夢郷現録

五時ノ 抹茶

たかだか夢されど夢

 とある夢の最中に彼女は有った。古き良きレトロな列車、三連結その真ん中の車両。その車両の両端ににある少し広めの対面席が彼女のお気に入り。この夢を見る時は必ずそのどちらかに彼女は腰掛ける。今回は先頭車両側だ。


 彼女は色をもたない。名を白神縁子、後ろ髪は腰あたりまで届き、前髪は横凪。首元のボタンまでとめられた紺色のトレンチコートに、丈の長いスカート、その下に黒のワイドパンツ。履いている茶色の皮ブーツは、靴底は黒であり比較的平たく、また、ほどほどに分厚い。彼女はこの夢に、自分の一番気に入る服装で来る事になる。


 対面席の席以外を平たく覆うちょっとしたテーブルに、自分の肘と共に紺色のキャスケットを置き、彼女は気怠げに外の景色を眺める行程に移った。


 窓が通す外の景色は、まさに星月夜。だがそれにしても比較的明るい。理由は明白だ。彼女を乗せて走る列車の線路はその両端が何処までも小高く盛り上げられており、その両端共々、一定の間隔で植えられた桜の木。その桜の木からほんのりと白い後光がさしている。


 その桜の木々から流れ落ちる花弁の一枚一枚でさえ薄白い光を纏い景色を塗る。木々の間からの高い景色、そこより映る日の国に様式を定めた山々は、月明かりに照らされる事で、夜と白光の中であろうと薄暗く見える程度に収まる。


 そして彼女は、余りにも美しくまた現実から離れた景色をその目の中に入れる事により、コツコツと優しく音をたて、自分に向かう足音の存在を脳内で完全に消失させてしまっていた。彼女が気づくのは足音の主に声をかけられてからである。


 「やあ、シロガミさん?」

 呼び掛けを受け我に帰る縁子は、足音の主、改め、声の主に反射で顔を向けた。


 「ああ、くろかみさん。色々な意味でいつもの顔だわ、今回は何を喋り出すつもりなのかしら?」

 縁子にくろかみさんと呼ばれる彼女の姿は、そのままもう一人の縁子と呼べる。紺色のキャスケットまで被り、服装まで縁子と同じだ。


 ただ一つだけ、それでいて、縁子とは対極とするに足る大きな違いが彼女にはあった。それは、色を持つという事。艶のある黒髪に、日本人にしては薄い方ではあるが肌も色を持ち、眼の中心にある黒丸の周りは濃褐色が円を為す。髪も肌も白く、赤よりも薄い桃色の眼を持つ縁子とはまるで対極。


 だが彼女は、縁子とは対極であるが故、どちらかと言えば夢の住人だ。それ故か、寂しがり屋であり、しょっちゅう縁子をこの夢に引き摺り込んでは、気まぐれに会話を振ってくる。縁子からしたら少し面倒な存在である。


 「前、座っても?」


 「どうぞ。駄目と言っても座るでしょうけど」


「ふふ。ではお言葉に甘えて、なんてね」

 くろかみは縁子の対面に腰掛けた。


 「で? 今日の話題は? まぁ何も持って来てない方がいいわ。わたしはゆっくりこれから寝る予定だから」

 対面を許可しておきながら、突き離したいのか、縁子は気怠げにそう言い放った。


 「君はレポート書いてる途中に眠りこけ、今夢を見ているのに、更にその中で眠り出すおつもりで? 怠慢極まれりだね。意味分かんないよ」


 「わたしは一度寝ると、どう足掻いても起きたら十時間は経ってるもんだから、レポートはもう今日は完成しないどころか、明日の一限は間に合わない」


 「地味に焦る展開だね。妙な落ち着きのわりには」


 「そうよ、徹夜に賭けるのは、あまり挑戦するものでは無いわね。こうなればもう後は誰かに託すしかないわ。だからもう寝るの」


 「はぁ、外に目を逸らしながらそんな訳のわからん事を悟りきった顔して言っても無駄だぞ。残念ながらここで眠る事はできないから、いつも通り話に付き合ってもらうよ。というか誰に何を託すおつもりで?」


 「はいはい、分かったわ」


「じゃあ早速、たった今ホットな話題だよ、夢でどう?」


 「どう? と言われても。夢について何か思うことでもあったの?」

 この夢の住人だからか、現実で生きるわたしに深く語りたいことでもあるのか、まぁ聞こうかな。などと、縁子は薄い思考を巡らせ、半開きの目をくろかみの目に合わす。


 「君が日々見る夢について気になって、色々聞きたくなったのが理由だよ。その一点。なんか気になって悶々としてた事を今思い出したよ」


 「どうして? 貴女は大体、わたしが見ているものは知っているはずよ?」

 今更思い出した事などどうでも良くない?と、内心めんどくさがりながらも、何故か会話を切り込む体制を整えてしまう縁子であった。


 「いいや、現実ではの話ね。ここ以外で君が見る夢なんて知らないよ。で? どう?」


 「どうって?」


 「夢」

 縁子は思う。相変わらず変な所、夢の中で夢の話をするなんて、でもまぁこの夢はまだ無茶苦茶な展開は降って来ないからマシな方だ、と。


 「別に、ほんと面白い事しかないわ。だって夢の中にいる時って正気じゃないもの。やれ、私は遠い宇宙からやって来た宇宙人だとか、私は樹木だとか、挙げ句の果てにはわたしはコップだとか。わけのわからない景色、シチュエーションの中に放り込まれて、何の疑問も持たずによろしくやってる記憶が私が毎朝起きるたびに存在している。本当に面白い事だわ」


「君、普通に人間やっている時はあるのかい?」


「まぁ、少し誇張したわ。辛うじて人としての役割を保っていることが多いわよ」


 「でも、かなり迷惑な話よ。全ての夢を覚えている、という事は夢の世界でそう存在した、っていう感覚さえ覚えてしまっているから。夢によりけりだけど、現実にもどったら私の頭の中はグチャグチャよ」


「明晰夢とかみたいに、現実の自分自身を自覚できればいくらかマシなんでしょうけど。私はできたためしがないわ。起きた後、覚えてはいるくせに」

 この言葉を最後に、列車内は少しの間の沈黙が流れた。列車の窓から見える景色からは、月明かりが徐々に引いていき、その代わり雪の舞が外の風景描写に追加されていった。それに伴い桜の花弁はそろそろ散り切ろうとしている。


 「ねぇ、でもさ、こんな事考えた事ない?」

 沈黙を切ったのはくろかみのほうだった。


 「?」

 縁子は左眼を少し見開き、反応した。

 

 「そうやって、君が夢だと思い込んでいた世界は、本当は実際にある別の世界だったのではないかって」

 くろかみの突拍子の無い発言で、この話の方向性は違和感なく捻じ曲がる。受け、答え、から思考へ綺麗に導入されていく。それでいて現実では当たり前の様に行われる、ごく自然な導入である。


 「そうねぇ、そう考えると、かなり面白いのだけど。そんなにホイホイ別の世界に繋がれてしまえば、何かしらの弊害って既に起こってそうね」

 

 「君に関してはその弊害が既に起こってらんじゃない?」


 「貴女自身が言うことかしら?」


 「夢以前に、生物が眠るという行為には未だ謎がある。一旦身体の可能な限りの運動を制限し、身体の状態を整理する。それも一つあるだろう、でも」


 「でも?」


 「すべての生物がそうだと言う事に違和感があるとおもわない?」


 「なるほどね。寝ると言う事は弱肉強食の自然の世界では、凄くリスクのある行為だと言うのに、それを完全に行わない様に進化した生物が、現状いないという事に対する違和感。と云ったところかしら貴女の言いたい事は」


 「そうそれ。クラゲさえ睡眠に相当する活動がある事は確認されているし、何なら微生物にさえ活動が著しく抑えられている状態が確認されている始末。この事から、これは身体の状態を整えるという他にも理由があるのでは無いか。とも思う訳なのさ」


「まぁ、そうね。更に言えば夢を見る、といった現象、これに関しても「人間だけで無く、それ以外の動物も夢を見ている」という証拠があると言われている程ね」


 「そうそう。やっぱり同じくらいの知識を持つもの同士だと会話は弾むものだね」


 「やれやれ、ほんといつも誘導する様に話を繋げるの上手いわね、でも、本当に何か特別な意味がることであっても不思議はない、そもそも現に今わたしが見ているものも、毎日の可笑しな記憶も夢なのよね......」


 「というか、貴女はこんな自己主張の仕方をするのかしら?」


 「ふふ、結果的にと云うやつさ」

 レトロな列車は静かに、そして乗客に対し異様に揺れを感じさせずに走っている。雪は止み、線路両脇の桜は蕾を付けていた。山の向かいから少しの陽光が射す。未だ少し薄暗いが、天上の星々は既に不在だ。


 「今気づいたけど、私には貴女に訊かなければならない事があった気がするわ」

 

 「それって大事な事?」


 「そう。今現在、最も大切な事であり、そして今まで何故かずっと訊くべきで、訊けなかった事よ」

 そう、その事を今まで聴くことができなかった。故に縁子自身は、目の前な存在を「くろかみ」としか呼称出来なかったのだ。その事は常に自分の中に認識としてあり、この夢に限り、今の今まで意識から完全に外されてしまっていた事だった。


 「そもそも貴女は何者なの?」

 幾度となく目の前の者と邂逅を重ねて、ようやく辿り着いた疑問。存在している事を認識していながら、辿り着けなかった疑問。その感覚はまるで、そこにあるが、辿り着く事ができない夕陽を認識し続けていたようなもの。


 だが、ふとした時に夕陽まで飛ばされた者はいたようだ。今回のわたしのように。世の中は広いから、案外何かを為すにあたり、過程を踏まず成したた者も居たりするのだろう。


 「君自身さ。それだけじゃ無い、ここに存在しているこの世界そのもの、細部に至るまで君の作品であり君の一部だ」

 何かの核心に迫ったっぽいこの質問からも、返って来たくろかみの返事は、実にわたしとよく似た彼女が言いそうな事だった。だからこそ何よりわたしは、その返事に安心していた。「ついにお前、その事を聞いてしまったな」みたいな発言などから始まるホラー展開は勘弁だから、

 

 外は完全に朝陽が上がる直前だ。くろかみは、最後にこう、わたしに言った。


 「大丈夫。安心して生きなよ。いつもここで、この世界の皆んなと一緒に君を見守っているから」


 朝陽が完全に上がった。その瞬間から、わたしの世界を映していた視界は、徐々に光に包まれる。


 長く感じた夢の夜も、もう明ける。

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 ....わたしは白神縁子、大学生。今は朝十時、朝起きると、きっちり十時間いつものように爆睡していた。ノートパソコンと中にある書きかけのレポートも一緒だった。寝相などでベッドから落ちてないだけマシなのかもしれない。そう思えてきた。


 もう、一限は確定で出席が取れない。人生とは不思議なものね、さっきまでベッドでスヤスヤ、夢では列車で愉快なお友達と他愛のない会話をしていたというのに。目が覚めさえすれば、軽く絶望。まぁわかっていた事だけれど。


 「どうして現実はこうも無常なのか」

 

 「いや、ベッドの上でレポート書くのは悪手だったわね」


 「はぁ、でもやってしまった」


「別に特別勉強が得意というわけではないから、せめて出席だけは常に取っておきたかったけれど、今は二限に遅れないようにするしかないわね」

 そんな事を言いつつも、わたしは自宅である洋風の一軒家の一室で、夢の列車に住む愉快な友人の事を思い出す。


 「相変わらず一人称のない奴ね。でも、初めてあいつ自身の事について聞けた気がする」


 「あいつの言うとおり、あいつはわたし自身でもあるのだとしたら、私の中で何か変わったことがあった。という事かしら」


 「まぁ、根拠もない事。たかだか夢の御伽噺、だけれど、されど夢ね。せめてあの世界たちを、無いとは断言しないわ」


 「無いなら無いで、有るなら有るで、結論は出さないでおきましょう。そうしていた方が、より考える事が出来て面白いもの」

 

 乱れた髪を手櫛で解きながら彼女は自室を出た。可笑しな夢の世界から、負けず劣らず奇妙で面倒な現実の世界へと。果たして、本当に彼女は二限に間に合うのだろうか?

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