サシャの気持ち
サシャは不安な気持ちで時を待っていた。大好きな祖母からの贈り物がいまだに届かないからだ。サシャの母親はイライラと教会の準備室の中を歩き回っている。
「本当に、マージ運送会社ときたら。必ず昨日までに届けると言ったのに。今日になってもまだ届かないなんて!」
「ねぇ、お母さん。もしかしたらおばあちゃんに何かあったのかな?」
サシャの疑問の言葉に、母はギクリと身体を震わせた。心当たりがあるのだろう。サシャは十歳までは祖母の家のとなりに住んでいたが、父親の仕事の関係で、城下町に移り住んだ。
それ以来、祖母とは手紙のやり取りだけだった。サシャはつたない文字で祖母に一生懸命手紙を書いた。私は元気でいい子にしています、早くおばあちゃんに会いたいです、と。
祖母はサシャに心のこもった返事をいつも書いてくれた。だが祖母の手紙はサシャと両親宛に二通送られていたのだ。
サシャには、自分は元気だから心配はいらないと書いていたが、両親には年齢からくる身体の不調を書いていたようだ。
祖母は足が弱くなり、もう長い距離を歩く事はできないらしい。つまりサシャは二度と生きた祖母と会えないという事だ。
考えないようにしていたその思いが、祖母への心配により、爆発した。
「おばあちゃん、可哀想。やっぱり無理矢理にでも迎えに行くべきだったのよ」
サシャはこらえきれず泣き出した。母は慌てて布をサシャの頬に押しつけた。
「サシャ、泣いてはだめよ。お化粧が落ちるし、ドレスがシミになってしまう」
サシャは今、純白の花嫁衣装を着ていた。サシャはこれから結婚式をあげるのだ。だが一つ足りない物がある。それは花嫁が頭にかぶるベールだ。
祖母はレース編みが村で一番上手だった。そのため、結婚式があるたびに祖母に花嫁のレースを編む依頼が来た。幼いサシャはうらやましくて仕方なかった。ある日サシャは一生懸命にレースを編んでいる祖母に言った。
「いいなぁ、花嫁さんは」
「どうしてだい、サシャ」
「だって、おばあちゃんの素敵なレースのベールをかぶれるんだもの」
「じゃあ、サシャがお嫁に行く時、おばあちゃんがベールを編んであげるよ」
「本当?!約束よ?!約束だからね?おばあちゃん」
サシャは今でも、その時の祖母の笑顔を思い出す事ができた。サシャが結婚の報告を手紙で祖母にすると、祖母はベールを編む約束をしてくれた。だが結婚式の参列は断られてしまった。
やはり祖母の足は相当悪くなっているのだろう。サシャは城下町に引っ越してから、祖母への手紙に何度も、城下町に来てほしいと書いた。だが祖母の返事はいつも、もう少し待ってだった。
祖母は祖父との思い出の家を去る決心がつきかねていたのだ。そうこうしているうちに月日は流れ、恐れていた事が起きた。祖母はおそらく一人で歩く事もできないほど弱ってしまったのだろう。
涙を必死にこらえているサシャに、母はためらいがちに言った。
「ねぇ、サシャ。もしおばあちゃんのベールが間に合わなかった時にと思って、おとなりのお家から花嫁のベールを借りてきたのよ」
母はテーブルのはしに置いてあった、油紙で包んだ荷物を手に取った。油紙を開くと純白のベールだった。サシャはカッと頭に血がのぼった。
「嫌!おばあちゃんのベールでなきゃ式には出ない!」
「わがままな事言うんじゃないの。もう皆サシャの事を待っているのよ?」
頭ではわかっている。このまま待っていても、おそらく祖母のベールは届かないだろう。招待客を待たせるにも限界がある。サシャがあきらめかけたその時、準備室のドアがひかえめにノックされた。
母が入室の許可を告げると、ゆっくりとドアが開いた。サシャはほうけたようにドアの先を見つめた。そこには美しい女性が立っていた。サシャは一瞬、天使が舞い降りてきたのかと錯覚してしまった。
亜麻色の長い髪。すけるような白い肌。大きな琥珀のような茶色の瞳。何故かこわきにモルモットをかかえ、反対の腕に荷物を持っていた。女性は申し訳なさそうに口を開いた。
「マージ運送会社の者です。この度は遅れて本当に申し訳ありませんでした。ご依頼の品、お届けにあがりました」
美しい女性は視線をドアの外に向けて、誰かを呼ぶそぶりをした。そこには。
「おばあちゃん!」
サシャは長いドレスのすそをたくし上げ、駆け出した。そこには会いたくて会いたくて仕方なかった祖母がいたのだ。
サシャは祖母に抱きつくと激しく泣き出した。祖母は、幼いサシャが抱っこやおんぶをねだった時より、とても小さくなっていた。
「まぁ、サシャ。何て綺麗なの?世界一素敵な花嫁さんだねぇ」
祖母の声も涙に震えていた。サシャが必要としていたものはすべてそろったのだ。
幼い頃から憧れていた花嫁のベール。サシャの幸せを心から喜んでくれる祖母。サシャは世界一幸せな花嫁になった。
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