第2話 慎ちゃんが誰かれかまわず、女子に優しくし過ぎ問題

「慎ちゃん。数学のプリントもう終わってるかな?」


 教室で生徒会書記の桃山に話しかけられた。

 桃山と僕は同じクラスなのだ。

 気軽に話しかけてくれる桃山は、僕にとっては癒しの存在でもあった。

 この学校では『女子から男子に告白してはいけない』という暗黙の了解があった。それを許せば、男子の生活に支障が出るレベルで女子が殺到するからだ。

 そのルールが派生して『男子に軽々しく話しかけてはいけない』と解釈する女子も少なくなかった。

 そうすると、どうなるのか。

 僕が孤立するのだ。圧倒的に数が少ない男子は同じクラスに固まることはまずない。そして女子からは遠巻きに見られる。悲しい。

 僕は癒し系ストーカー桃山に笑い掛けた。


「うん。回収ご苦労さん」

「これも委員長の仕事だから」


 にっこりとエクボを作って桃山も笑った。

 桃山は生徒会書記以外にもクラス委員長も務めており、非常にまとめ上手で、リーダーシップが抜きん出た人材である。

 成績は優秀、運動神経も悪くない。おまけにかなりの美人。ストーカーであることを除けばパーフェクトな人間なのだ。本当になんでストーカーなんて、やってるのキミ。


 プリントを渡すと桃山は「ありがと」と一言礼を述べ、他の生徒のプリントを回収しに行った。







 直後、いきなり何者かに肩を組まれる。

 ゴツゴツと骨ばった腕。

 なんだ、男子か。


「いよぅ、慎ちゃん! 相変わらず高齢の猫みたいな目しちゃってよォ」

「こら拓也。やめろ。放せ」


 周りの女子がチラチラと僕らを見て、耳打ちし合って何か話している。パシャっと誰かが写メを撮った。拓也がイケメンだからだろう。

 数少ない男友達の拓也は男女比1:20のこの世界では珍しく、イケメンなのにコミュ力が高い。この世界のイケメンは、石油王も裸足で逃げ出す程の傲慢さを持つのが普通だ。しかし、拓也は気さくでなかなかに話せるヤツなのだ。

 なんなら僕よりよっぽど主人公している。代わって欲しいくらいだ。

 ちなみに超美人の年上彼女がいるリア充野郎でもある。


「いちいち肩組むのやめろよ! 鬱陶しいなぁ!」

「なんだよ、慎ちゃん。つれないな〜。周りの女子だって喜んでんじゃん」


 何人かの女子がうんうんと頷いていた。僕が蔑みの目を送ると頬を染めて恍惚の表情をする強者もいた。変態である。


「僕がいやなんだよ! 男に抱きつかれて喜ぶ男がどこにいる!」

「なんだよ、まるで女子ならオーケーみたいな言い方だな」

「そりゃそうさ。可愛い女子なら尚良い」


 つい口をついて、元いた世界の認識で答えてしまった。

 周りからガタガタっと一斉に音がした。なんだ? フラッシュモブか?


「うそ……」

「ワンチャンあり……?」

「ヘイSiri ハグからセックスに至るには」


 …………。

 あー、あー、聞こえない、聞こえない。

 僕は悪くない。僕は悪くない。

 これでラッキースケベを頂いてもそれは不可抗力だ。

 そうだろう?



 不意に闇の波動を感じ、ハッと振り向いた。

 桃山だった。

 可愛らしい微笑で、しかし、暗黒オーラを纏って、こちらをうかがっていた。

 漫画の世界であったなら、僕は多分あのオーラだけで気を失ってしまうだろう。それほどの覇気だ。覇王色だ。

 僕がラッキースケベを誘発させようとしているからか? なんて勘の鋭いやつ。



「同級の女子に抱きつかれて喜ぶなんて、お前頭イッちゃってんな」

「うるせーよ!」


 この世界では、唐突に女子に抱きつかれて喜ぶ男はいない。多分僕ぐらいだ。

 元の世界で言えば、女の子が知らない男に急に抱きつかれるようなものだからな。恐怖しかないだろう。



 ヘラヘラ笑う拓也に僕は「で?」と先を促した。

 拓也は「んぁ?」とアホ面で聞き返す。アホだから仕方がない。努力でどうにもならないことは言っては可哀想だ。


「わざわざ10分休みに他クラスの僕のところに来たんだから、何か用があったんだろ?」

「あー! そうだった、そうだった! 次、うちのクラス、地理なんだけどさぁ、教科書忘れちゃってな。地理の北村、男子にも容赦ないだろ? だから、慎ちゃん! 頼む! 教科書貸してくれよォ」


 北村先生、確かに怖いもんな。

 男女差別しない良い先生なのだが、男子にも容赦なく叱責するため、男子を守りたい女子からは非難轟々で人気がない。


「まぁいいけど。落書きするなよ」

「小学生か、俺は!」

「お前ならやりかねないから言っている」


 女性の偉人の写真にちんこ書き足したりするやつなのだ、コイツは。

 引き出しから教科書を出して拓也に渡した。



 すると、突然、横から話に入ってくる者がいた。


「き、北村マジないよね〜! たた拓也くんを叱るなんて信じらんないよォオ!」


 隣の席の千葉さんだった。

 金色に染めた髪は少し傷んでいて、メイクが若干濃い。有り体に言えば、ギャルだ。だが、普通に可愛い。この世界の女子のルックス偏差値は異様に高い。男が少ない中、生存競争に勝ち抜くための進化なのだろうか。

 千葉さんは、話に入るタイミングを探っていたのか、若干どもりながら、少し不自然なテンションで声を張った。緊張を隠して無理に明るく取り繕っているようだ。

 拓也はこういうギャルによくモテる。いや、万人にモテるのだが、アプローチをかけるのは陽キャのギャルが多い、というだけのことなのだろうが。


 しかし、拓也は意外にもガードが固かった。

 一瞬で氷のように無表情になる。まるで千葉さんに『あなたには興味ないです』と示すような塩対応。


「ふぅん、そう。じゃ、慎ちゃん。俺行くわ。教科書さんきゅー!」


 拓也は教科書をひらひら振って、去って行ってしまった。

 おいおい、そりゃあんまりだろ……。

 僕もこの世界で3年を過ごしているから、これがこの世界の普通だと分かってはいるが、そうは言っても、これではあまりに千葉さんが不憫だ。

 千葉さんは涙を目に溜めながら、『泣くまい!』と震えて必死に耐えている。

 可哀想だが、この世界ではよくあることだった。

 千葉さんは耐えきれずに溢れた一筋の涙を素早く袖で拭って、僕の方を向く。


「し、慎一くん。ごめんね。せっかく拓也くんと楽しくお話してたのに……。あたし、そんなつもりじゃなくて……」


 千葉さんの弁明は尻すぼみに小さくなっていく。

 別に僕は怒ってないのに、千葉さんは頭を深く下げて謝罪していた。不祥事議員の記者会見か、ってくらいに頭を下げている。

 周りの女子も千葉さんを助けようという者は現れなかった。

 無謀にも男子にアプローチをかけ、敗れた者に情けはかけない。それがこの男女比1:20の世界の常識であった。

 仕方ないから、僕が声をかける。


「拓也は女子には誰にでもあんな感じだよ。あんまり気にすんなよ」


 千葉さんがあまりにも可哀想だったので、ポケットから飴ちゃんを出して、千葉さんの机に置いた。

 千葉さんは僕を見つめながら、はっと息を吸いながら両手で口を覆う。

 何その演劇めいたムーブ。


「慎一きゅん……」


 千葉さんが二筋目の涙をこぼして言った。

 え、待って。きゅんってなんだ。きゅんって。

 飴ちゃんあげただけで大袈裟なやつである。


 僕が若干引いていると、突如として、『ガタッ!』と周りの女子の1人が立ち上がった。

 脈絡のない起立にビクッと肩が跳ねる。


 え、何?! 怖い怖い怖い怖い怖い!


 恐る恐る顔を向けると、その女子と目が合った。彼女は力強く一つ頷いてから、ゆっくりと拍手をし出す。



 ぱちっ……ぱちっ……ぱちっ……ぱちっ



 静かな教室に手を叩く音だけが響く。どうでも良いが、このゆっくりとしたテンポが若干イラつく。

 すると一人のアホに続くように、ガタガタガタガタッと皆が立ち上がった。

 パチパチパチパチと鳴り止まない拍手が起こる。

 うんうん、と満面の笑みで頷いている女子もいれば、人差し指で涙を拭う者もいた。



 え?! 何?! 何なの?! 何のスタンディングオベーションなの?!



 謎の拍手喝采の中、ポツンと立ち尽くす僕に千葉さんが言った。


「慎一くん。飴ありがとう。一生大事にするねっ!」

「いや。食えよ」


 千葉さんは一生物の思い出を得たような満足げな顔で微笑んでいた。


 ——その時である!



 僕は背後から、怨念のような邪悪な気配を感じた。背中に嫌な汗がツーっとつたう。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。本能がソレを見ることを拒否していた。

 しかし、怖いもの見たさ、というものだろうか。意思に反して体が勝手に動く。僕はゆっくりと振り返った。


 そして、ソレと目が合った瞬間、






「ひィィィイイ」




 恐怖が口から漏れた。
















 そこにはこの世の恐怖が形を成して体現していた。
























 桃山だ。





 ♦︎




 放課後の生徒会室。

 生徒会メンバー全員が席に着くと、今日は会長ではなく、桃山がホワイトボードの前に立ち、進行しだした。


「今日は私が議題をだします」


 会長はあらかじめ聞いていたのか、何も言わない。

 皆、一様に深刻な表情をしている。


 何だ? そんな逼迫ひっぱくした案件あったっけ?


 桃山はホワイトボードに、女の子らしい丸っこい字をさらさらと書いていく。

 僕は書かれた字を見て、なお理解できなかった。




「今日の議題はこれです」





 バンっと桃山がホワイトボードを叩いて、議題を読み上げた。




「慎ちゃんが誰かれかまわず、女子に優しくし過ぎ問題ぃぃ!」



 パフパフ♪



 どこから持ち出したのか美咲ちゃんが、ゴム風船のついたラッパを鳴らした。

 ふざけているようで、顔は株主総会のような真剣な表情。

 ふざけるのか、真面目なのか、どっちかにしてくれないかな。


「確かに慎ちゃんは優しいよね。他の女子には」と会長が言う。

「はい。慎ちゃん先輩はとっても優しいです。他の女子には」と美咲ちゃん。


 おい。なんか含みがないか、キミたちの言い方。


「だが、優しいことはいいことではないのか?」と薫先輩が唯一僕の味方をしてくれた。

 流石は薫先輩。良いことを言う。優しいことはいい事だ!



「それではここで、これをご覧いただこう」


 桃山がおもむろにDVDを取り出すと、ノートパソコンに挿入する。

 皆が席を立ち、桃山の周りに集まり、パソコンの画面を覗き込んだ。



 映し出されたのは、先ほどの教室での一部始終であった。

 拍手喝采のシーンが異様過ぎて怖い。何かの宗教みたいだ。



 映像が終わる。




「…………おい、桃山」


 桃山は答えない。目も合わせない。淡々とDVDを抜いてカバンにしまっている。確信犯である。

 僕は更に言葉を重ねる。


「これ盗さ——

「——最も強い言葉で非難する!」


 桃山が僕の追及に被せて政治家みたいなことを言い出した。

『非難する!』じゃねーよ! 非難されるのはお前だろ!

 ちょっと内緒で撮っちゃった❤︎ ってレベルじゃないから! 定点カメラだからコレ!

 どう見ても盗撮です。

 本当にありがとうございました。


 他のメンバーも「良くないよ、これは」と非難の言葉を口にする。

 しかし、それは桃山に向けられたものではなかった。


「これはひどいね」

「ああ。あの女子も可哀想に」

「はい。慎ちゃん先輩鬼畜です」


 何故か会長たちは盗撮には一切触れず、僕がボロカスにディスられていた。何故だ。


「最初の拓也氏はまだセーフだよね。あれだけ冷たくされれば、脈なしなんだってハッキリ分かるし」


 会長が言うと、皆が頷いた。心は一つ。僕はその心に含まれていない。

 意味がわからない。どういうことだってばよ。


「はい。それなのに慎ちゃん先輩ときたら、その気もないのにあんな神対応しちゃって……あーあ。あの子、もう慎ちゃん先輩以外の男を愛せない体にされちゃってますよ」


 美咲ちゃんが『心底軽蔑する』と僕を半眼で睨む。


「なッ、そんな訳ないだろ! 飴ちゃん程度で!」


 はぁ〜っ、と女子4人が呆れたように嘆息した。僕はそんなにおかしなことを言っただろうか。いや言っていない。おかしいのはいつだって、この生徒会だ。


「でも、慎一は私達には神対応しなくないか?」と薫先輩が新たな話題を提示すると、一同は「確かにぃ〜!」と机に前のめり気味に同意した。


 何、この盛り上がり。もう僕抜きで女子会してくれませんかね?

 不意に会長がこちらに顔を向けて、口を開いた。


「ちょっと慎ちゃん! 試しにさ、私に優しくしてみてよっ!」



 試しに優しく、って何だ! 未だかつてそんな雑なパスを受けたことがないのだが。

 そもそも優しいって何? 分からん。


 しばらく考えて、ピンと閃く。

 僕は会長の後ろまで移動して、会長の肩をガッと掴んだ。


「最近母さんに肩揉みしてて、けっこう上達してきてるんですよっ! 会長、いろいろ忙しくて疲れてるでしょう? 僕がほぐしてあげますよ」


 会長の肩をくいくい揉んでいく。


 何だコレ。めっっっっちゃ柔らかい! 赤ちゃん肌かよ!

 全然凝ってる感じがしないが、会長の体温だけが急激に上がっている気がする。うなじに指をかけると、少し湿っていた。マッサージで血行が良くなっているのかな? 首から耳にかけて真っ赤だ。


「ふぁっ……ぁぁあああっ❤︎ んぁあああっ❤︎」


 やらしい声だすのやめてもらえます? 肩揉みしてるだけなんだが。

 ついには会長は机に突っ伏し、撃沈した。




「つ、次私! 私です、先輩! 優しくしてください!」

「お、おう」


 美咲ちゃんが鼻息荒く、前のめり気味に手を挙げる。

 どうでも良いが『優しくしてください』って言葉を後輩から言われるとなんかエロいな。

 僕はまた考える。同じ肩揉みだと、芸がないか。

 優しくか……優しく……優しく……。

 考えても何も浮かばなかったので、とりあえず頭を撫でておいた。


「ふぁ……❤︎」


 顔を真っ赤にしてテレテレする美咲ちゃん。

 可愛い。

 美咲ちゃんはニヤニヤした表情で、妄想の世界へ旅立った。

 さようなら。


「わ、私は!? 私にも優しくしてくれ!」


 薫先輩までアホなことを言い出した。

 もはやキャラが崩れている。クールビューティーが言うセリフではない。

 よし、ドMの薫先輩には足ツボマッサージだ! と、即決する。肩揉みよりもガチめに習得しているので、効果抜群のはずだ。


 薫先輩の上履きを脱がす。「ちょ、やめ、慎一、ダメだ! 汗かいてるから!」と口では嫌がるが、抵抗は全くなかった。多分内心喜んでいる。変態である。

 紺色のスクールソックスに包まれた足を手に乗せると、湿った温もりを感じた。匂いはあまりしない。ほのかに酸っぱいような気がしなくもない、といった程度だ。

 足裏を指でなぞってツボを探した。くすぐったかったのか薫先輩の体がビクッと仰け反った。

 そして、僕はついにツボを見つけ出す。

 遠慮はいらない。何故なら彼女はドMだから。


「そこだァァァァアアアア!」


 親指で最大限に力を加え、ググっと指圧した。


「ああああああああああっ! い、いた、い痛いぃぃ! 痛ぁぁあああい! でもそれがイイぃぃぃいい❤︎」


 苦しそうに顔を歪めながら、同時に顔を上気させ、そして時折恍惚の表情を一瞬浮かべる。


 薫先輩の名誉のために言っておく。薫先輩は尊敬すべき素晴らしい先輩だ。頭がよく何事も要領よくこなし、他人への気配りも忘れない。本当にカッコいいし、心も身体も美しい先輩だ。


 だが。

 だが、しかし。

 これだけは言わせてくれ。




















 ドM乙










「一片の悔いなし……」


 薫先輩は椅子の背もたれにのけぞったまま、意識を手放した。やっべ、やりすぎた。


 僕が席に戻ると、隣の席から視線を感じた。

 期待に満ちた視線である。


「わ! 私は?!」


 桃山が僕をキラキラした目で見つめる。

 あの足ツボマッサージ見た後でよくそんな目ができるな。



 やっぱり何も思いつかなかったので、とりあえずいつもの感謝でも伝えようと思い立った。


 桃山の目を見る。

 桃山まつ毛長ぇ〜なぁ、と関係ないことを考えながら、見切り発車で口を開いた。


「桃山、いつもありがとう。桃山の頑張りにいつも助けられてるよ。なんだかんだ桃山が一番大事な存在なんだなって思うよ」


 僕は思っていることをそのまま言った。

 台本もなく、思ったままに言ったので、少し言葉足らずだったかもしれないが、はっきりと言い切った。

 桃山は一番大事な存在だ。桃山がいなければ、成り立たない、という程に。

 だから、これからも僕たち2-D・・・・・・の要であってくれ。

 僕はクラス代表としてハッキリと感謝を告げた。

 伝わってるといいな。


「ぁ…………ぇ……ぁ……」


 桃山は何故か混乱したように瞳をあちらこちらに彷徨わせて、顔を真っ赤に染めた。

 なんだ、意外に恥ずかしがり屋なのか? 可愛いな。

 僕が微笑むと桃山は焦点が合わなくなり、机に撃沈した。


 え。恥ずかしくて気絶することって……ある?

 メンタル豆腐過ぎない?


 疑問に思うが、それを確認できる存在は今、この場にはいない。

 結局、僕はまた一人ぼっちになった。

 皆がいつ夢の世界から帰るのか不明なので、僕は皆を残して先に帰宅した。



 この生徒会のメンタルはヤバい。

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