第43話 過去の意思は嘘では欺けない
「ん?」
魔物を扇動している少女が、無機質なまでに怜悧な桜の瞳が招かれざる客の存在を認める。
漆黒の髪を揺らし、黒衣も倣って向きを変えると、加古川は義腕を握り締めた。左手にナイフを掴んで横へ視線を送ると、零羽もまた己が得物を構えて臨戦態勢を整えている。
「……随分と元気そうじゃねぇか。これでも心配してたんだがな」
とはいえ動揺を隠し切ることまでは不可能であったか、絞り出した声には明確な震えが乗っていた。
対して、少女は失踪以前とは明確に異なる調子で言葉を綴る。
「だったら心配のし損だね。見ての通り、僕は元気だからさ」
「お前は誰っスかッ。伊織じゃねぇなら、あの日に死んだのはどっちなんスか?!」
加古川との会話に割り込み、激を飛ばした零羽の表情には憤怒が滲み出る。
彼からすれば見知らぬ誰かが知り合いの名を無断で利用している状況。語気が荒くなるのも自然というもの。
憤激に身を震わせる少年の姿を認めてか、もしくは彼の怒りに理解が及んでいるのか。
少女は前髪を乱雑に掴むと、引き千切らんばかりに力を加えた。不安定な精神が表情を歪めさせ、漏れ出る吐息が足元から照らし出す赤に染まる。
「そんなの決まってるでしょ、あの日死んだ方が一人よ……!
伊織があんな死に方していいはずが、死ぬ訳がないでしょッ。一々思い出させないでよ、気持ち悪いッ!」
「おやおや、闇の聖女は現在取り込み中なのだが。同窓会なら事前に連絡して貰わないと」
魔物の殉教に滞りが見えたためか、黒衣のローブに身を包んだ男性が二人の前に立ち塞がる。
薄い金髪を僅かに覗かせ、形のいい碧眼は冗談を交えた口調の割に苛立ちで僅かに歪む。
当然、零羽からは長槍の切先を注がれるも、それで表情に与える変化は絶無。人を殺傷し得る刃物を前にして、余裕だと口外に主張するが如く微動だにしない。
「その服装、お前も到溺教会の……!」
「猊下を務めているドライコーン・ビューラーと申します。入信の予定がない貴方達に名乗る必要はないのだが、ま、いいだろう」
「ビューラー……?」
苗字に聞き覚えがあった加古川は呟くものの、今気にすべきことでもないと脳の隅へ意識を追いやる。現在意識すべきことは伊織の確保、そして明らかに異質な行為の目的と、場合によっては対処である。
故に腰を低く構え、左手でスターターを引き抜き義腕を戦闘用の出力にまで向上させた。
「これはいったい何の儀式だ。少なくとも、伊織の魔法で魔物を排除しているだけのようには見えねぇぞ。カルト猊下様?」
「何って、見て分からないか。竜種に餌を与えているんだよ」
「竜、種に……?」
「餌、だと……?!」
ドライコーンの主張を裏づけるように、空間に轟く破滅の咆哮。
大気を震撼させる終わりの主は、先程まで供給されていた餌が滞ったことで飢えを主張する。聞くも悍ましき音に魔物達も身を竦ませるものの、僅かに腕を振った伊織の手とたった一言だけで一斉に動きが収まる。
「動くな」
多少の仕草で挙動を制限する様は掌握などという領域のものではなく、支配や洗脳という言葉すらも連想させた
豹変した態度に零羽が皮肉を飛ばすと、伊織は途端に表情を歪める。
「へっ、魔物を操って大物気取りスか。キャラ変にしてもちょっと露骨過ぎるんじゃないスか、飛田貫一人さん?」
「うるっさいなぁ一々ッ。そっちは死んだって言ってるでしょ、信じろよ。僕の言葉を!」
「だったら信じれる態度を取って欲しいっスね!」
長々と会話に付き合うつもりはない。
拒絶の意思を込めて突き出された槍を、身を捩って回避するとドライコーンは左手に魔素を集約。
紫毒の力が高密度に圧縮され、男の言葉を合図に数秒と経たずに解き放たれた。
「神の意思よ!」
「魔法、スか……!」
攻撃の直後を狙われては、回避もままならない。
魔素の塊が直撃し、全身に迸る衝撃は彼の身体を一方的に押し出す。地面に数メートル単位の轍を刻むと、険しい顔つきで下手人を睨みつけた。
対して加古川は彼に手を差し伸べることもなく、ドライコーンの脇を擦り抜けて駆け出す。
元より二人の目的は伊織。更には竜種への餌供給に魔軍掌握を利用している点からも、ひとまず彼女の確保が最優先であることは明白であった。
故に加古川はナイフを振るって行く手を遮る魔物を切り裂き、義腕を握り締めては乱雑な殴打で肉体を霧散させていく。
未だ指揮権を担っている伊織からの指示が出ていないためか。魔物達は抵抗する術も持たず、次々と加古川の手で鏖殺される。そして無抵抗であるならば、元一級冒険者にとっては単なる数だけの寄せ集め同然。
「そんなとこで踏ん反り返ってんじゃねぇよッ。帰るぞ!」
「帰る……?」
伊織の下まで後数メートル。
両の得物を振るう手が加速していく中、伊織はやおら右手を翳した。
「いったいどこにさ?」
そして開かれた掌が閉じ、同時に加古川の前で異変が生じる。
咄嗟に足を止めた手前で、魔素が収束を開始していた。一瞬、ドライコーンがやって見せた魔法を想起させるも、魔物の使役という彼女の魔法とは系統が著しく異なる。
数個に分裂した紫粉はやがて人型に酷似し、さりとて純粋な人間とは言い難い体躯へと形を歪めた。
両腕が奇妙に長い子供体型と、足の関節が四足歩行の動物を連想させる形状の大人へと。
「
これが、魔物の使役が成す究極系だってさ」
硝子を撒き散らすように、不定形であった魔素が砕かれる。
内より生み出されたゴブリンとウェアウルフの咆哮によって。
「僕だって……加古川を殺したくはないよ。だからさ、帰ってよ。
ほら、こんな奴は助ける価値もないってよく言うでしょ」
諦観の念を震えに乗せ、伊織と名乗る少女は言葉を紡ぐ。
魔物を使役する絶対的な力を以って。
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