Homunculus編1

第380話

 Homunculus(ホムンクルス)。


 参謀官マルティナは、神聖教団が遺体の一部から人間は蘇生できないかを長年に渡り研究と実験を繰り返してきたことの一つの到達点である。


 神聖教団のアゼルローゼとアデラは、教祖ヴァルハザードが生まれ変わってくるのを待ちながら、同時に、生まれ変わってきた世界の新たなる指導者が不慮の死にみまわれた時には、遺体の一部を使い蘇生させる技術を確立させておく必要があった。


 千年王朝と呼ばれる前は、カナンという地名で呼ばれていた。

 大河バールに近い平原地域一帯を差し示していた大国へ、北方の豪族の末裔である騎馬民族の若き太守たいしゅヴァルハザードが宰相として五歳の幼帝ルルドをようし君臨した時、大陸の覇権はこの青年が握ったと思われた。


 まだ大陸の西域は発見されておらず、平原の西の果ては、大樹海とその先の山脈、東の果ては大河、南の果てと北の果ては荒れ地だと認識されていた。

 これがカナンという地であった。


 アゼルローゼやアデラが、ヴァンピールとなった時代では、教祖ヴァルハザードは教団だけでなく、このカナンの地の指導者であった。


 ヴァルハザードは、十五歳まで育て上げたルルドを目の前で殺害されて、激昂した。

 謀叛を起こして都を占拠したエンユウの軍勢を血祭りに上げるため、大いなる混沌カオスの力を自らの肉体が魔獣化するまで、クンダリーニとして取り込み制御を失った。

 魔獣化を覚悟し、予想していたヴァルハザードは、神聖教団のアゼルローゼとアデラに「この俺の後始末は任せた」と死を受け入れた人がみせる澄んだような笑みを浮かべて魔石を口に含んだ。

 オクルス・ムンディ(世界の眼)とヴァルハザードが呼んだ魔獣化の魔石。

 琥珀色の球体だが、強く念を込めると、人間の眼球の形状をした宝石に変化する。

 瞳孔部分の色は紫色であった。


 それは神聖騎士団の参謀官マルティナの眼球と酷似した魔石といえる。


 幼女の姿のホムンクルスの少女が命を落とす寸前に、少年ゲールは魔族グールとなる運命を受け入れ、魔導書と契約して左目の視力を捧げた。

 のちにゲールは右目の視力も、冒険者の乙女エレンの命を魔族グーラー化して救うために捧げている。

 ゲールの両眼の眼球は精巧な義眼なのである。見るのではなく視る。霊視能力を視力の代わりに幻術師ゲールは使用して生活している。


 これが、ゲールの幻術の仕組みである。強い思念を、相手に送り込むことで、ゲールの思念に誘発されて、相手の心や感情が動かされてしまう。


 回復ポーションを錬成したのは、このホムンクルス研究の過程で発見された技術である。


 遺体の一部、たとえば髪の毛一本から全身を培養液の中で時間をかけて再生させたとしても、遺体が完成するだけであった。

 人体錬成用の培養液として研究された液体が、のちの回復ポーションなのである。


 生きている人間の傷口に培養液を塗布したところ、回復が急速に完了した。

 傷痕すら残らない回復力である。

 肌荒れや手荒れの回復に効果抜群なのはいいが、目に入るとかなり激痛。

 そのまま失明する危険があった。

 傷口に塗布しても、痛みはないのになぜ、目に入ると痛むのか?

 遺体の一部から全身を再生する人体錬成用培養液として使用している時にはわからなかったことが、生きている人間に使用してみると謎が多かった。


 発熱、頭痛、腹痛、腰痛、胃もたれ、口内炎や口内粘膜の軽い火傷などには、服用させると痛みが急速に緩和された。

 目にだけは、しみるような痛みで目蓋が痙攣して開けなくなる。涙があふれて止まらない。

 涙で、培養液という異物を洗い流そうとしているような印象を被験者たちの様子から、研究に携わっていた神官たちは受けた。


 医学と呼べるほどではないが、解毒効果がある薬草の汁があったり、食すと吐き気をもよおすきのこなとを利用して、食あたりを起こす胃の中の腐敗しかけた食べ物を吐いたり、腸にある体調不良の原因となった食べ物を、下痢をすることで排出するなどの療法はあった。


 培養液の味は甘い。

 匂いは無臭。さらさらとした液体で、目に入った時には汗や煙が目に入ったあとのようなしみる感覚のあと、目蓋の痙攣や激痛を引き起こす。


 培養液を茶に入れて服用しても、回復効果があった。茶に甘味を足すのにも最適。また水に入れて飲むと水分補給には最適であった。


 ホムンクルス研究から始まった健康や美容に関することから、調味料としての培養液の利用にまで発展したけれど、本来の目的である死者蘇生はなかなか実現しなかった。


 目に優しい培養液で、肌のお手入れをして美肌を手に入れようという発想は、神聖教団の本部ハユウが標高の高い大山脈にあり、空気は薄く、太陽光の刺激で平地より日焼けしやすいことにあった。

 ヴァンピールのアゼルローゼとアデラは吸血を定期的に行うことで、肌荒れ対策ができたが、修行者たちは肌トラブルに悩まされた。


 培養液は、妊婦の胎内の羊水の中で、人が成長するように、培養液の中で蘇生させたい人の肉体を再生することを目指して研究されてきた。

 しかし、他の利用目的が発見された時に、材料としていた岩塩が目に痛みを与えるのではないかと考え始めた。


 岩塩とは、元は海であった場所が地殻変動などで陸地になり、塩分が化石化して結晶となって地中に埋もれている塩のこと。

 クフサールの都が近い砂浜では、塩は海水から作る印象が強いが、海の塩の他に、岩塩やスヤブ湖のような塩湖から産出される塩がある。


 岩塩は鉄っぽさや硫黄が含まれたものは食用には適していないので、入浴用の湯に入れて使用されていた。

 羊水や血液を想像して培養液を錬成する素材に岩塩が使われたのは、大山脈の岩塩の湯で、肌の角質の入れかわりを早め、柔らかくして、毛穴の汚れもスッキリ落とす岩塩湯の美肌効果が先に発見されていたからであった。


 大山脈の薔薇色岩塩は鉄っぽさを豊富に含んでいるからで、口に含んだ時にほんのりとした甘みが感じられるのが特徴である。

 人間の血液に独特な鉄っぽさがふくまれているのは、アゼルローゼとアデラが大山脈に身を潜めて信者を増やしていく間に、多くの信者から吸血して味見をしてきたのでよくわかっていた。


 培養液をベースにした回復ポーションの甘みは、薔薇色岩塩に似たほんのりとした甘みがある。

 エリザが回復ポーションをゼルキス王国の王都ハーメルンで口にした時、甘みを感じたのはこのためである。


 回復ポーションは体の不調を治癒してくれる。だが、悩みや人間関係の気疲れや感情の起伏による心の疲労感は治療してくれない。


 神聖教団の神官たちの肌トラブルの原因は、太陽光よりも、気疲れが主な要因であった。

 アゼルローゼとアデラが出張し、クレームを言ってくるエルフェン帝国の宰相のエリザもどこかに旅行中とのことで、神官たちの肌トラブルは順調に解消されつつある。


 マルティナという人物は、こうしたホムンクルス研究の技術と、魔導書グリモワールがゲールを人間から魔族へと更新バージョンアップさせるかけ引きなどのいくつかの要因が重なり合って存在している。


 人体錬成用の培養液で洗顔するなら、薔薇色岩塩湯か、ストラウク伯爵の温泉の湯か、ロンダール伯爵領のドレチ村でマーオが生成しているピンクの粉をぬるま湯か水に溶いて泡立て、もっちりとした泡で、肌を強くこすらずに洗う方が効果的である。


 


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