四章 奪還計画

4-1

 ムネヒサの奪還計画を練った日から三日後。キルトは給食提供会社の事務所傍にある更衣室で自分の身を包む白いコックコートを不可解そうに見下ろしていた。


「ウルシダはいつもこんな服を着ているのか?」

「かなり似合ってるわよ」


 同じ服装をしたヨーカがキルトの全身を眺めて太鼓判を押した。

 キルトはあからさまに嬉しくない顔をしてみせる。


「白すぎて目が眩みそうだ」

「厨房は清潔感が大事なの。はい、これ被って」


 キルトの不平をいなしてから紺色のキャスケット帽をキルトの頭に載せた。

 渋々とキルトは帽子を被る。


「それも似合ってるわよ」

「白じゃないだけマシだ」


 軍支部所に侵入するために、なんでこんな恰好しなきゃいけないんだ。

 鑑に映る自身の姿を見てヨーカの計画に乗ったことを後悔したくなる。

 三日前にキルトがヨーカから聞いた計画は、ヨーカの所属する会社に見習いとして入り、先輩のヨーカと行動を共にして軍の支部所に出入りしてムネヒサの奪還の機を狙うことだ。

 上手くいくかと問われれば首を傾げるが、他に代案があるかと問われても代案がないため、ヨーカの作戦に乗るしかなかったのだ。

 キルトが帽子の位置を細かく弄っていると、更衣室のドアが開いた。


「失礼するよ」


 開いたドアから声がすると、背の高いほっそりとした肢体を黒のスーツで包み黒髪を後ろに束ねた女性が入ってきた。

 スーツの女性はウルシダを見てから、傍に立つキルトに目線を移す。

 キルトの全身を眺めると口元を緩めた。


「似合ってるじゃないか、見習いくん」

「似合ってな……」


 キルトは慌てて口を噤んだ。

 ウルシダから私以外の人がいるところでは喋るな、と言われているのだった。

 返事の代わりに小さく会釈する。

 ウルシダが我がことのように嬉しそうに笑った。


「社長もそう思いますよね。私も似合ってるって言ったんです」

「通常より大きめの制服が残ってて良かったよ」


 スーツの女性はうんうんと頷く。

 残ってなかったらこれより小さいのを着る羽目になったのか?

 今でさえ肩幅の辺りが苦しいのに、と想像するだけでキルトは肌が粟立ちそうだった。


「見習いくん。うちの仕事に関して何か聞きたいことはあるかな?」


 スーツの女性が親切心の表れ出た声で訊いてくる。

 キルトは背丈が同じぐらいのスーツの女性と目線を合わせて、期待の籠った目にたじろいですぐにヨーカへ目配せした。

 キルトの視線を受けたヨーカがスーツの女性に微苦笑を向ける。


「社長。あんまり質問しないであげてください、口下手なんです」

「そうなのか。見習いくん、それは悪い事をしたな」


 非を認め、キルトへ申し訳なさの窺える微笑を返す。

 キルトは遠慮するように手を顔の前にやって首を横に振る。


「許してくれるのか見習いくん。こんな至らない社長だが、気になることがあれば是非とも聞いてくれ」


 キルトはこくんと頷いた。

 スーツの女性はウルシダに向き直る。


「ウルシダくん。見習いくんは君の紹介だし、君が指導役をやってもらうつもりでいたが問題ないかな?」

「はい。問題ないです」

「それじゃあ、見習いくんのことはウルシダくんに任せよう」


 キルトの教育係をヨーカに委任すると、キルトの方にも顔を向ける。


「見習いくんもウルシダくんの言うことを聞くように。わからないことがあれば気軽にウルシダくんに質問して」


 キルトは無言で頷く。

 話に一区切りつかせるようにスーツの女性が胸に抱えたノートホルダーから一枚の用紙を差し出した。

 用紙を見た瞬間、キルトの顔が苦み走る。

 雇用情報書、目に入れたくない紙だ。

 項目を記入した時の気持ち悪さがキルトの脳裏に蘇る。


「どうした。見習いくん」


 差し出した用紙を前に固まるキルトを見て、スーツの女性が不思議そうにする。

 キルトは慌てて首を横に振って苦笑いし、雇用情報書を受け取った。


「その用紙の複製はもう作ったからな。原本は見習いくんに返すよ」


 無理やり笑みを作って礼を言う代わりに小さく頭を下げる。

 スーツの女性はキルトの様子を微笑ましげに見つめ、スーツの胸ポケットから何かを取り出した。

 取り出したものをキルトの目の前で掲げる。

 キルトが見せられたのは女性用のヘアバンドだった。


「見習い君にこれをあげよう」

「え?」

「ほら、ここに」


 スーツの女性は突然の贈与品に戸惑うキルトの前髪を柔らかく掴むと、頭を添わせるようにしてヘアバンドで首の後ろで一纏めに束ねた。

 ヘアバンドで結わえ終えると、満足げに微笑む。


「似合ってるよ。見習い君」


 キルトは自身の慣れない馬の尾のような後ろ髪を手で弄り、何故か気味悪いような悪寒が走った。

 用は済んだとばかりにスーツの女性はドアへ踵を返した。


「ウルシダくん。後は頼むよ」

「はい。わかりました」


 更衣室から出ていくスーツの女性にヨーカは愛想よく返事をした。

 足音が聞こえなくなってからキルトを振り向く。


「大丈夫。冷や汗出てるけど?」


 暑くもないのにキルトの額には汗が浮かんでいた。


「ウルシダ。大丈夫なように見えるか?」

「見えないわね」


 ヨーカは気の毒そうに言った。

 だがすぐに真剣な顔つきでキルトを見据える。


「でも仕方のない事なの。我慢して」

「ああ、わかってる」


 キルトは苦虫を噛み潰した表情で理解を示した。

 恐いもの見たさにキルトの目は用紙の記入項目に向かう。

 性別選択の欄が女性で丸を囲っている。

 ヨーカの所属する給食提供会社の配膳係は女性しか担当できないことになっており、キルトは奪還計画のために女性を演じることになったのだ。

 性別選択欄を見たせいで余計に冷や汗の量が増した気がして、額を腕で拭おうとしたがはっとして手を降ろす。

 化粧が崩れるから無暗に顔は触らないで、とヨーカに指示されていたことをキルトは思い出し、早く勤務時間が終わることを祈った。

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