第2話剣王は混乱する

「ん——」


 近くで声が聞こえた。きっと侍従の誰かの声だろう。だが、声がしたということは、もうそろそろ起きなければならない時間ということだ。


 この寝ているのか起きているのかわからない微睡は心地良いが、お飾りの王とはいえどわがままに寝続けるわけにはいかない。


 しかし、なんだな。今回はいつもよりも長く眠っていたような感じがする。冷たく、恐ろしく、優しく、温かな海を揺蕩っていたような余韻がある気はするが、普段からこのようなものだっただろうか?


 まあいい。寝ている間になにを感じ、どのような余韻があったとしても、起きて朝食を食べ終わる頃には忘れている程度のことでしかない。今は起きてお飾りの王としての責務を果たしにいかなければ。


 そうして体を起こそうとしたところで徐々に意識がはっきりしていくが、最初に感じたのは、硬いという思いだった。

 私は普段寝る時は、特別な事情でもない限り王に相応しい柔らかなベッドで寝ている。

 だが、今背中から感じるのはとても硬い、板の上に藁でも敷いただけではないかと思えるような感触がしている。


 バッと慌てて体を起こしてみるが、思ったよりも体に力が入ってしまいベッドから落ちそうになった。

 いや、嘘だ。ベッドから落ちそうになどなっていない。何せ、私はベッドになど寝ていなかったのだから。

 地面に直接敷いた藁と、その上に被せてある布。私はその上で寝ていたらしい。もとより落ちるべきベッドがなかったのだから、誤って動いたとしても落ちるわけがなかった。


 しかし、なぜ私はこんな粗末なものの上で寝ているのだ? ……攫われた、わけではなかろうな? そのようなことをする意味がない。攫うことができるのであれば、殺してしまった方が楽に済む。金銭目的であれば、城の何かを盗んでいけばそれで十分なはずだ。やはり、私が攫われたという可能性はないと思っていいだろう。


 しかしなぜここにいる? 攫われたのでなければ私自身がここにやってきたことになるが……全く覚えていない。歳が歳だったのだから、ついにボケたか?

 ……いや、そうではない。そうではないはずだ。何せ、私は死んだのだから。

 そうだ、私は死んだのだ。自身の死期を悟り、そのまま死んでいくことを選んだのだ。


「ここは……どこだ? 私は死んだのではなかったのか?」


 自身の最期を思い出して、もしや死んでいなかったのか? と考えて改めて見廻してみるが、やはり今いる部屋に見覚えはない。


「彼岸というにはいささか現実みのある光景だな。だが……」


 これが現実であれあの世の光景であれ、随分と寂れているではないか。


「小屋……いや、廃屋か?」


 おそらくは人が住んでいる小屋なのだろうが、廃屋と見間違えてしまうほどに粗末な建物だ。

 地面には床がなく土が直接存在しており、部屋はいくつかあるようだがドアがない。

 窓もなく灯りの類もないため、隙間から差し込む日差し以外には部屋を照らすものはなにもなく部屋全体が薄暗い。

 だが、そんな部屋の中にあっても部屋の片隅には小綺麗な、だが埃の被っている箱が置かれている。

 なんとも不釣り合いなものだが、この場所はいったいどういった由縁の場所なのだろうか?


 しかし、それにしても……


「先ほどから気になっていたが……ふむ。やはりこの声は私のものか」


 であれば、これは以前の私の体ではない?

 あの嗄れた老人の声とは違い、力強さこそないが若さの滲み出ている声が、私の考えた通りに発せられている。つまり、今の私はこの声相当に若い見た目の肉体になっているということか。


 できるならば鏡を見て自身の状態を確認したいところだが……鏡などこの小屋にあるはずもない、か。


「ディアス? 起きて大丈夫なの?」


 と、ベッドと呼ぶのも烏滸がましい寝床らしき場所に座りながら考えていると、何者かが声をかけてきた。

 いかんな。突然の状況に混乱していたとはいえ、人の気配に気づくことができなかったとは。


 声の下方向を見ると、やつれた線の細い女性が、見窄らしい格好で立っており、心配そうな様子でこちらのことを見てきた。


 ディアス、とは私のことを呼んだのか? だが、今の私は姿が相当変わっているはずだ。それに、こうも親しげに話しかけてくるような相手なら顔を知っているはずだが、見覚えがない。

 となると、考えられるのは私がこのような状況に陥った原因、あるいはそれを知る者となる。


「……誰だ?」

「え……」


 私からしてみれば至極当然の問いかけだったのだが、女性はまるで絶望したかのような表情をし、ヨロヨロとふらつく足取りでこちらに近づいてきた。


「だ、誰って……なにを言っているの? じょうだん、よね……?」

「い、いや……ぐっ!」

「ディアス!」


 なんだこれはっ!? なんなんだこの痛みは!

 ふらついた足取の女性を見て、その姿を見ていると無性に申し訳なさが湧き上がってくる、などと思っていると突然頭の奥が痛みだし、それと同時に胸の奥……いや、身体の奥がジクジクと滲むような痛みを感じ出した。


 慌てて駆け寄ってきた女性が私の体を支えながら、心配そうな声で私の名前を呼ぶが、そんな声を気にしている余裕はない。

 と思うと同時に、気にしなくてはならない、この声を消さなくてはならない、こんな声を出させてはならないという思いが溢れてくる。


 そして……


「ああ、ごめんね、母さん。まだ頭がはっきりしていないみたいだ」


 気づいたら自然とそう口が動いていた。


「そう……そうよね。五日も寝ていたんだもの。仕方ないわ」


 女性……母さんと呼んだ相手は、〝僕〟の言葉を聞いてもまだ心配そうだったけど、納得して離れた。


 ……僕? 誰だ。私は〝私〟のはずだろう?


「ごめんね。ごめんね……もっといっぱい食べるものがあれば……こんところじゃなくて、もっと普通のところに住んでいられたら、あなただってこんなことにならなくってよかったのに……」

「……母さん。私は、母さんと一緒にいられて幸せだ。気にすることはないよ」


 申し訳なさそうにする母さんを見ていられなくて、〝僕〟は母さんの手をとって笑いかける。


「ありがとう。でも、ふふ。あんまりなれないこと言うものじゃないわ。あなた、口調がおかしなことになってるわよ」

「……そう? まあ、気にしないでくれ、ると嬉しいかな」


 自分では気にしてなかったけど、どうやら今の〝僕〟はおかしな口調になっているようだ。

 当たり前だ。何せ話しているのは僕ではなく〝私〟なのだから。むしろ、こちらの口調の方が普通で、なぜ僕などと言っているのかわからない。


 いや、まって。僕はこんな口調じゃなかったはずだ。なんだ普通って。普段はもっと違った喋り方をしてたはずだろ?


 なんだこれは、頭の中に二つの記憶がごちゃ混ぜになって流れてくる。わからない。わからない。自分が〝私〟なのか〝僕〟なのか。どっちでもあり、どちらでもないような、頭が狂いそうな気持ち悪さがあるけど、なぜだか自然とその気持ち悪さを受け入れられてしまう。


 そのことに余計に気持ち悪さを感じるけど、とりあえず、今は状況を確認しよう。


「それより、ここはどこ?」

「どこって、家よ。あなた、魔族に殴られて気を失ってたのよ。し、死んじゃったと思ったんだから……」

「魔族って……魔族がいるのか!?」


 なぜ人間の領域に魔族がいる!? まさか、境界を破って抜け出してきたものがいるのか!?


 人と魔を隔てている境界は十年ごとに変動するため、当然そこで暮らしていたもの達の生活も変化する。

 その変化に適応するため、境界が変動して相手側の領土となった地域の住民は、一年以内に自分達の領土に戻ることになっている。それを移住期間という。


 移住期間中は、相手の領土にいても自分達の法律で暮らすことができるが、もしその期間内に戻らなければ、人間も魔族も相手側の法に則って生活する必要がある。そして、基本的に相手方の種族に対しては法律は厳しいものとなっている。


 そのため、通常であれば移住期間が終わる前に魔族達は自分たちの領土へと引っ込んでいくはずなのだが……


「当然でしょ。確かに先月の戦王杯は人間側が勝ったけど、完全に魔族がいなくなるまで一年の猶予があるもの。まだしばらくはいなくならないわ」

「……なんという……」


 どういうことだ? 魔族がいるのはいいとしても、前回の戦争で人間が負けた? いや、勝っただろう。私が勝ちを手に入れたはずだ。


 それに……戦王杯? それは境界戦争のことで良いのだよな? そのような呼び方は聞いたことはないが、ここはそれほど独特の呼び方をするほどの田舎ということか?


 であれば、勝ちが負けとして伝わっている? いや、そんなことはありえない。では、どうなっているのだ? どうして、私の勝利がなかったことになっている?


「グリオラに魔族が留まるなんて、剣王様が聞いたら悲しまれるのでしょうね」

「グリ……オラ……? ここが、グリオラだというのか? バカな……」


 グリオラ。それは、私の城であり、人間の領土の中心とも言える場所。そして、私が最期を迎えた場所でもある。


 そんなグリオラが、魔族との境界の最前線だと? バカな……ありえない。グリオラは最前線から離れた場所にあったのだぞ? それがどうして最前線になど……っ!


 ……まさか………………負けたのか?


 ただ一度の負けでそこまで奪われたとは考えられない。少なくとも、十度は負けなければそこまで押し込まれることはないだろう。

 ということは、それだけの時間がたったということか? 十度……最低でも百年。ずっと負けていたのではなく、勝ち負けを繰り返していたのであれば、数百年が経過していることになる。


「どうかしたの?」

「……いや、まだ頭が痛むみたいだ。もう少しだけ大人しくしてるよ」

「そう……。ごめんなさいね、お医者様に見せることもできなくって……」

「大丈夫だ。この程度であれば、放っておけばそのうち治る、と思うよ」

「今はゆっくり寝てなさい。私が、何か食べるものを用意してあげるから」


 母さんとの会話を終わらせると僕はベッドに横になり、混乱する頭を整理するために目を閉じた。

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