2-4

 ムネヒサの修理を引き受けた翌日。

 キルトは染料の調達のために朝早く起き、またも工房から歩いて半刻ほどの山林に訪れていた。

 昨夜は就寝の寸前までムネヒサの修理に没頭して不具合の原因を突き止め、今日の午後からは不具合の原因である劣化した部品を買うため街へ出る予定だ。そのため染料の調達に来たはいいが時間的余裕がなく、緑色だけを集めるつもりでキルトの足は沢へ向かっていた。


 沢の水音が微かに聞こえ始め、沢へと下りる坂の脇道に差し掛かったところで、脇道の入り口辺りの並木の前に幹のうろを前かがみで覗いているアイナと鉢合わせた。

 相変わらずの襤褸を身に纏うアイナの姿を見てキルトが足を止めると、うろを覗いていたアイナがキルトの気配を感じたのかゆっくりと振り向いた。

 キルトを視界のうちに認めるとアイナの顔に弾けるような笑顔が浮かぶ。


「お兄さん。また会ったね」

「……ああ。また会ったな」


 沢へ下りて緑の染料を集めるという用事のあるキルトは、どう対応しようか迷い間を置いてからほぼオウム返しで返事をした。

 言葉を交わしはしたが特に留まる理由のなかったキルトは、黙ってアイナの横を通り過ぎる。

 アイナが幹のうろから顔を離して後ろを追ってきた。

 キルトはしばらく背後を気にしないようにして歩いたが、何も言わずに追尾してくるアイナに我慢がならず足を止めて振り返る。


「お前は何がしたいんだ?」

「ふえ?」


 とぼけるような要領を得ない顔つきでアイナは見返してくる。

 悪意ないアイナの様子にキルトは厳しく突き放すのは気が引けた。


「当たり前のようについてくるんじゃない」

「遊んでくれないの?」

「遊んでいる時間はない。俺は色を集めに来たんだ」


 キルトが森を訪れた訳を話した途端、アイナの目が大好きなおもちゃに惹きつけられたように大きく見開いた。


「色集め!」

「そうだ。だから俺に遊んでいる時間はないんだ」


 言い聞かせようとするキルトだが、アイナは楽しげに身体を上下に揺らした。


「アイナもやる。色集め!」

「好きに遊んでていいんだぞ?」

「色集め!」

「沢へ降りるから服が濡れるかもしれないぞ?」

「色集め!」


 何を言っても無駄っぽいな、とキルトは諦めの気分で喜色満面のアイナを見下ろした。

 沢に降りる方向へ再び歩き出す。


「一緒に来たいなら勝手にしろ」

「色集め、する」


 普段より少しだけ歩幅を小さくして歩くキルトの後ろを、アイナは嬉々とした足取りでついていった。

 三分ほど脇道を下るとせせらぎの音が急に強くなる。

 地面に石が混じるようになると細い木の樹間から沢の流れが見えるようになった。

 キルトは脇道を下り切り、瑞々しく苔むした石が大小入り混じってまばらに転がる沢の岸辺へ降りた。

 苔の濃い石を探し始めようとしたキルトの横を後から追ってきたアイナが通り過ぎる。


「アイナ。どこへ行く気だ?」

「面白いところ」

「わからん」


 抽象的な答えにキルトは想像を放棄した。

 アイナは石に躓かないようにしながら岸辺を進み、小さな支流と繋がる分水嶺の傍まで行きしゃがんだ。

 何を始めるんだ、とキルトは疑問に思いアイナへ歩み寄る。


「何をするつもりなんだ?」

「遊ぶの」

「遊びに来たんじゃない。色集めに来たんだ」


 キルトの注意する声にもアイナは返事せず、手近に生えている細い木の枝先を折って手の中に握った。

 そして折った枝先を小さい支流へ投げ込む。

 枝先は音も立てずに水面に落ちると、分水嶺で強い流れに押されて一回転し速度を上げて流れ去っていった。

 投げ入れられた枝先の行方をアイナの後ろから眺めていたキルトが、拍子抜けしてアイナのつむじ辺りに目を移す。


「何が面白かったんだ?」

「こう、曲がっていった」


 問いかけてくるキルトに振り向くなり、アイナは手振りで枝先の軌道を再現した。

 面白さを共有するのは無理そうだ、とキルトは早くに悟って、脇道を降りてすぐの場所へ戻ることにする。


「色集めするなら一緒にやるぞ」

「アイナもやる」


 キルトを追ってアイナは分水嶺の傍を離れた。

 二人して引き返してくると、キルトはしゃがんで足元の石を一つ手に取った。

 石の地面に剥き出しになっていた側に苔が生えている。

 キルトを真似て隣でしゃがんだアイナへ石を見せる。


「ここに緑の苔があるだろ」

「うん。緑」

「この苔をだな……」


 説明しながら提げてきたバケツから一本のペティナイフを取り出した。

一部に錆の浮いた刃部分を苔の端に当てて、擦るように剥ぎ取った。


「こう削ぎ落すんだ」


 言ってもう一度バケツの上で実演した。

 アイナが興味をそそられた大きな目でキルトのバケツの中に落ちた苔を見つめる。


「面白い」

「面白いか。そうかもな」


 キルトはアイナが感じている楽しさを理解はできなかったが、水を差すのも悪く思い共感しておいた。

 アイナの大きな目がキルトに向く。


「やりたい」

「ダメだ。まだ早い」


 即座に拒否した。

 その代わり、と言い足して自分たちの周囲へ円を描くように指さす。


「アイナは苔の多い石を拾って俺のところまで持ってきてくれ」

「お兄さんがやってたのをやりたい」

「まだ早いと言っただろ。石を拾ってくる作業をろくに出来ない奴にやらせるか」

「やりたいの」

「石を拾ってこい。たくさん拾って来ることが出来れば剥ぎ取る作業もやっていいから」

「たくさんお兄さんにあげればいいの?」

「ただし、苔の質が悪そうなものや少ないものは数にいれないからな」

「わかった。アイナ石拾うのやる」


 アイナは頷くと、周囲に転がる石を苔の多寡を見ながら手に取って見始めた。

 石拾いに励むアイナの姿を尻目に、キルトも手近にある石の中から苔の多い物だけを拾ってナイフで削ぎ落していった。



 沢に落ちる木漏れ日が上から注がれるようになると、キルトはバケツにナイフを戻した。


「アイナ。もう終わりだ」


 苔の多い石を拾っているうちに沢の水辺まで移動していたアイナに告げた。

 アイナは振り向いて丸い石を両手に掴んむと、腰を上げてキルトのもとまで駆け寄ってくる。


「お兄さん。これ」


 石をキルトに差し出す。

 キルトは石を受け取り、掌で回して苔の状態を確認する。

 使える苔だと判断して、バケツからナイフを出して落剝させた。


「これで色集めは終了だ。後は自由に遊んでていいぞ」

「お兄さん。行っちゃう?」


 ナイフをバケツに戻そうとするキルトを見てアイナが訊いた。

 思わぬ問いかけにキルトはナイフを宙で持ったままアイナを見返す。


「ダメなのか?」

「お兄さん面白い」

「俺は面白くなんかないぞ」

「アイナも楽しい」

「楽しいなら良かったじゃないか」

「まだ遊びたい」

「すまないが、この後は街に出掛ける予定があるんだ。遊びたいなら一人で遊んでてくれ」

「お兄さん方が面白い」

「だから俺は面白くないって」

「遊びたい」

「……はあ」


 キルトは溜息を吐いた。

 根負けしてアイナの我がままに譲歩する気分になる。


「次来た時にも遊んであげるから、それでいいだろ?」

「来る?」

「ああ、来る。染料の調達は必要な仕事だからな」

「お兄さん面白いからいい」

「そうか。そういうことにしておく」


 キルトは否定するのを諦めて、話は終わりだと言うように背を向けて歩き出した。


「お兄さん」


 アイナがキルトの作業服の裾を掴んで追いすがってくる。

 足を止めて振り返ったキルトの目に、アイナの好奇心に満ちた顔が映った。


「どうした?」

「街ってどんなとこ?」

「……ここよりも人が多くて建物がたくさんある場所だ」


 言葉を選んで説明してからキルトはまさかの思いになった。

 街に行きたい、と言い出すのではないかと。

 アイナが目を輝かせて口を開く。


「街に行きたい」

「ほんとにまさかだな」

「お兄さん連れてって」

「なんで連れて行かないといけない」

「行ってみたい。本で聞いたことある」

「おとぎ話みたいに良い所ではないぞ」

「人が多い。見てみたい」

「本当に良い所ではないぞ」

「行きたい」

「親は、心配しないか?」

「いつも同じ。お兄さんの方がいつも違うから面白い」

「……はあ」


 またもキルトは溜息を吐いた。

 返答が少しズレていて、こっちが折れないと話が終わらない気がした


「ついてくるなら勝手にしろ」


 それだけ告げてキルトは目線を切って脇道へ引き返す。

 アイナが躊躇なく後を追ってくる足音を苦労が絶えない思いで聞き取った。

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