第26話 君の未来は始まったばかり
夢、走馬灯、あるいは幻覚。
加古川が見たのは、そういった類のものである。
自らの半生を一歩引いた第三者視点で覗く。脳が行う記憶の整理作業の一環である。
加古川誠が行った記憶の整理は、一二歳の頃。現代の六年前から始まった。
当時、魔素やダンジョンによる混乱から立ち直る最中の世界。管理体制の整ってないダンジョンや外側冒険者が違法に開けた穴から漏れ出た魔物によって、人に被害が及ぶケースは珍しくもないありふれた悲劇であった。
加古川の両親もまた、新聞の一面を飾るほどでもない出来事で亡くなった。
ダンジョン難民とも称されるそれらとなった加古川だが、彼に対する福利厚生は然して充実してはいなかった。厳密には充実こそしていても、肝心の救済の手が少年を救うことはなかった。
弱者からの搾取など、珍しくも何ともない。
加古川が送られた児童福利センターは、劣悪の一言であった。
孤児を片端から集めては政府の献金を募り、子供のために注がれるもので私腹を肥やす。五年前の査察で実態が暴かれて解体されるまでの間、子供達は餓死しないだけの食事しか与えられない劣悪な環境を余儀なくされた。
故に加古川は餌を待つ金魚の真似事をするのではなく、古都へと一人で赴くと神宿ダンジョンへ飛び込んだ。
はぐれゴブリン程度であらば、包丁の一本でもあれば殺傷も叶う。相手の不意を突くという前提でこそあるが。
神宿ダンジョン。迷宮省が指定した識別コードに於いて、す0217と名称づけられたそこに潜った加古川の幸運は、主な魔物がゴブリンや魔狼であった点。
ゴーレムやリザードマンといった堅牢な甲殻や鱗を持った存在であらば、日常道具に過ぎぬ包丁などで傷一つつけることは叶わなかっただろう。しかしゴブリンや魔狼のウリは強固な皮膚ではなく人の道具を扱う狡猾な知能や俊敏性、そして集団行動を好む性質。
更にはより下へと潜る魔素の性質は、逆説的に上層の魔物を弱体化させる。
故に当時中学にも満たぬ身の加古川も、相手を吟味して群れからはぐれた所を襲えば、容易に討伐が叶ったのだ。
とはいえ素材や魔鉱石を手に入れても、冒険者ギルドに認められた証明である冒険者証明証を有していない彼にマトモな売買の成り立つ相手はいない。
表には。
外側冒険者であれば、闇市へ売り捌くことでそれなりの財を蓄えることが可能。無論、相手を子供と舐めて暴利を貪った露店が数多いるが、瞬間を生き抜く必要のあった加古川には取引が正立さえすれば具体的な費用対効果は些事であった。
その日暮らしとも呼べる生活は三年間、小学生を中学生へ押し上げるだけの時間を経て終わりを告げる。
「ほー。君が最近、ここらを騒がしている外側冒険者か」
屋台の焼き鳥を貪っていた加古川の前に姿を現したのは、月光を背負った美女。
日本人離れしたホワイトブロンドの髪を左に纏め、両手足を固めるは白銀の具足。純白のワンピースと合わせて夏の砂浜を舞うのが似合うものの、蒼紫の瞳を勝気に吊り上げた様は彼女もまた、血臭漂うダンジョンの存在であると雄弁に物語る。
「へぇー……で、アンタは?」
尤も、冒険者の平均年齢どころか本来、冒険者証明証を発行できる最低年齢をも下回る彼は、美女に話しかけられて鼻の下を伸ばすようなことはない。むしろ生意気にも睨み返すと、手元のペットボトルを傾けた。
その間に腰へ収納していたナイフの柄を左手で掴み、いつでも引き抜けるよう準備する。
一方で美女は彼の隠し切れぬ敵意を敏感に感じ取ったのか、整った容姿に似つかわしくない哄笑を上げた。
「フ……アハハハッ。なんだい、その警戒はッ。私が盗賊崩れにも見えるかい?!」
「……ガキだからと舐められたら終わりだからな」
「それは経験則かい。それとも生粋のカンの方か?」
「前者……通報は勘弁だぞ」
ペットボトルの中身を半ばほど残し、鋭利に研ぎ澄ました漆黒の眼光で睨みつける。
仮に中身で目潰しの一つでもすれば、逃走の目でもあるか。
逡巡に目蓋を閉じるも、即座に無意味と理解して再度凝視。そもナイフの準備も気づかれたのだ、他の手段なら大丈夫と慢心してもしょうがない。
しかし敵意を隠さぬ姿勢をも愛おしいとばかりに、美女は腰に携えた刃へ手を添える仕草すら見せる気配は皆無。
余裕の姿がそのまま人生経験に繋がっているようにも思え、加古川は一層眉間に皺を寄せた。
「通報……あぁ、一応悪いことをしている自覚はあったのかい。そういう時はたとえ本当でも知らない、って答えておけば年齢的にも誤魔化しが効くぞ」
「んだよ、そのアドバイス。盗賊でも通報でもなけりゃ、何が目的だよ」
「何が目的って、そりゃあ……」
顎に手を当てて思案する美女。
ふざけた態度はさながら顔見せ自体が目的で、他の要素は後付けで考えているようにも伺える。故にか、加古川の態度から警戒心が薄れて代わりに怪訝なものが混ざった。
やがて指を鳴らすと、美女は不敵な笑みを浮かべて答えを述べる。
「……そうだ、君を私のパーティーへ招待しようじゃないか」
「……んぁ」
間の抜けた声を上げ、加古川は意識を泥底から浮上させた。
最初に視界へ飛び込んできた光景は、各所に罅が刻まれて薄汚れた天井。元々は純白であったろうそれは、時間の経過を証左するかの如く染みが点在していた。
次いで声に反応してか。
桜の瞳が印象的な黒髪の自称華のJKが飛び込んでくる。顔の各所にはガーゼや包帯が乱雑に取りつけられ、ミイラを連想させたものの何故か正体を違えてはいない確信があった。
「や、やっと起きたぁ!」
「ちょっ……馬鹿、くっつくなッ」
目覚めた歓喜が、伊織をベッドへ飛び込ませて加古川を抱き締めさせた。
彼女の衝動が引き起こした行動に二心はないものの、怪我が完治した訳でもない少年の身体には酷なものが残る。力強い抱擁がそのまま投げ技へ移行する間際のプロレスラーよろしく、相手に激痛を走らせた。
加古川の訴えに痛苦で悶えるものが混じったものの、伊織が力を緩める様子はない。
「おい馬鹿、マジで……離れ……!」
「やだよ。散々華のJKに看病させておいて……心配、させておいて」
「て、め……」
なおも抵抗の意思を示そうとした加古川であったが、伊織の声音が震えていることに気づき、明確な意味を伝える前に声が消え入った。
胸元へ顔を埋めている少女から嗚咽が聞こえ、思わず視線を宙へと泳がせる。
そして数秒の合間を置き、嘆息を一つ零すと自由な左手を彼女の頭頂部へと添えた。
同時に一つの決意を固める。
「やっぱり、もうこれは伝えるしかないかね……」
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