第27話 理想は常に高く目の前で届かない

 加古川の意識が覚醒した後、伊織は多くを語ってくれた。

 レッドフードと交戦してから二日が経過していたこと。

 ダンジョン内で意識を失った加古川を闇医師が運営する病院まで運んだのは伊織で、魔物の屍目当てで訪れた外側冒険者と偶然出会ったために外界まで運送できたこと。

 彼らに手伝ってもらった分と加古川が無理して押し通った穴の補填、そして闇医師の治療費で貯金は殆んど空になてしまったこと。

 そして右の義腕たる虚之腕はレネスが勝手に持っていき、修復していることも。


「起きたら左の腕をへし折ってやるから覚悟してろ、ってのが伝言です」

「んだよ、修理店が自給自足はヤバすぎんだろが……」


 頬杖を突く傍ら、加古川は正面の鏡に反射する自らの風貌を眺めた。

 目覚めてからこの方、何度も朱で汚しては取り換えられた包帯も、今では安定の兆しを見せている。とはいえ身体を動かせば未だ完治していない部分が鋭利な痛みを訴え、病院食を口にすることにさえ抵抗を持つ。

 最初に視界へ飛び込んできた伊織を一目した時はミイラと錯覚したが、皮膚が伺えないという意味では加古川の方が余程ピラミッドに埋葬されていそうなビジュアルへと変貌していた。

 ミイラは本来、来世の生を行うための肉体の保護を目的として古代エジプトを発祥とする文化である。とすれば、右腕を欠損した今の加古川は決して褒められた保存状況ではないのだろう。

 苦笑を一つ零し、温和な流れを断ち切る。


「どうしたです?」

「いやな、来世を考える身分じゃねぇわと思ってな」

「?」


 訳の分からない答えに小首を傾げる伊織。

 加古川の脳内を覗くでもしなければ、納得し難い回答である以上は仕方ない。

 そして空気が明確に変わったのを機に、少年は自らの過去を明かすこととした。


「せっかくだ。少し、昔話をしてやる……レッドフードに固執した理由、お前も知りたいだろ?」

「……」


 加古川からの質問に、伊織は首肯で返す。

 明らかに平時とは異なる、特攻染みた様子さえ見せた理由には興味があった。それに流れとはいえ同居してからそれなり以上の時間が経過しており、単純に同じ屋根の下で過ごす相手に関心を抱くのも自然な話。

 そうして口にしたのは、夢の中で姿を見せた美女──一級冒険者ムーンライトでもある星倉卯月ほしくらうづきとの出会い。


「ムーンライト……星倉……?」


 伊織が想起したのは同じ星倉の性を持つ新進気鋭のアイドル、星倉皐月ほしくらさつき

 セージと合流する道中の問答でも、彼女はムーンライトの名を口にしていた。


「あぁ。確証はねぇけど、多分ムーンイーターの姉ってのはあの人だ。

 あの人も妹のことを他のメンバーや俺に軽く相談してたんだよ。人のものを何でも欲しがる困った可愛い妹だと、な」

「だから……」


 皐月との一件以来、彼の調子が優れなかったのは姉を亡くした妹と顔を合わせたのが原因かと合点がいき、伊織は目を開く。

 話の軸足がブレたと、拍手を一つ挟むと加古川は流れを元へ引き戻す。


「あの人に誘われて、俺は彼女達のパーティーに加えてもらった。

 当然、他のメンバーには反対されたけどな。年齢的に正規の活動に支障があったし、何より証明証も発行してない」


 冒険者証明証の発行には銃刀法への特例措置という側面がある関係上、多額の金額がかかる。故に資金が工面できないとして外側冒険者が後を絶たず、引いてはダンジョン内での死亡率にも繋がっている。

 そして明日の生活にも余裕がない当時の加古川に証明証を発行する資金など、ある訳がない。


「他の連中がいうこともご尤もなのに、あの人はまるでそこから始まる不都合など関係ないとばかりに俺をゴリ押ししたんだよ。

 ……コイツは伸びる。野垂れ死なすのが惜しいくらいには、ってな」


 当時はムーンライト達は正規の手続きを経てダンジョン内へ潜り、別口で侵入した加古川と現地で合流という危険な手法を用いていたことも懐かしく、語る少年の口調に追懐の念が籠る。

 伊織からすれば無関係な、本題からすればどうでもいい出来事である。しかし彼の語る様子があまりにも真に迫っているためか、もしくは別の理由でもあるのか。

 気づけば何度ともなく首を上下に振っていた。

 母親に絵本の続きを迫る子供のように。


「ガキだからとダンジョン内で甘やかすような真似はなかった。ひたすらスパルタで、時にはウェアウルフと単騎でやり合わされたこともあったな。

 ……アレはキツかった、中学生程度の身体じゃ目で追えても身体がついていかないのなんの。思わず他の連中が放った一射がなければ、あそこで死んでたんじゃないって感じだ。

 あの人のやり方は無茶苦茶だったが、元々ダンジョンに潜って生計を立てる小学生なんて奴が相手じゃ仕方なかったのかもな。実際、それで鍛えられたお陰で一五になって正式に証明証を作ってからはトントン拍子で階級を上げていったしな」


 四級、三級、そして大手を振って神宿ダンジョンを潜れる二級を経て一級。

 それぞれの在任期間など覚えてもいない程に瞬く間、端から見れば才児に思えたのだろうが、実態は違法な手段で鍛えられた叩き上げ。

 そのギャップからか、外からは一級冒険者『疾風』として持ち上げられても、パーティー内ではむしろ弄られる始末であった。


「マジで鬱陶しかった……今じゃそれも懐かしいくらいだけど」

「疾風……」


 剣鬼が如き剣聖──月背勝児つきせかつじが加古川を呼んだ名が現れたことで、伊織はまたしても一つの合点がいく。あくまで外側冒険者に過ぎないはずの彼へ固執した理由の一端をも。

 喉の痛みも忘れて口を開き続けた加古川であった。が、続く言葉のトーンは明確に一つ下がる。

 その声音で少女は確信した。

 遂にヤツが現れるのだと。

 過食の化身、赤ずきんレッドフードなどと呼称された真紅の魔物が。


「……そんな生活が去年まで続いた。あの日は雪が降っていたな」


 窓を覗く加古川の視線に哀愁が籠り、荒れ果てた廃墟に雪が積もる様を幻視する。


「ダンジョンへ潜ったのは、殆んど日課だ。精々、妹へのクリスマスプレゼント代でも稼ぐかと、あの人が言っていたくらいで。

 ……第、二五階層は当時の神宿ダンジョンでは最深部でな。運が良ければダンジョンコアにありつけたんだわ」


 ダンジョンコアとは文字通りにダンジョンの中核を成す存在。

 ダンジョンを形成し、マントルを目指して深度をひたすらに深めていく人類の脅威。魔素を放出して異空間を掌握し、巻き込んだ物質と共に魔物を際限なく生み出していく。

 一方で一度破壊すればダンジョンは規模を縮小し、魔素の密度を高めてコアを再生成する。

 そして混じり気のない極めて純度の高い魔鉱石はコアの破壊からしか採れず、滅多に市場には姿を見せないがために高額で取引が成される。

 月光と疾風。

 二人の一級冒険者を抱える彼らを以ってしてもありつくことのなかった財貨は、足取りに浮ついたものを混在させた。


「それを、好機と捉えたんだろうな。ヤツは……

 真紅の爪がせまっていると気づいた時には、全てが遅かった」


 右肩を、本来腕へと繋がるはずの空間を掴む加古川の顔に脂汗が滲む。

 幻視痛──四肢を欠損した人が時折生じさせる、存在しない痛みに耐え奥歯を噛み締める様は痛々しい記憶を反芻することへの反発か。

 しかし少年の決意は固い。

 乱れた息を整えると、次は殊更ゆっくりと口を開いた。


「……一撃だ、たったの一撃で、俺は利き手を失って無力な一般人へと成り下がった」


 腕と共に手元から離れたナイフが無機質に音を反響させる中、真紅の異形は血臭に塗れた姿を晒す。

 痩せさばらえた、現実の動物へ当て嵌めれば死に損ないと称するに相応しい痩躯。しかし仲間が反応すらできずに切り裂かれた事実が、他のメンバーの覇気を一気に引き締める。

 だが、気を引き締めるだけで勝てるのであらば、今頃世界は精神論で支配されている。


「異常な速さだった……目で追えてたかも怪しかった。

 腐っても一級冒険者な俺でこれだったんだ。あの人はともかく、二級だった他の二人にも同様だったんだろう……うん」


 血染めの華は二度咲いた。

 人間二人を栄養素として。

 二人が後衛担当で、長いこと二枚看板でやってきた所を急に前衛を一人に押しつけられた負担もある。卯月も具足を幾つか欠損し、純白のワンピースには朱が滲んでいた。

 手に持つレイピアも半ばからへし折れ、刀身を不自然に縮めていた。

 だが、彼女は逃げなかった。


「むしろ俺を……痛みでマトモに動けなかった、俺を守るように立ち塞がって……!」

『不安だって? そんなもの、私が照らしてみせようじゃないか』


 横顔には自身が死ぬ未来など微塵も伺わせず、むしろ勝ってみせようという気概に溢れていた。

 彼女一人ならば、死体や加古川に気を取られた隙に逃走も叶っただろうに。それを良しとせず、一人遺された少年を守護するかの如く得物を掲げる。


「ふざけやがって……自己犠牲でカッコつけやがって……そんなもんより、役立たずを置いてみっともなく逃げちまえば良かったってのに……

 俺には、そうしろって……言った分際で……!」

『生きろよ少年、加古川誠。

 せっかく皆が君のために集めた光だ、それを無駄にするもんじゃない』


 脳裏に過ったのは、彼女が遺した最期の言葉。

 仲間を見捨てて逃げ出せという指示に、当時の加古川は逡巡することさえなく遵守した。

 卯月の方から許可を下ろした、だから自分は悪くない。ダンジョンを逆走するに当たり、彼は何度となく同じ文面の言葉を反芻していた。

 そうしなければ、罪悪感でおかしくなってしまうという確信を持てたが故に。

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