4-2
キルトの見習い初日は、教育係のヨーカに付き従って一通りの仕事の流れを覚えることから始まった。
軍の支部所にある食堂エリアの厨房に入り、ヨーカとその他同僚のふっくらとした中年女性二人の動きを隅で眺めているだけだったが、話しかける暇もないほど忙しそうに立ち働いていることにキルトは驚嘆した。
支部所の昼休憩の時間が終わると、後片付けの合間を縫ってヨーカが白い布巾を二枚手に持ってキルトへ話しかける。
「見ているだけじゃ退屈じゃない?」
「……そんなことはない」
他の二人には聞こえないよう短く小声で答える。
退屈じゃないのね、と意外そうな顔をしてからヨーカが白い布巾の片方を掲げた。
「拭き掃除くらいやらない。何もしないと怪しまれるわ」
ヨーカの誘いにキルトは頷いて布巾を受け取った。
「出来そうなことから覚えてもらわないと。それじゃテーブルの方行きましょう」
頑張りを促すように言ってからヨーカは厨房を抜けた。
キルトはヨーカの後を追って厨房を出ると、テーブルの並んだ広い飲食スペースへ共に移動する
ヨーカが手近なテーブルに近づき布巾を卓上に押し当てる。
「まずはテーブルの上」
口頭で説明してから円を描くようにテーブルを拭く。
キルトは素直に頷いた。
「次は縁ね」
卓上を拭いていた布巾を今度はテーブルの縁に押し当て三回左右に動かす。
拭き終えると、笑顔でキルトに振り向く。
「はい。あなたもやってみて」
「……ちょっと待て」
ヨーカにしか聞こえない小声で制止をかけた。
「三日後が計画日だぞ。こんなこと覚えてどうする」
キルトの抗議を聞いたヨーカが詳しい説明をするかのようにさりげなく身体を寄せ
て耳打ちする。
「馴染めないと怪しまれるでしょ。だから仕事の間は演技に付き合って」
「実行の日だけどうにかならなかったのか?」
「見習い一日目でいきなり仕事を放棄して失踪なんて、怪しんでくださいって言ってるようなもんじゃない。それに二人の視線もあるのよ」
キルトはヨーカの肩越しに厨房にいる中年女性の二人を一瞥した。
使い終わった食器の分別をしているが、キルトは見習いのためかこちらを気に掛けている様子が窺える。
「もうすでに怪しまれてないか?」
「そんなことはないわよ。ただ見習いが入ったからどんな人柄か知りたいだけ。見習いがいることに慣れれば気にしなくなるはずよ」
「そんなものなのか」
ヨーカの言葉を信じて中年女性二人を気に留めないことにした。
「それじゃ。そこのテーブル拭いてみて」
説明は終わりとばかりにヨーカが他の人にも聞こえる声量で拭き掃除を促した。
不毛だとは思いながらも、キルトは計画のために右隣のテーブルに近づき布巾を押し当てた。
初日の仕事を終えたキルトは、更衣室に誰もいない隙に着替えを済ませヨーカと会社を後にした。
雇用情報書の所在地欄には偽装のためにヨーカと同じアパートメントを記入したため、疑念を持たれないように同じ道で帰途に就く。
「今日は一日お疲れ様」
ヨーカが進行方向を見ながら労った。
「あなたが男性ってことを気付かれずに一日目はやり過ごせたわね」
「誰か一人ぐらい気付いても良いものだけどな」
キルトはいつもの口調と声量に戻って言った。
ヨーカが顔を向け、嬉々とした笑顔を浮かべる。
「それだけあなたの女装に違和感がないってことよ。ボロさえ出さなければ計画日までバレずに過ごせるわ」
「計画としては順調なんだろうが、気付かれないのは少し堪える」
「そう言うわりには仕事きちんとこなしてたじゃない。特に食材の下処理の手際なんか皆褒めてた」
軍の支部所の昼休憩後は会社に戻り、会社の調理場で夜勤者用の料理に使う食材の
下処理の仕事に参加した。
食材をナイフで細かく切り刻む工程があったのだが、キルトは日頃の修理作業の賜物でベテラン従業員も目を瞠る手際を見せて周囲を感心させた。
意図せず浴びた賞賛の視線を思い出し、キルトは眉を顰める。
「何がそこまで凄いのかわからなかった。日頃から機工人間を修理している身ならば難しい作業ではないだろ」
「あなた、意外とこの仕事向いてるんじゃない?」
皮肉っぽくヨーカが言った。
そんなわけないだろ、とキルトは返して苛立たしげに眉根を寄せる。
「あくまでアイナとムネヒサを奪還するためにやってるんだ。そうじゃければやらない」
「私もあなたにこの仕事を続けさせる気はないけど、もしかすると明日にでも正式採用の打診があるかもしれないわよ?」
「もし打診があれば断っておいてくれ」
「きっぱり断ると見習いさせる意味がなくなるから、適当な理由で先延ばしにしておくわ」
「そうしてくれ」
ヨーカ以外の前では声の低さを隠すためにろくに喋ることができないためヨーカに保留の判断を委ねることにした。
話に一段落ついたところでヨーカが懸念の浮かんだ顔になる。
「でも、本当にこのまま上手くいくかしら?」
「何か心配なのか?」
ヨーカの考えていることが想像できず更なる吐露を促す。
しばらくヨーカは顎に指を当てて言うべきか迷う素振りをしてから、キルトに目線を返した。
「人数が少ない時を狙うとはいえ相手は軍なのよ。ムネヒサのもとまで辿り着いたとしても持ち帰れるかしら?」
「今さらだな」
キルトは正直に呟いた。
本当に今更ね、とヨーカは苦笑交じりに認める。
「計画を始める前に気が付くべきよね。感情だけで動いてたと思うと笑えてきちゃう」
「実行日よりも前に気が付いただけで良かったじゃないか」
「慰めてるの?」
「慰めてるわけじゃない。それよりこちらも何か武器のような物を用意しておく必要があるかもしれないな」
キルトは提案すると歩きながらすぐさま考え始める。
真剣に思案するキルトを見て、ヨーカが薄ら寒さを覚えたように右手で左肩をさすった。
「私、人を殺すのは嫌よ」
「死に至らしめるほどの物は作らない。俺だって殺傷は好まないからな」
「それじゃあ、どんな武器を作るつもりなの?」
不安の拭えない顔で問い掛けるヨーカ。
キルトは安心させるように微笑みかけた。
「せいぜい目くらまし程度だ。相手が軍人とはいえ少ない人数ならば足止めをさせるだけでもかなりの効力があるはずだ」
「あなたがどんな物を考えてるのか見当つかないけど、人を殺さないなら構わないわ」
キルトの考えを受け入れると、右手を左肩から離して前髪をいじる。
「人殺しをしちゃうような人がムネヒサの修理をしたと思うとぞっとするもの」
「修理した人間の性格が機工人間に乗り移る、とでも言うのか?」
「そうよ。いけない?」
「いけないことはない。近頃は機工人間を心のない便利な道具か兵器にしか考えない人ばかりだからな。心があるように考えるのを珍しいと思っただけだ」
かくいう俺も同じ考えだが。
キルトは似通った思想を持つ者がいたことに少しだけ嬉しさを覚えた。
ヨーカが澄ましたようにキルトから視線を切って歩く方向へ顔を向ける。
「ムネヒサは家族なの。他の機工人間と一緒にしないで」
「せっかく修理した機工人間を粗雑に扱われると良い気はしない。皆がウルシダぐらい大切にして欲しいものだ」
「そうなると、あなた仕事なくなるんじゃない?」
ふと気が付いたようにヨーカが言った。
「別になくなりはしない。どれだけ大切に扱っても壊れる時は壊れるからな」
「食べていける?」
「ああ。大丈夫だろう」
所詮は一人分の食費だ、くいっぱぐれることはない。
キルトの脳裏に食事であるビスケットが浮かび、そこから連想されてビスケットの齧る音を楽しんでいたアイナを思い出した。
仕事が減るとアイナに食べさせてあげる分は減るかもしれない。
キルトの胸に急な孤独感が去来する。
「何を考えてるの?」
ヨーカが顔を覗き込むようにして訊いた。
キルトは寂しさを悟られまいと顎に手を添える。
「どのような武器を作ろうか思ってな」
「持ち運びするのよ。かさ張るのはやめてよ」
「そうだな」
キルトは頭からアイナを引き剥がし、携行が可能な武器の設計に思考を巡らせることにした。
キルトの邪魔をしてはマズいと思ったのかヨーカも口を閉ざした。
二人の間に沈黙が降りたが、どちらも不思議と気まずさは感じないままアパートメントの前で別れるまで並んで歩いていた。
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