箱庭の杠

守屋丹桂

序章 黄金瞳の華 前編

その者らはあしふねに乗っての地へ流れ着いた。かれらはそこに島を創り【天描島てんびょうとう】と名付けた。次に彼らは男と女を創った。彼らの名は蛭子ひるこ淡島あわしま――これがこの島における人の誕生である。


幾つかの時が過ぎ、蛭子と淡島は島の統治から一線を引き、自ら選定した【三権大師さんけんだいし】なるものに統治を任せた。三権大師たちは天命によって百年の業に縛られることになった。後継者たるゆずりはたちばなさかきもまた例外ではなく――



「はあ、蛭子ひるこ様も淡島あわしま様もどうしていつもこうなのか……。全く、此方こちらの身にもなってほしいものだ。今日は早く帰れると思うたのに、仕事が増えてしまったではないか」

書類仕事をしながら思わずため息が漏れた。長は気ままな人だ。長が隠居してからというもの、歴代の三権大師さんけんだいしは皆手を焼いていた。

「何ぶつぶつ言っているの、立法?」

部屋の外から声がすると、声の主は扉から顔を覗かせた。

「行政か。先程長から呼び出しを受けてな、何事かと思うたのだが、どうやら黄金瞳きんどうが生まれるそうだ、明日」

「明日!? また急だね」

黄金瞳は『わたしたち』の目印のようなもの。三権大師に選ばれたものにのみ発現する特殊な瞳。単に視力が良いというだけではなく、島民の潜在能力を認識したり、自分に向けられた悪意を感じたりすることもできる。その瞳はあまりの眩しさに暗闇でも光り輝く。現三権大師である立法も含め行政や司法も黄金瞳を生まれ持っている。

「司法にも伝えてくるよ、立法の後継者が生まれる、とね」

「頼む」

慌てた様子の行政が部屋から出て行った。

今年は世代交代が近い立法たちの次代の三権大師が生まれる年の為、約半年前に行政、つい先月に司法の後継者が生まれた。一体どのような子が生まれるのだろう、他の後継者たちと仲良くできるだろうか。まだ見ぬ後継者を想像しながら、立法は高く積まれた書類に筆を走らせた。


翌日、三権大師とその側近は長の予知に則り、後継者への挨拶の為に北地区の住宅街を歩いていた。

「朝のうちに雪が止んで良かったな。積もっているが……」

普段から寝てばかりいて外出をしない行政は北地区の気候に不慣れな様子だった。冬真只中の天描島てんびょうとうの北地区は一面の銀世界と化している。他の地区は雪が降ることはないが冷たい空気が流れ、南地区の人々にとっては過ごしやすい気候になった。

「滑らないように気をつけろよ、行政」

「うん」

「もし転んでもわたしが受け止めます。ご安心を、行政様!」

行政の側近である汐月しづきが妙に意気込んでいる。

「僕そんなにひ弱じゃないよ」

立法が不貞腐れる行政をなだめつつ皆で歩いていると、司法が不意に立ち止まった。

「……ここですかね」

司法が指差す方を見やると、地図に描かれている家と同じ外観の家があった。家の中に人の気配が一、二……五。そのうち赤子の気配が一つある。恐らく次代立法の気配。

「家主は御在宅ございたくか! 三権大師様の御成おなりである!」

立法の側近の江雪こうせつが家主に向けて声を張り上げた。人が居るなどうに分かっているだろうにわざわざ尋ねるところに江雪の律義さが滲み出ている。だが、少々赤子に配慮というものをしては如何か。大声を出しては昼寝中の子を起こしてしまう。

ああ、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

「お待ちしておりました、三権大師様。側近の皆様も。御足労頂きまして誠に有難う御座います。さあさ、どうぞお上がり下さい」

「出迎え有難う。邪魔するぞ」

この家の主、次代立法の父親が出迎えた。今朝、訪ねる前に遣いを送ったからか、はたまた後継者が生まれた家に三権大師が訪ねるのは恒例となっているからか、住人たちに急いでいる様子はありつつも驚いている様子はなかった。

とある部屋へ通されると、助産師が二人と母親、母親に抱かれる黄金瞳の赤子が居た。

「ごきげんよう、三権大師様。申し訳御座いません、このように座った状態で挨拶など……」

「何を言う。つい先程まで身重みおもだったのだ、立って歩くなどしなくてもよい」

「そうだよ。ゆっくり休んで」

立法の言葉に行政が同意する。司法も頷いている。側近たちは大仕事を終えた母親と生まれたばかりの子に、大勢で押しかけるのは申し訳ないと外に待機してもらっている。

「はい、有難う御座います。しかし、休む前にこの方の名づけをお願いしたいのです」

「ああ、承知している。わたしもそのつもりで此方こちらおもむいたのだから」

天描島にはまことの名というものがある。例えば、側近たちはそれぞれ江雪、汐月、依鶴いづる。立法たち三権大師にも真の名がある。……現在呼ぶ者はいないが。大概、子は親から名づけを受けるが、三権大師の後継者は現三権大師に名づけを受けることがいつの間にか定着している。無論赤子の真の名も考えてきた。

そして、立法は改まった口調で告げた。

「はじめまして、お嬢さん。ようこそ、神に魅入られた島へ――そなたの名は『ゆずりは』。気に入ってくれると嬉しい」

眠っている杠に祈りを捧げる。一瞬ふわりと笑ったような気がした。

「立法様、どうかこの方を抱いて差し上げてください」

「ああ」

母親は自分の娘を『この方』と言った。無意識なのか、自覚してなのか。……考えすぎか。

杠は軽かった。柔らかくて、少し力を入れると壊れてしまいそうで如何すれば良いのか分からなくなった。ああ、母親の手から離れたことを察してかすぐに起きてしまった。寝起きで見知らぬ爺に抱かれていると分かった杠は大泣きした。子育ての経験などない立法は混乱した。

「あらら、立法は不器用ですね。頑張ってあやして下さい」

「う、うるさいぞ、司法! 自分は後継者を抱き慣れているからって!」

「立法、頑張って」

立法は何とか杠をあやそうと試みたが結局失敗に終わった。努力しなければな。

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