第37話 足跡さえ見えなくても

 世界は、吟遊詩人が語る物語ではない。

 如何に一つの区切りとして相応しい出来事があっても、全てが終わった翌日には何の変哲もない日常が回帰する。そして出来事の主要人物達もやり終えた達成感と共に、どこか倦怠感を伴った感情を以って日常へと帰還を果たす。

 それは恩人の敵討ちを果たした加古川誠にしても同様であり、むしろ虚之腕うつろのかいなの出力を限界以上に酷使し、過負荷向上限界超越オーバーロード・ストライドを起動させた彼には資金調達が急務となっていた。

 故にレッドフードを撃破した翌日にも飛田貫伊織を引き連れて神宿しんじゅくダンジョンへ潜り、今まさにゴブリンの頭蓋を粉砕する。


「レネスの野郎、無茶苦茶吹っ掛けやがって……!」


 憤懣やるかたなく奥歯を噛み締め、逃走を図ったゴブリンの背を切り裂いても一向に晴れる気配はない。

 最優先討伐対象に指定されたレッドフードには多額の報奨金が設定され、事実としてダンジョンに雪崩込んだ冒険者の中には金額に釣られた者も多い。

 しかし冒険者ギルドに登録していない加古川が彼らから褒美を承れるはずもなく、手元に残ったのは魔鉱石を売り払って捻出した分のみ。それも瞬く間に義腕の修理費に消え去った上、連日の過負荷に憤怒の炎を燃やすレネスは追加料金を主張し始めたのだ。


「足元見やがって……こっちだって壊したくて壊してんじゃねぇっての」


 乱雑に巻いた包帯の奥から覗く漆黒の双眸は怒気に歪み、眼前で狼狽えるゴブリン達へと注がれる。

 過剰な負荷のかかっていた時間は比較的短く、戦闘開始直後から負荷をかけ続けていた前回よりも機械への負担も抑えられていたはず。だからこそ、少年は治療費をケチって自宅の包帯と回復薬で強引に肉体を前線に出せるまでに整えていた。

 回復薬はダンジョン内の治療行為が期待できない緊急時の使用が推奨されており、時間があるならば病院へ通うことが良しとされている。というのも、回復薬はあくまで新陳代謝を向上させるものであり、状況によっては専門家に診せた方が確実なのだ。

 年間でも少なくない数の冒険者が回復薬の効果を過信した結果、目に見えない臓器への損傷を原因に現役や現世を去っている。


「はぁ……まぁ言ってもしょうがないんじゃないです? 修理が必要な程度にぶっ壊したのは事実な訳ですし」


 したり顔で語る伊織はゴブリン程度には慣れたのか、加古川の背に隠れて肩を竦めていた。

 かといって彼が納得するかとは別問題。

 今求めているのは正論ではなく、自身の現状への同情か金銭である。


「てか、いい加減テメェも回復薬代返せよ。利子つけんぞ」

「えー、どこの華のJKがダンジョンから病院まで送ってあげたと思ってるんです? それでチャラじゃないです?」

「だから貯金がほぼ空になってる分は何も言ってねぇんじゃねぇか。そっちはいいから回復薬代をだなぁ……」

「ギャギャギャァ!」


 眼前で口論を始めた二人を隙だらけと捉えたのか。怯えを誤魔化して自身を鼓舞すべく、咆哮を上げてゴブリンは手に持つ長剣を振り上げる。

 錆つき刃毀れ著しい得物はしかし、人体を破壊する鈍器程度の役割ならば実行可能。

 そう、相手に命中さえすれば。


「邪魔なんだ……!」


 素早く反撃へと転じた加古川は懐へと滑り込み、ナイフで一閃。

 続く二の太刀ならぬ二の義腕を振るって、もう片方のゴブリンの粉砕を図る。

 が、彼の拳は寸前の所で空を切り、肉を砕く感触は訪れない。


「あぶねぇっスぜェ!」


 ゴブリンの背後から放たれた何かが首を貫き、緑の肌に朱の差し色を加えたのだ。致命傷を受けたためか、魔物は断末魔の叫びを遺す余地すらも与えられず、肉体を魔素へと還元させる。

 紫の煙が晴れ、視界の先から姿を見せた人物に加古川達は警戒感を露わにした。

 最初に目がついたのは、左肩から垂らされて腕を覆い隠す烏の羽根を模したファー。装備自体が軽装な、簡単な肩当てや胴当て程度の回避重視のスタイルに合わせたものと推測される分、動きに支障が生まれることが見え見えなファーには違和感を覚える。そして二人を助け、ゴブリンを屠った長槍の先端、穂先からも鋭利な刃とは別に羽毛が生えている。

 幼い顔立ちの男が槍を手元に引き戻すと、自慢げに手首をスナップさせて回転。風を切る音を撒き散らして上機嫌に顔を上げた。


「魔物の前で痴話喧嘩とは関心しないっスねェ。そっちの旦那は少しくらいやるみたいっスけど、お嬢ちゃんの方、は……?」

「なんだよ、突然出て来て説教か?」


 加古川は腰を深く落とし、半身の姿勢で臨戦態勢を取る。

 細かな部分にまで手が届いた装備や傷の少ない装備から、正面に立つ少年が内側冒険者だと推測できた。外側ならばもっと直接戦闘に関わる部分以外への手入れは粗雑な上、人によっては刃先の錆すらも修羅場を潜り抜けてきた勲章と錯覚しがちである。

 そういったある種の穢れを良しとする要素のない少年が何故、単独なのかは不明。だが、警戒をして損はない。

 続く言葉を失った少年を睥睨しつつ、加古川は背後に隠れた少女へ目配せをする。


「相手の得物は槍だ、もう少し距離を取れ」

「そ、そんなこと言われても……!」


 背後に隠れたところで刺突されては目に槍の軌道が入らない分、悪手ですらある。故に忠告の言葉を送ったのだが、どうせ視界に収めた所で動体視力が追いつかない伊織では無意味。

 互いに平行線を辿る間にも、フリーズから再起動した少年は距離を詰めて来る。

 咄嗟に萎縮した空気を引き締めるべく拳を握るも、彼は加古川を素通りして背後へ向かう。

 それこそ、無造作過ぎて拳を出す気にもなれなかった程の自然な動きで。


「伊織じゃないスか。お前も冒険者になったんスか?!」


 槍を背に戻して両手を空にすると、少年は伊織の手を掴んで親しげな声を送った。

 誰なのか見当もつかない少女は困惑の声を漏らすものの、彼は首を傾げる程度で意にも介さない。


「え、あ……ど、どなたです?」

「どなたって随分と他人行儀スね。俺だよ俺、烏星零羽からすぼしれいう。忘れたんスか?」

「え、あ、あー、烏星君ね……大丈夫大丈夫、覚えてるです覚えてるです」

「それぜってぇ忘れてる人のリアクションっスよね?!

 勘弁して下さいっスよ、伊織にしか冒険者になりてぇって夢は言ってなかったんスから、これじゃ明かし損じゃないスか」


 苦笑を零して視線を逸らす伊織の態度は、親しい旧友と再会した零羽と名乗る少年のものとは著しい温度差を感じさせる。


「烏星って随分他人行儀な……つか、伊織こそなんでダンジョンにいるんスか。今頃高校の時間じゃないんスか?」

「そ、それはちょっと色々あって、ですね……」

「色々って……まさかそこの男っスか?」


 何か合点がいったのか、加古川を睨む零羽の視線が鋭利に研ぎ澄まされ、ナイフのように首元へと突きつけられる。

 とはいえ、彼が誤解するようなことは何もない。いかがわしい関係でもなければ、借金なり弱みを握っていいように操っている訳でもない。

 戦意を削がれた加古川は頭を掻くと、嘆息を一つ零す。


「……そこの女には回復薬一個分だけ貸しがある。知り合いだっつうんなら、お前からも催促してくれ」


 だけ、を殊更強調して伝えたものの、零羽から注がれる視線はなおも鋭い。

 誤解が解ける気配は、まるでなかった。

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