アクアリウムの中にある海
赤尾 ねこ
第1話 皆戸 海 19歳
昔から自分が嫌いだった。
いや、正しく言えば、自分の見た目が嫌いだった。
色白なのは母さん譲り。両親とも小柄なためか身長は160㎝で止まってしまった。中学高校とあんなにも牛乳を飲んだのに、クラスの女子に抜かれた時にはさすがに笑顔が引きつってしまった。
顔はどちらかと言うと女性的。父さんも柔らかい顔つきだから、なるべくしてなったのかもしれない。
目は大きくて黒目がちで、鬱陶しいぐらい長い睫毛。鼻は小ぶりで、唇は血色のいい赤。
学校に居る間はよかった。制服さえ着ていれば男だと言わなくても分かってもらえる。
私服だと、どんなに男性的なアイテムを選んでも、いつも女性だと思われてしまう。今は女性でもメンズ服を着たりするから、服装で性別を判断はできないのだろう。
ただ、声をかけられるだけならいい。男だと分かれば引き下がってくれる。
時折、男だと分かっても食い下がってくるケースがある。腕を掴んで車に引き入れられそうになったこともある。小さい頃に誘拐されそうになったことがある、と父さんから聞いた。両親が過保護なのも、自分の見た目のせいだと諦めている。
そんなことが重なって、俺はいつからか人を避けるようになっていった。
男子校は怖くて共学の高校に進んだのに、それでもやっぱり男子生徒にちょっかいを出されそうになったし、庇護欲をあおられた女子生徒がずっと側に居ることも煩わしかった。結局、高校は2年生に上がる前に行くのを止めた。
外に出て、人に会うことも怖くなった。
前髪を伸ばして、いつも下を向いて、小さな世界に逃げていた。
部屋には小さな水槽を置いている。
高校を中退してすぐ、父さんが何か気晴らしになればとホームセンターに連れて行ってくれた。
壁一面に並んだ小さな水槽の中で、様々な熱帯魚が泳いでいる光景をずっと眺めていた。彼らにとって、その小さな世界が全てなのだ。外の世界では生きられない彼らに、生きることを許された場所。まるで自分みたいだと思った。
急に魚を飼いたいと言い出したことに、父さんは驚いていた。でも自ら何かしたいと意思表示したことが嬉しかったのか、その場ですぐ一式買い揃えてくれた。
上手くいくまで半年かかったけど、今は水も落ち着いて、すっかりルームメイトになった魚たちがのんびりと過ごしている。
トボけた表情のコリドラス・ステルバイはいつも岩の裏に隠れているし、オトシンクロスは投げ込みフィルターの側から離れない。水草しかないような水槽の中で真っ赤なプラティが一匹だけ、悠々と水面近くを泳いでいる。本当はもう2、3匹プラティを入れていたはずだったけど、いつの間にか彼一匹だけになっていた。
餌を入れるとプラティが一番に美味しいのだけ選んで食べてしまう。それから底に落ちたおこぼれをコリドラスが慌てて食べにやってくる。
そんなコリドラスが一番好きだった。
高校の同級生が進学したり就職したりして新しい生活へと移っていった頃、父さんから「働いてみないか」と提案された。
人との接し方も忘れてしまった自分に、一体何ができるというのか。返事をためらっていると「商品を出すだけの仕事だから」と父さんは続けた。
唯一出かけられる場所だったホームセンターの店長に、父さんはいつの間にか相談を持ち掛けていた。その店長がエリアマネージャーに相談して、まずは試しに働いてもらおうという話になったらしい。
勤務先はいつも行っている近所の店ではなくて、電車で2駅ほど離れた郊外店。倉庫で働いていた人が腰を痛めて休んでいるから、代わりに入って欲しいらしい。
家からは程よく離れているし、引っ越しシーズンも終わっている。きっと同級生に会うことはないだろう。何よりアルバイトでも社員割引で商品が買える。ネットで見かけた新商品のフィルターも遠慮なく買えるのではないか。
元より体裁を繕う気も無かったから、履歴書には正直に高校中退と書いた。面接でも聞かれたことは素直に答えた。顔を上げられなかったから、エリアマネージャーがどんな人なのか顔もよく見ないままだったのに、来週から来るように、と告げられたのだ。
余程、人手が足りないのだと思う。
まずは午前7時から午前9時までの勤務。できることが増えてきたら他の仕事も増やしていくことになった。
自分が他の人と同じように働けるとは思えなかったが、何かを掴むきっかけになるかもしれないと少しは期待をしていた。
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