第34話 壊すのか守るのか
不意の声に振り向いたのは伊織。
加古川の戦いの見届け人兼いざという時のために逃走を助力すべくついて来ていた彼女には、あくまで少年一人に照準を合わせていた人狼から視線を外す余裕を有していた。
故に桜の瞳が捉えた先に立つ二人組に眩暈を起こし、思わず額に手を当てる。
「剣聖に、ブラッドルーズ……!」
「キャハハ。おやおや、そういう君は何時ぞやの少女じゃん。どしたの、いよいよ正式に捕まる準備が整った?」
少女が漏らした名に軽薄な、酷薄な笑みを浮かべた和服の少女が反応。乾いた声音がダンジョン内を反響する。
一方で二つ名を呼ばれた男性、月背勝児は片手で握っていた刀を両手に持ち直す。
腰を低く落とし、大地に根を張ったのかと錯覚する程の安定感で掬い上げの構えを取る。
微かな呼気が男の目的を雄弁に主張し、紫刃に纏わりつく風が密度を増すにつれて音をがなり立てた。
「ま、待ってです!」
「何を」
「ッ……」
剣気が、男の発する凝縮された殺意が伊織に息を呑ませる。
僅かに視線を向けられただけにも関わらず、たった単語の一つを紡がれただけで。
胴を両断されたかの如き錯覚に、思わず身体に手を当てて無事を確認する。
粘度の高い液体の感触はなく、下ろされた視線に赤の気配もまた皆無。ならばと一呼吸置き、嘆願を口にした。
「か、加古川があの魔物を倒すから、それまでだけでも待って下さい、です!」
「ならん。そも、我が目的もまた彼の人狼……否、あの少年をも我が獲物か」
伊織の言葉を端的に切り捨て、脳裏に浮かんだ邪な発想に喉を鳴らす剣鬼。
場違いにも愉快気な笑みを零す姿と比例して密度を増す魔素が、彼の発想に少女をも到達させた。
最優先討伐対象の特異個体たるレッドフード。
外側冒険者である加古川誠。
どちらも内側冒険者である月背にとっては等しく討伐対象に過ぎず、また彼の担う幻風貪狼一刀流は多対一だろうとも存分に真価を発揮する。
即ち、意味することは一切の区別をつけぬ鏖殺。
万物を寸断する有形無形の刃の嵐を以って、屍を二つ積み立てること。
「幻風貪狼一刀流──!」
「ダメです!」
一層の剣気が空間に満ちる。
迫る斬滅の開放に伊織は己が身を射線に晒すものの、彼女もまた法の外に位置する存在。剣鬼が刃を収める理由とはなり得ない。
並の女子高生であらば恐怖で身が竦み、身体を動かすこともままならぬ殺意。
叩きつけられる圧に少女は息を乱す。が、それも数瞬の話。
「このッ……!」
以前行った時と同様に、思い切り掌へ歯を突き立てると健康的な肌に朱を垂らす。
口内に血を蓄積させた状態で声を発する。それこそが魔物を使役し、意のままに操る魔法の条件。
「分からず屋ッ!」
魔軍掌握。
伊織の意思に従い、腸を抉られた魔物達が一斉に目を輝かせる。
ゴブリンが、魔狼が、ウェアウルフが。
致命傷を受け、消えゆく命を無為に消費するだけの時間は終わり、最期の灯火を命じられた言葉へ殉じるために燃やし尽くす。
主へ刃を振るう剣鬼を食い止めるべく。
「初段」
「──!」
誤算があったとすれば、彼我の戦力差。
無限とすら形容し得る斬撃の嵐が、伊織の盾となるべく突撃してきた魔物の尽くを蹂躙する。
胴を半ばから切り裂き、頭部を縦に両断し、中には三枚に下ろされた魔物すらも珍しくない。そして致命傷に追撃を喰らった化生が例外なく肉体を魔素へと還元され、周囲に紫の霧を形成した。
魔素は瞬く間に霧散し、残されたのはカーディガンを着込んだ女子高生ただ一人。
「ぁ……!」
左肩に走る鋭利な痛みが、少女の頬に一筋の涙を滴らせる。
傷口から染み入る朱は彼女の命が寸前で持ち応えたことを表し、同時に恐るべき剣鬼の一撃を偶発的にだろうとも防いだことをも意味する。
時間を稼ぐ程度なら叶うという思い上がりをたったの一振りで粉砕され、伊織は膝から頽れた。
一方の月背は、数多もの魔物諸共に切り裂く算段であった少女が生存している事実に苦虫を噛み潰す。獅子の如き長髪を肩と共に揺らし、許し難い事態に呼気を乱した。
「何故、貴様が生きている。たかが小娘無勢が、我が刃を前にして……!」
「あ、あぁ……」
剥き出しの怒気がはち切れんばかりに荒れ狂い、振り下ろす仕草にも残心の欠片もない。大気を裂く音に伊織は尻餅をつき、自然と後退った。
「……!」
逃走の一手を食い止めたのは、背後から伝わる金属音。
唸りを上げる義腕と、かつて用いていたナイフ。二種を駆使して加古川は今、過去の因縁と決着をつけるべく交戦している。
それを邪魔させたくないという私情が、少女の逃避を寸前の所で食い止めた。
「まだ、まだ引く訳には……!」
「意気込みだけは良し。単なる腑抜けを切り伏せた所で意味はない。故、この恥辱を斬り払う一刀、防げるものならば防いでみせよ。
幻風貪狼一刀流──!」
「ちょっとタンマ、月背」
立ち上がった少女に敵意を露わとした月背の構えを、遮ったのは彼岸花の描かれた和傘。
渾身の一刀を邪魔されたと敵意を横に立つ少女へ注ぐ剣鬼はしかし、場違いな酷薄の仮面を被った彼女に訝しげな表情を浮かべる。
「邪魔をするな。それが我等が手を組む唯一の理由であろうが……!」
「そう急がないでよ、月背。
考えてみればさー、別にアイツラ纏めて狩る必要なくない? 潰し合わせて生き残って疲弊した方をサクッと狩った方が楽じゃん?」
「容易な敵の首に価値などない」
二人の交わす言葉には著しいまでの温度差があり、伊織もまた鼓膜を揺さぶられる度に差異を実感する。
かたや変質的な、時代錯誤なまでの力に拘泥し。
かたや実益に重きを置く、ある種現実的な効率主義。
噛み合うはずもない両者だが、伊織を庇うような仕草を見せたブラッドルーズの方がより奇異な動きを見せているのは確か。
だからこそか、彼女の関心は和装に身を包んだ少女へと注がれる。
「それにさー、月背の刃にビビらず立ち向かう奴なんて滅茶苦茶レアじゃん。そんな娘の頼みを無碍にするなんて大人げないってかさー」
「そ、そんな、理由で……?」
大人げない。
犯罪者の烙印を押されて然るべき伊織を助ける理由にしては、あまりにもお粗末な代物に思わず頬を引きつらせた。いっそ本心を別に隠していて、今上げているのは建前に過ぎないと言われても納得できる。
実際、納得のいかない月背を説得する続きの弁は先の言葉よりも容易に理解が叶った。
「ついでに魔物はまだたーくさんいる。だったらあの娘に操ってもらって、他の冒険者の邪魔が入らないように手伝ってもらう方が好都合だったりしない?」
「あの程度の手合いに時間をかけるとでも?」
「万が一だよ、万が一」
不快さを剥き出しにした男に対して肩を竦めると、ブラッドルーズは視線を伊織へと注ぐ。
「もちろん、手伝ってくれるよねー。君もさ?」
「……」
首肯で返答すると、快活な笑みに妖しいものが混在した。
すぐ側にいる月背へ向けたものではなく、少し離れた場所にいる少女へ向けた笑みが。
「魅せてよね。成長ってのを、さ」
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