ふたり

あおい

第1話

2人一緒ならなんでも出来た。小学生の頃は毎日一緒に学校に行って、放課後は2人で遊ぶ。言葉を交わさずとも、目を合わせれば相手が何を考えているのかわかった。「これからも変わらず、ずっと一緒」約束するまでもなく当たり前の事だと思っていた。

中学生になってお互い部活が忙しくなり、朝部に午後練、小学校の頃には当たり前だった一緒に登下校が当たり前じゃなくなった。クラスも離れ、一緒にいる時間より一緒じゃない時間の方が増えた。互いに別の友達が出来た。一緒にいる当たり前から一緒じゃない当たり前に変わっていく。一日顔を合わせない日もあった。それでも、部活のない木曜日の放課後は必ず2人で帰った。習い事までの一緒にいられる1時間。私たちだけの唯一の時間。今まで通りの居心地のよい時間。1週間分の話したかったことをぎりぎりまで楽しく話していた。春休み、夏休み、冬休み、部活や習い事で予定が合わず徐々に離れていく。3年生になって引退しても、受験が始まり一緒にいる時間は増えない。あの子は推薦で、私は受験で。受かるかどうか分からない不安と焦り、同じ受験生ではないという違いから小さなすれ違いが生じた。遊びたいと言われて、私も遊びたいけど今は勉強しなきゃいけないんだ。モヤモヤが増えて抱えきれなくなる。学校でも勉強して、塾にも行って勉強して、周りの期待と責任と不安で頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。あんなに楽しみだった一緒に話す時間も遊んでいていのかなという不安が込み上げて素直に楽しめない。徐々にすれ違いが生まれていった。卒業式が終わり、合格発表の日。自分の番号を見つけるまでは不安で、LINEに合格報告が来ても素直に祝えない自分がいた。高校に向かう途中の車の空気が辛かった。親は何か話してくれていたのかもしれないが、全く耳に入ってこなかった。校門に張り出された番号に自分のものを見つけた時にやっと何かから解放されたような気持ちになった。受験仲間と合格を祝い会う。幸い、みんな志望校に合格出来たようだった。しばらく話していなかったけれど、あの子にも合格のことを伝えようとLINEを開く。LINEの最後の会話を見てもう既に県外の高校の寮に行ってしまったということに気がついた。自分のことでいっぱいいっぱいで最後に会って話をすることも出来なかった。合格の報告をするとすぐにおめでとうと返信が返ってきた。そこから新しい生活の話、友人の話を聞く。もしかしたら、受験しか見えていない私の雰囲気が連絡をしにくくしていたのかなと後悔した。もう少し周りが見えていたら、直前に会って話せたりしていたのかな。高校生になり授業に部活に忙しい日々がまた始まった。塾に通ったり、友達と遊んだり中学生の頃よりも帰る時間が遅くなった。最初は新しく出来た友達や高校生活の話をしていたが徐々に連絡は減っていった。長期休みにいつ帰ってくる予定かを聞く程度。半年に1回直接会って近況報告をする。「将来何になりたい?」「進路って難しいよね」そんなことを話していた。そしてまた、会えない期間が続く。お互い進路を決めなければならない時期が来て、思い悩む。学校に行けば毎日のようにテスト、模試、判定、進路希望、偏差値。将来何になりたいかという想像もできない問に苦しむ。興味がありそうな職業、大学の情報を見てもよく分からない。難しい研究のテーマなどが乗っていてそこで学んでいる自分の姿が思い描けなかった。大学で自分はやっていけるのだろうかという不安が込み上げてくる。不安から目をそらすように勉強に打ち込んだ。思うように成績が上がらなくて心が折れそうになっても、頑張れば大丈夫と自分に言い聞かせた。塾や試験日程、泊まるホテルの手配など親には本当に支えてもらった。試験の日、「いってらっしゃい」と送り出されたあの時の記憶はずっと残っている。いつも通りやれば大丈夫という気持ちと、それでもやっぱり不安は消えなくて1人ホテルの小さなテーブルに参考書を広げた。ここまで応援してくれた人がいて、自分も頑張ってきて最後に変な失敗はしたくないと試験会場までの道を夜、布団に潜って何度も頭の中で辿った。試験は振り返ってみると呆気なく終わった。今まで勉強して来た期間が嘘のように一瞬で過ぎていった。終わった教科のことはとりあえず忘れ、次の試験のためにノートを見返す。次、次、次。そう思っているうちに気がついたら終わっていた。本命には届かなかったが、自分が行きたいところに合格することが出来た。そうして、今の私がいる。


大学に通うために引越し、あの子とは電車で1時間程度で会える距離になった。お互いに一人暮らし。高校生の頃はあまり連絡を取っていなかったが、大学生になり頻繁に取るようになった。休みの日には直接会って遊んだり、お互いの家に泊まったりした。久しぶりに会った時は少しぎこちなかったけどすぐに気兼ねなく話せるようになった。年月が過ぎ、小学校の頃に比べたら互いに少し変わったところはあるけれど、根本は変わっていない、そう感じて安心した。慣れない土地に来て、価値観が違う人と会うことが多かったから同じ価値観を共有する友達と一緒にいると楽で楽しかった。無理をしていないありのままの自分でいられた。

ある時、何がきっかけだったか詳しくは覚えていないが体調の悪そうな人がいたら救急車を呼んで付き添うのは当たり前だよねという話になった。私も日々、色んな人に助けて貰っているし、困っている人がいたら力になりたいと思っているので、確かにその通りだねと同意した。ただ、特に深い意味はなかったけど、ふと気になり聞いてみた。私の中に何か引っかかるものがあったのかもしれない。

「もし、自分が受験生だったとして、試験会場に行く途中に困っている人がいたら助ける?」

「それは当然助けるでしょ」

「もしかしたら試験に遅れちゃうかもしれないよ」

「遅れたら来年受ければいいじゃん」

さも当然のことかのようにさらりと言う彼女に言葉が出てこなかった。確かに「困っている人を助ける」客観的に見れば正しくて彼女にとっては当たり前のことで「自分の都合を優先して見捨てた」らそれは非難される対象なのだろう。周りから見ればそうだ。でも、同じように受験生を経験していても同じことが言えるだろうか。自分の都合があり、それが自分の過去を、未来をかけたものならば、自分だけではなく周りの支えがあったことならば見ず知らずの他者を優先することが褒められることなのだろうか。もし、受験仲間が誰かを助けて試験を受けられないなんてことがあったら、私はなんて声をかけるだろうか。「すごい」と褒め称えるのだろうか。自分の子供がそうしていたら親として誇らしいと喜ぶのだろうか。昔の、学校で教えられるような「正しさ」しか知らなかった私だったらそうだったかもしれない。言葉を交わさずともお互い分かり合えたあのころにはもう戻れない。

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ふたり あおい @aoiyumeka

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