2-2
一度林道へ戻りバケツを取り替えたキルトは、アイナを連れて青い花をつける灌木の茂みまで歩き着いた。
この頃には太陽が中天まで昇っており、気温が上がって作業つなぎの中が微かに汗ばむようになっていた。
キルトは茂みに近づいてラッパのような形で開く青い花を萼片から摘まむ。
「いいか。この青い花だけを取るんだぞ。他の花が混じると違う色になって塗料の生成が難しくなるからな」
「お兄さん取れた」
アイナはキルトの隣に咲く青い花に手を伸ばし、花弁一枚だけを剥ぎ取った。
呆れた顔でキルトが花弁だけを取られた花を指差す。
「花びらだけじゃダメだ。まとめて取らないと」
「どうやって?」
「こうだ」
キルトはアイナの目の前で萼片から摘まみ取ってみせた。
真似をしてアイナが萼片を指で挟んで引っ張る。
しかし、キルトのように簡単に摘まみ取れない。
「ちょっと揺らしながらやってみろ」
「揺らしながら」
キルトの助言を聞いて指で萼片を揺らすように挟む指を動かした。
脆い部分から千切れてさっきよりも軽い力で萼片ごと青い花が取れる。
「取れた」
「やり方わかったか?」
「アイナ。すごい?」
「別にすごくないぞ。手伝う気ならこれぐらい出来ないと困る」
褒めてほしい雰囲気を出したアイナに、キルトは本音の言葉を返して慣れた手際で花摘み作業に戻った。
キルトの態度にムッとなるアイナだったが、目の端に生き物らしい気配を見付けたのかすぐに視線が茂みに向かった。
その時、茂みの上から青色の何かが不意に跳ね上がった。
アイナは跳ねた存在が何かわかったのか、無邪気な喜びが湧き上がった満面の笑顔を浮かべる。
「グエ!」
「うん?」
突然の発声にキルトは青い花の萼片に指を挟んだままアイナの方を振り向いた。その拍子に跳ねた生き物らしい存在がキルトの額に飛び移った。
額に張り付いた生き物を咄嗟に手で払う。
グエ、と鳴いて生き物はキルトの額を離れて茂みの葉に乗っかった。
アイナが生き物を上機嫌で指し示す。
「グエ。これグエ」
「グエ?」
アイナがグエと呼ぶ生き物をキルトは間近で見つめた。
青い花と似た色合いの身体を持ち、折り畳んだ後ろ足と土下座でもしているような位置にある前足、どこか間抜けな横面ながら頬が丸く膨らんでいる。
その生き物はキルトからすれば蛙にしか見えなかった。
「お兄さん、グエ」
「蛙だろ。というか俺はグエじゃない」
「グエだよ、グエ」
「お前、蛙を知らな……」
キルトが蛙を知らないのかと続けようとした時、蛙がまたも飛び跳ねた。
蛙は茂みを越えて茂みの裏手に姿を消した。
「グエ!」
アイナは蛙を呼び止めるように声を出すと、自分のお腹ぐらいまで高さのある茂みを跨ぎ越える。
地面を跳ねながら移動を始めた蛙を追いかけて、アイナが茂みからどんどん離れていく。
「待ておい。アイナ」
キルトは戸惑いながらもアイナを呼び戻そうとした。
しかし蛙との追いかけっこに夢中のアイナはキルトの声に気が付かず、大して前も見ずに蛙の姿だけを追ってキルトの居る場所から遠ざかっていった。
キルトはアイナが地の果てまでも蛙を追いかけていきそうに思え、万一のためと自分に言い聞かせて少し離れた位置からアイナに追随した。
青い花の収穫できる茂みから離れた奥地の木々の密生した場所で、蛙が岩場の隙間に入り込んだことによりアイナとキルトの追跡劇は終わった。
茂みへ引き返してくると、キルトは太陽が空の真ん中にあるのを見て溜息を吐いた。
「お兄さん。取らないの?」
花摘みを再開しようとしたアイナが、空を見上げて溜息を吐いたキルトへ不思議そうに問いかけた。
キルトは空から目線を外してアイナに顔を向ける。
「仕事がある。俺は帰るぞ」
「取らないの?」
アイナは青い花の成った茂みを指差した。
「近いうちにまた来るからその時に取る。緑色も調達してないからな」
「色集め、面白いね」
「……そうか。面白いか」
その割には足手まといになっているが、と思ったがキルトは言わないでおいた。
足元に置いてある青い花を少しだけ摘み取ったバケツを提げ持つ。
「お前も暗くなる前には帰るんだぞ」
「黒になる前にいつも帰ってる」
「黒? ああ、暗いってことか。それならいいんだ、夜の森は危ないだろうからな」
アイナの言葉の誤用が気になったが、意味は伝わったからと理由を付けて賢らに指摘するのはやめておいた。
「森危ない。アイナ帰る」
「それがいい。恐い大人がアイナを攫いに来るかもしれないからな」
アイナが帰ることを約束すると、キルトは説明臭く言ってから身を翻して荷車を停めた方角へ歩き出した。
キルトが歩き出して瞬き一つぐらいの間を空けて、アイナがキルトに向かって駆け寄ってくる。
「お兄さん」
背後から聞こえたアイナの声にキルトは足を止めて振り返る。
キルトが自分と目を合わせたのを感じた様子でアイナは口を開いた。
「また来たら遊ぼ!」
「……時間があったらな」
キルトはそれだけ告げるとアイナから視線を切って再び歩き始めた。
その後、アイナが茂みを抜けていく葉擦れの音を最後にキルトは人と会うことなく工房への道を引き返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます