第30話 ショーは待ってくれない
雲一つない晴天の下、陽光に照らされ続けて乾燥した砂は靴に踏まれる度、小気味のいい音を返す。道場ではなく外で稽古をすることもあるのか、時折抉られた感触が靴裏を通じて伝わってきた。
加古川が歩みを止め、正面を向くと先着していた和服の剣鬼が己が得物を鞘から引き抜く。
哭鳴散華を直に見るのは二度目であったが、ダンジョンの薄暗い環境でも映える紫の刀身は陽の光を浴びて一層に輝いていた。自身の右腕に装着された虚之腕などという悪趣味なペットネームを持つ義腕の鈍色とは比べるべくもない。
何度か右手を開閉させて動作を確認すると、どこか吐き捨てる様子で確認めいて口を開く。
「ところで地上だと全開って訳にはいかねぇが、そこんとこは把握してんだよな?」
魔鉱ドライブが十全の性能を発揮する環境下は、魔物が生存可能な程度に魔素が充満した空間。即ちダンジョンであり、彼らが体内に蓄積した魔素を消費し続ける地上ではない。
これは冒険者の装備規格に関する法律に由来する規制であり、市井に広まることを前提としていない虚之腕もまた準拠した出力に抑えられている。
一応の確認であったが、眼前の男は御託は不要とばかりに刃を構える。
「無論承知している。それに我もまた地上ではただの貪狼一刀流が免許皆伝……幻風の刃は操れん」
「そりゃ良かった。今更全力でなければ無意味、とか難癖つけられても堪んねぇしな」
「無用な心配よ……今は共に対等、命の取り合いとして不服はない」
相手の返答を確認すると、加古川もまた左肩を突き出した半身の姿勢を取る。
足で砂を払う音を最後に、互いから音が消え去った。
眼前の敵が行う一挙手一投足に目敏く監視し、先手を打つ機会を探る。息苦しくなる程の緊張感は空気をひたすらに張り詰めさせ、偶然窓の隙間から覗いた道場内の門下生達の注目をも知らず知らずの内に集めた。
一陣の風が吹き抜け、どこからか攫われた落ち葉が二人の間を揺れる。
自由気ままな軌道を描き中空を舞っていたものの、翼も持たぬ落葉一枚に取れる挙動には限界がある。左右に大きく揺れ動き、最後には足掻きとして砂の上を滑ると勢いを殺し尽くされて静止した。
そして、二人は同時に動き出す。
「ッ!」
振り抜かれた右ストレートと横薙ぎの一閃が示し合わせたが如く衝突し、甲高い音を響かせる。
鍔競り合いになれば不利と、月背は早々に勢いを流すべく足捌きと重心移動で加古川の右側を取る。が、故に手首を捻って放たれる裏拳の射程へと入り、咄嗟に大きく跳躍。拳の間合いから脱出を果たす。
一方で姿勢の崩れた相手を狙い、加古川は反動を活かして突撃。
数歩で跳躍分の差を埋めると、次はボクシングのジャブよろしく小刻みに拳を押しつけにかかった。
「そらそら、さっきまでの威勢はどうしたッ!」
削岩機染みた破壊力は、牽制のつもりでも絶大な圧力と圧迫感を相手に与える。
常人よりも大柄かつ無骨な拳は、たとえ万全の出力で運用されてなかろうとも人体にとっては無意味。空を切る音に伴う風圧は、加古川自身が認識するよりも遥かに剣聖を心理的に追い詰めていた。
尤も、肌を伝う冷や汗にすら高揚で応じる男が相手では、実感が湧かないのも無理はないのだが。
「貴様こそ、先の戦いもだが右ばかり……その左腕は飾りか?」
瞬間、月背の身体が視界から消える。
攻勢に応じていた加古川は反応に遅れ、気づいた時にはフレームから不快な金切り声が鳴り響いていた。
耳障りな音の出所へ視線を向ければ、刃を振り上げた剣鬼が次の構えへ移行した直後。
大上段からの振り下ろし。
隙、ではない。むしろ絶対に躱し切るべき絶命の技。
漏れ出る禍々しいまでの殺気から直観的に判断し、右に跳躍した刹那。世界が二つに両断された。
「紙一重、か」
「ッ……!」
回避し切れなかったコートの一部が宙を舞い、やがて地面に出現した斬撃痕へと吸い込まれる。
深く、深く。
如何に刃渡り一〇〇センチの業物であろうとも届くはずのない、深淵の底へと。
急に湧き立つ冷や汗が頬を伝い、呑まれては終わると肺から息を吐き出した。同時に脳裏に過ったイメージ──先の刃が直撃し、骨や義腕諸共に両断される光景を追い出す。
それ以上に意識すべきことがあるからこそ、考える必要のない最悪は意図的に無視した。
「左腕はどうした、か……ハッ、それもそうだ、なッ」
加古川は左手で地面を掴むと、先程からの攻防で出来た溝から砂を拾い、すぐさま月背へと投げつける。
小細工程度の小細工だが、アドバイスした男には予測がついたのか。一歩退くと横薙ぎの剣閃が砂煙を切り裂いた。
「初歩的……しかし久しく使ってないと思えばそういうものか」
それでも、一瞬を稼ぐことは叶う。
身を低く屈めて弾丸の如く直進した加古川は、先のお返しとばかりに死角から掬い上げの一撃を放つ。
完璧な不意打ちと確信を抱いてこそいたが、相手もさしもの剣聖。
どうやって気づいたのか、視線を下ろして漆黒の瞳と交差。すぐさま片手で横合いから峰をぶつけて空気を炸裂させ、直撃の軌道を逸らしてみせた。
こうなると隙を晒すのは、姿勢が崩れた加古川。
構えも何もない乱雑な振り下ろしに対抗すべく思案を巡らせ──
「月背ー! 大変だよ大変!」
「む?」
「ハァ?」
思慮の外から告げられた大声が、戦闘に注がれていた二人の頭に冷や水をかける。
刃が静止したのを確認すると、加古川は声の方角へと視線を移す。が、声の主と思しき存在の姿は見当たらず、ただ屋敷と外界を隔てる壁が立ち並ぶのみ。
しかしなおも月背を呼ぶ声は続くため、もしやと思い顔を上げ、驚愕に引きつらせた。
「大変だよ月背、凄い大変なことに……アレ、そっちは確かあの娘と一緒にいた……」
「加古川誠だ……つか、ブラッドルーズ、だっけ。なんでお前飛んでんの?」
落ち葉の如く、風に揺られて上空から下りてきたのは、黒の着物に外套を羽織った少女。両手には風を受けるために広げられた和傘が握られているものの、台風でもない限り人体が傘で受けられる程度の風で浮かべる訳がない。
加古川が抱いた当然の疑問に、しかし白のボブカットを揺らして少女は答える。
「キャハハ、そんなの魔法に決まってるじゃん。面白い質問するなぁ」
「……」
魔素に満ちたダンジョン内なら兎も角、地上で魔法が使えるものか。
突っ込む言葉は眼前に広がる現実の前に喉奥へと吸い込まれ、実像を伴うことはない。
軽薄な笑みを零す少女は、絶句している加古川から関心を相方へと移すと思い出したように本題を口にした。
「あぁ、そうだそうだ。こんなことしてる場合じゃなかった。
月背大変だよ、ギルドがレッドフードを最優先討伐対象に指定したってさ!」
「最優先討伐対象、だと」
反芻する言葉は虚空に吸い込まれ、動揺を伴って人々の鼓膜を揺さぶった。
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