中で母達はいろんなことを教えてくれた。

 

 絵本、人形、ゲーム、水遊び、近所の子達とプールを路地に沢山並べてみ遊ぶ。 

 おじいちゃんと海。大きな穴を掘り水たまりができて小さなプールになる。泡を吹く穴を掘るとカニがいる。

 おじいちゃんが石をどけると不思議と小さなカニが現れる山の川。

 虹をはじく小さな滝。

 ほかほかの温泉。みんな僕を抱いては言ってくれた。


 クリスマスツリーの点灯式。おかあさんとおばあちゃんと作るシナモンの香りの薄いクッキー。

 

 神社、お寺。太鼓の音、お囃子、着物の袖が翻り、浴衣の着物の匂い。

 青い畳の匂い。

 秋の気配。

 冬の匂い。雪の冷たさ。


 春の暖かさ。ふきのとう、つくしを沢山つんだらごはんになった。フキを取れば母が甘く煮てくれた。

 父の田舎から沢山の山野菜が届いて天婦羅。美味しいね。


 母が素手でとる虫たち。空に飛んでいく虫たち。

 庭に沢山いるカナヘビ。近所の女の子とバケツいっぱい取って見せたら、母は笑ったけど女の子のお母さんからは滅茶苦茶怒られた。


 児童館でのひな祭りは押し寿司ケーキを作ってみんなで食べた。


 そして幼稚園。

 そこで近所で遊ぶ子達と別れた。でも新しい友達がたくさんできた。意地悪な子も意地悪なおばさんやおじさんもいた。

 何を言ってもしても僕を怒る先生もいた。


 でも世界はきらきら輝いていて、両親はいつも笑ったり怒ったりしながら、毎日が幸せだった。

 

 みんなで高尾山に登りにいったり。山頂で食べたおにぎりおお蕎麦の味は今でも覚えている。どこまでも続く美しい赤と黄色と緑の山々。

 帰り道の山道で歌を歌いながら降りて行ったら、登ってくる人達が笑って教えてくれた。

「君たちの歌う声は、下の麓近くの山道まで響いていたよ。その歌声の子達あえて嬉しいよ」


 さよならと手を振る。みんなでバイバイ。


 桜の公園で友達とママ達とお花見。桜吹雪の中をみんなで走る。お母さん達は沢山のお弁当を広げて笑っている。みんな笑っている。

 

 海に行って、みんなで古い畳の上で雑魚寝した。みんなで古いタイルのお風呂に入った。


 盆踊り。女の子のような可愛いふわふわの浴衣を着たいと泣いた日。その時、初めて「女の子」と「男の子」は違うのだと気づいて驚いた日。

 

 七五三はお父さんが子供の頃に来た着物だよと、僕に似た古い写真の男の子写真を見て驚いた。もっと古い写真はおじいちゃん、そのおじいちゃん。

 みんな似ていててびっくりした。タイムスリップしたみたいだ。


ハローウインでみんなで「trick or treat!」と、アメリカというところから帰ってきたお兄ちゃんに教えてもらい、かぼちゃの印のついた家の前で叫ぶと、ニコニコの大人が沢山のお菓子をくれた。

 それをみんなで公園で食べて遊ぶ。

 

 沢山のドラキュラにミイラに魔女にお姫様に猫や犬が走り回る。知らない子達も混ざってみんなではしゃいで遊ぶ。


 夏の花火。みんなで歓声を上げて花火をする。近所のおじいちゃんおばあちゃん達も椅子を出してニコニコしながら見ている。


 豆まきもしたよ。寒い冬の夕方に誰かが「ふくわーうち!」と叫んだら合図。みんなで窓を開けて豆をまきながら叫ぶんだ。

「ふくわーうち!」「おにわーそと!」


 年越しは眠い目をこすって、冷たい夜の道をみんなで歩く。お母さんが持っている破魔矢の鈴が、ちりちり鳴って不思議な感じ。

 夜なのに沢山の人達。大きな焚火が夜空にぱちぱちと火の粉を飛ばす。

 誰かが「火事になりそう」と呟くと、別の人が笑って言う。


「昔からご神木様の枝葉で火の粉を防いで、遠くまでは飛ばないんだよ」と。


 そのご神木様はオレンジの光や、白いライトに照らされなんだかすごく…怖いような綺麗なような不思議な気がした。

 その焚火の周りで飲んだ甘酒は美味しかった。


 幼稚園では友達と段ボールで電車を作って、毎日先生や友達を乗せたよ。あまりにやり過ぎて、他の事もしなさいと言われたので、今度はバス、次はタクシーを作ってお客さんを乗せたよ。


 春になると、入り口でママのそばを離れたくないと泣いている子達を、僕たちのタクシーや電車で迎えに行くと喜ばれた。でも「それはダンタイ行動ではない!」と、目を三角にして起こる体操の先生にいつも壊されて悲しかった。

 

 でも次の日にはバスの運転手さん達が、こっそり段ボールをくれるから平気だよ。


 バイオリン発表会、ピアノ発表会、バレエ発表会、日舞発表会、ダンス発表会。みんなの習い事の発表会に大きな花束持って行った。みんな笑っていた。


 小学生にるよと言われて、ランドセルを貰った。大きな黒いピカピカのランドセル。重いけど嬉しかった。


 桜吹雪の中を着物を着たお母さんと、にこにこのお父さんと手を繋いで学校に行く。どきどきした。


 知らない子達が沢山んいる教室。いままで全然違う教室。空気。そして先生。

 

 眼鏡をかけた若い女の先生とお祖母ちゃんみたいな先生が笑う。


「学年主任の「やまおかせんせい」です。そして彼女が、みんなのクラス担任になる、「しばた つきこ せんせい」ですよ。みなさん、大いに学んで友達を沢山作って、楽しい1年にしましょうね」


「はい!!」と、皆が大きな声で手を挙げて言う。僕も嬉しそうに笑って言う。


 クラスには幼稚園と同じ子が数人いた。直ぐにみんなで集まり、これから起こるワクワクな事を話した。みんな楽しい事が起きるのを信じていた。


 世界は光に満ちて暖かくて僕達はみんなから愛されて幸せだった。


 その2週間後、僕の筆箱がランドセルの中から無くなった。

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