第38話 全てに影を作るように
「ふむふむ……つまり偶然ダンジョンに繋がる穴に落っこちちゃった所をそこの外側冒険者に助けられた。けどそれはいいものの、そこで回復薬を使って貰っちゃったからその補填をするために一緒にダンジョン潜ってるってことスか?」
頭を掻きつつ、零羽は伊織と加古川の二人から受けた説明を、自己解釈を加えた上で反芻する。
というのも、二人の説明には意識的か無意識か、互いにとって都合のいい解釈や意図的なボカしが含まれていた。故にどちらかの言い分を耳にしているだけでは正しい答えになるとも思えず、結果的に中卒なりに頭を使う必要が生まれたのだ。
説明を終え、指差された加古川は呆れ気味な表情で応じる。
「そそ、漸く話の分かる奴が出てきたな。つう訳でそこの馬鹿にさっさと金払えって言ってくれよ、知り合いなんだろ?」
「馬鹿って何ですッ。それにさっきから言ってますけど、回復薬以外にも色々と払うものが……!」
「だぁかぁらぁ、そっちはいいからさっさと家に帰って財布を持って来いって言ってんだよ。てかなんで制服とかは回収して肝心の財布は取って来ねぇんだよ、頭沸いてんのか?」
「酷くない?!」
二人のやり取りを目撃している零羽は、当初こそ加古川に怪訝な目線を向けていた。が、近しい間柄であることを予想させる会話は、まかり間違っても伊織が苦役を強要されているとは思えなかった。
むしろ彼女の方から追加の支払いを申し出ている辺り、関係は良好なのだと結論づけるのもそう長くはない。
だからこそ、零羽は背中の長槍に手を添えて一つの疑問を口にする。
「しっかし、伊織も随分と律儀になったもんスね。昔だったら回復薬の値段をケチる方向でゴネてたでしょ」
「へ、そ、そんなアレなことしてたっけです……?」
「そりゃもうゴリゴリに。五回に一回は自販の金をおねだりしてたじゃないスか」
旧知の仲である零羽の言葉に嫌らしく口端を歪めると、加古川は二やついた目つきで伊織を見つめた。
揶揄うタネができたと上機嫌な様子を露わにするも、相手の表情を一目すると続く弁を述べる意思を挫かれる。
一方の少女はどこか青ざめた顔色で零羽の顔を、二の句を告げる口を睨みつけた。
「そ、そんなの……」
「おいおい、俺はこう見えて嫉妬深いんスからね。それに物覚えもいいってセージさんからも評判なんスよ、二度言って叩けば大体のことは覚えれるって」
「それぜってぇ皮肉の類だろ……ってかセージって」
加古川の脳裏に浮かぶのは、何度か遭遇した二級冒険者パーティを率いる男性。ムーンイーターを加えた臨時編成や三人編成こそ目撃したが、本来の形こそが彼を加えた四人編成なのだろう。
ある種の合点がいったと首を上下させるも、伊織は彫像の如く表情を微動だにしない。
「アイツラのとこのパーティだったのか……」
「そんな俺が覚えてんだから、当然全部マジ話っスよ。
教科書忘れた時に席近づけてやったこととか」
「何、それ」
「遠足で妙に質素な弁当してたから唐揚げくれてやったこととか」
「知らない」
「あぁ、そうそう。中二の時に漸く中一で奢ったシュークリームの分を返してくれたっスね。それも駄菓子屋で売ってそうなガム一つで」
「そんな」
「それに……伊織が始めてだったんスよね、冒険者になるって夢を笑わなかったのは」
『零羽ならなれるですよ。あたしも応援しますね』
視線を薄暗い天井へと向け、感慨深い表情で過去を見つめる。
彼が今視界に収めている光景は岩肌の目立つ岩盤ではなく、夕暮れの放課後。
教室に差し込む茜色の陽光が少女の快活な笑みに煌めきを加える。純真無垢な眼差しを注がれ、何故か夢を口にした零羽の方が気恥ずかしさを覚えていた。
心のフィルムへ鮮明に焼きついた映像は、幾度か時を経た現在にあっても色褪せることはない。
感嘆の吐息を漏らして顔を下ろし、視線を眼前の少女へと注ぐ。
「それが、今の俺を形成している要素の中でも馬鹿デカい要素っスね」
「だれ、それ……?」
しかし眼前に立つ少女は皆目見当もつかないと頬を引きつらせ、信じられないものを眺めるように目を見開く。
流石におかしなものを感じた零羽が何かを口にする寸前、少女は豹変した。
「あぁぁぁぁぁぁ!!!
知らない知らない知らない、そんなの何も知らないッ。僕はそんなの、伊織のそんなの全く知らないッ!!!」
両手で頭を鷲掴みにし、喉が張り裂けんばかりに声をがならせる。ヘッドバンギングよろしく激しくかつ執拗に身体を振り回し、整った黒髪を徒に乱す様は妖怪が本来の姿を取り戻す様すらも見る者に連想させた。
著しい変貌に零羽は思わず手を伸ばすも、実際に身体へ触れる勇気は持ち得ない。
「は、いや……お前からしたら大したことねぇってことも……!」
「違う、だって僕は……違う違う違うッ、僕は、僕だけが伊織なんだ。僕が、僕がァッ」
「何言ってんだ、おい……!」
最早誰へ向けたものかも明瞭ではない妄言を繰り返す様に、零羽のみならず加古川も心配の声を上げる。が、肝心の少女は自壊衝動に導かれるまま、身体を激しく躍動させた。
そこに正気を見出すことは叶わず、血反吐の一片も混ざらないのが軌跡とすら思える。
ダンジョンに反響する声音も冒険者だけではなく、魔物ですら遠ざけるのではと予感させる効力を持ち、事実として未だに足音の一つも鼓膜を揺さぶらない。
対して、困惑を通り越して冷静さを取り戻したのか。
零羽は一歩距離を取ると、長槍の切先を少女へと注ぐ。
「……誰っスか、お前は?」
身体の芯から凍りつく低い声は、平時の少女であらば二秒とかからずに動きを静止させていただろう。
だが、平時の調子をとうの昔に手放した彼女が動きを止めるはずもない。
「おいおいおい、誰ってさっきも名乗ってただろ。コイツは飛田貫伊織で──」
「いや、違うっス」
代理として質問に応えた加古川であったが、零羽は静かな調子で否定する。
「俺の知ってる伊織は、こんな壊れたテンションで叫ばないっス。それに今思い出したんスが、彼女には姉がいたはずっス」
「あ、ね?」
姉。
言葉にすれば単語一つ分に過ぎない端的なもの。
しかし、少女は魔法の詠唱が意味を成したかの如く一切の動きを静止させた。先ほどまでの訴えの全てを軽く凌駕する衝撃が、たった一つの呼び名が宿してるとばかりに。
「しかしも双子っス。彼女が伊織を名乗ってるんだとすれば、さっきの叫びに込められた意味も分かるってもんスよ」
「……るさい」
「だったら本当の名前でも言ってみたらどうスか」
「うるさいうるさいうるさいッ、㒒が伊織なのッ。伊織が僕、僕なんだ!」
両手で頭を抑えたまま、反転した少女はあくまで伊織であるという主張は崩さずに逃走を図る。
不意を突く形で駆け出したことで加古川は反応が遅れ、槍兵が一歩先に追走へかかる。
疑問の答えが出る前の逃走を許すはずもなく、そして第一線で戦い続けた少年の速力に単なる女子高生が勝利する道理もない。
見る見る間に距離が詰められ、槍の穂先が瞬く間に背中を見据える。
手首を捻り、槍を穿つ姿勢を取り──
「僕を助けろ、魔物共ッ!!!」
横合いから跳びかかってきたゴブリンへの反応が遅れる。
いつの間に接近を許していたのか、まるで突如その場に湧き出したような唐突さに驚愕する間も惜しみ、零羽は柄を器用に回して魔物を牽制。
不意打ちの失敗に攻めあぐねていると、背後から振るわれる鉄拳が緑の肌を朱に塗装した。
「なんスかこれ?!」
「アイツは魔物を操れんだよッ」
「チートじゃないスかそんなの?!」
岩肌を彷彿とさせる荒れ果てた肌を晒す魔物は数こそ少ないものの、時間を稼ぐために合間を置き、前出の魔物が全滅してから改めて姿を表す。
連想するのは関ケ原にて、敗軍の将となった薩摩軍が本隊を帰還させるべく行った戦術。
加古川達と徳川軍との相違点は、命を捨ててくるのが忠義心溢れる兵士ではなく捨て駒を強制された魔物である点。
見る見る間に伊織との距離が離れる中、風を裂く一突きでゴブリンを穿った零羽は声を荒げた。
「おい。逃げてんじゃねぇスよ、ごらぁッ!」
「烏星、とか言ったか。さっきからどういうことだ、意味分かんねぇんだけど」
「……伊織には姉がいたってのは、言ったっスよね」
義腕とナイフでゴブリンを捌く少年からの質問に、零羽は一拍置いて口を開く。言い淀む様は素直に話すには、どこか抵抗を覚えているようでもあった。
「……確かに聞いたが、それがどうした」
彼の話す空気が変質したのを肌で感じ取り、加古川も幾分か声のトーンを落とした。
「伊織の通ってる高校に原因不明ながら現れたんスよ、魔物が。それに襲われて死んだってのが
先の騒動さえなければ違和感の一つも抱くことなく、右から左へ受け流せた話。
だがスルーすることの叶わない現状で、加古川は虚空へ向けて呟くようにその名を反芻した。
「飛田貫、一人……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます