第38話 七星アヌビス(4)

 十月も半ば、台風の影響で曇天の空模様、紫苑祭まであと一週間となり、校舎の中では既に準備が始まりつつあった。


 紫苑祭とは紫苑女子中高大合同で、十月末の土日二日間に渡っておこなわれる文化祭で、その間は生徒が催すイベントに出店、舞台発表、作品展示に、学校が催す入学希望者向けの学校説明会、外部機関が催す講演や就職説明会などが、一堂に会する。


 図書委員でも図書室を開放してエーテライズ教室を開く予定である。

 トワとハルとウララの三人が実演をおこない、エーテル技術の周知と理解を深める場となる。これは大学で講演会を予定している魔法司書委員会の後援もあった。三人は中高大それぞれの図書室と図書館を周り、実演をおこなう予定だ。


 午後の授業中、トワも図書室で一人準備を進めていた。ハルとウララはもちろん、九重も授業中で、他には誰もいない。

「こんなもんかな」

 トワは展示ブースに並ぶ本を確認する。古くなってぼろぼろになった本をエーテライズで修復した過程を説明したもので、修復前と修復後がわかりやすく並んでいる。

『おっさん達はこれそうなの?』

「お父さんは仕事だから無理だけど、お母さんは午後から来れるって」

『……しかし、魔法司書がこんなに大々的に宣伝するようになるとはな』

 イツカは文化祭のパンフレットを横目で見ながら感慨深く呟く。パンフレットは生徒が描いたカラフルな表紙で中高大共通ということもあって、かなりのボリュームだ。エーテライズ教室は魔法司書委員会の講演会と併せて大きく紹介されている。国内外多くのマスコミも取材に来る予定とあって、世界中から注目されているといっても過言ではなかった。

「だね。これも魔法司書委員会のおかげなのかな」

 実際委員会の後押しが大きな影響を与えていた。エーテライズ教室には委員会からも魔法司書が何人か来るとのことなので、それも楽しみであった。


「それは嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 不意に図書室の自動ドアが開き、一人のスーツ姿の女性が入ってきた。

「えっ?」

 背丈はトワより少し高いくらいの小柄で、白く波打つ長い髪に、ほんのり赤く煌めく瞳は鋭く、明らかに日本人ではなかったが、歳も若いのか老齢なのかわからない不思議な雰囲気があった。

「初めまして。彩咲トワさん、相馬イツカさん、私が魔法司書委員会の七星アヌビスです」

『!』

「あっ!」

 初対面でいきなりイツカを看破されたのは初めてで、二人は面食らう。

「はああ! これが! ケイが時計塔のババア達からまんまと奪い去った聖典!」

 アヌビスはいきなりトワの肩を掴み抱き寄せると、イツカに空いた手を伸ばす。

「だめ!」

 トワは咄嗟にアヌビスを両手で突き飛ばし、それを阻止する。

「あはっ! ごめんごめん! つい興奮しちゃった」

 突き飛ばされたアヌビスは尻餅をついて、頭を掻きながら無邪気に笑う。まるでずっと欲しいものを見つけた子供のようだった。


『……何を知っている?』

 イツカは彼女が発した言葉に怖気を感じた。自分が知らない何かをこいつは知っていると。

「そんな難しい話じゃあないよ。君は、いやその本はと言うべきか。それが全ての元凶、いやいや救世主だって話」

 アヌビスは立ち上がりイツカをわずかに見下ろして言った。

「何を言って――」


「それはこの世界のものじゃないってこと」


 疑問を投げかけるトワを遮ってアヌビスは言い切った。

『はあ?』

 その突拍子もない言葉に、イツカまでもが間の抜けた声を上げてしまう。

「その本は、本来魔女の国にあった神器、それをケイが盗み出して君の身体に使ったんだよ」

「えっと? 魔女の……国? じんぎ?」

 トワも全く理解が追いつかず、口をぱくぱくとさせる。

『おいおい協会のトップはちょっと夢見ちゃんかよ』

 イツカはさすがに付き合いきれないとばかりに突き放す。

「そんな生きるファンタジーの姿で言われてもな。それに君も神の目録に触れて、一度は全て思い出してるはずなんだけど」

『!』

「!」

 二人は絶句した。そこまで知っている。言っていることは荒唐無稽だが、ただの妄言ではないと嫌でも実感が湧いてきた。

「考えてもみなよ。こんなエーテルなんて微塵も見つかってなかった世界で、エーテライズなんて力が突然湧いてくるはずがない。言ったじゃん救世主だって。その本がもたらしたんだよ。すべて!」

 アヌビスは両手を広げ恍惚とした表情で宣言する。


『何の、ために……』

 イツカは記憶の渦に混乱しながら言葉を絞り出す。

「そりゃあこの子を助けるためでしょ」

「えっ」

 アヌビスはびしりとトワを指差す。

「親友の娘が死ぬ運命を知ってしまったんなら、それを阻止するためにはどんな手段だって使うさ。そうでしょ? 子猫ちゃん!」

 そして今度は部屋の隅でずっと唸り声を上げているデューイを指差す。

「デューイ?」

「シャアアアア!」

 デューイは今まで見せたことのない激しい威嚇の鳴き声で、アヌビスを睨みつけていた。

「おおこわいこわい、でも感謝してるんだよ。この世界をこんな風にしてくれてね」

「?」

 アヌビスはカウンターの椅子にどかりと座ると、トワの並べた展示本を見つめる。

「……よく出来てる。うちの若い子らじゃまだ無理だね」

 そして素直に褒めた。その顔は心の底から感心しているようだった。

「この世界にはこれからもっと魔法司書が増えていく。ずっとケイが邪魔してたみたいだけどそれもやっと消えた。そうしたらどうなると思う?」

「えっと、もっと便利な世界に――」

『戦争だ』

 トワの言葉を遮り、イツカが断言する。

「そう。最初は魔女狩りだね。エーテライズを使える人間への恐怖、差別、弾圧。この情報社会じゃあっという間さ。けど魔法司書はどんどん増えていく。力関係はすぐに逆転する」

『世界の支配者にでもなるつもりかよ』

「あはっ、それもいいね。でもそんな世界にならないようにするために、今こうして活動してるんだよ」

「あっ」

 トワはその言葉で七星アヌビスが何故魔法司書協会を立ち上げ、魔法司書の周知と育成に力を入れてきたか、その理由を理解した。

『けど世界はそんなに甘くねえ』

 だがイツカは食い下がる。

「そうね、だからもうちょっと世界を根本的に書き直す必要がある。もっと誰もがエーテルを使える世界にね。そのために君の、その本の力が必要ってわけ」

 アヌビスは立ち上がると、再びトワに迫る。

『そんなの信用できるかよ!』

「うんっ」

 イツカの声を受けトワは身構える。彼女の言っていることはわかる。が、あまりに性急に過ぎる。


「そう、じゃあ力ずくで――」

 アヌビスは両手を前にかざし、ぱんっと拍手する。すると彼女の後背頭上の空間が歪み、そこからエーテルで構成された巨大な青白い腕が飛び出してくる。

「なにっ?」

 その腕はまるで恐竜のようなごつごつとした鱗に、鋭い爪を持っていた。

「時計塔の守護竜ネフティス――を十年かけて再現したわたしのエーテルキャット。これ以上出したら学校壊しちゃうね」

『こいつ!』

「どうしよう、イツカくん!」

 ここで本気で戦ったら大惨事は間違いない。トワは動き出せなかった。

「――あはっ! うそうそ!」

 アヌビスは突然笑い出すと、再び拍手する。するともう半分くらい出かけていた竜の腕はエーテル粒子に霧散し、消えた。

「一応、実力は見せておこうと思ってね。何ならここで神の目録を開くことだってできるかもね」

『くっ……』

 イツカはその言葉に戦慄する。冗談ではなく本気で言っていると確信できた。


 突然、図書室のドアが開き、九重が駆け込んでくる。

「お前ら! 何してやがる!」

「先生!」

「あらら、もうきちゃった」

 アヌビスは興が削がれたとばかりに肩をすくめる。

「生徒にはちょっかい出さないって約束だったよなあ? アヌビス!」

 九重はまだ授業中だったが、異常なエーテルの流れを感じて生徒には自習を命じて飛んで来た。

「講演会の予行演習をちょっとしてただけよ。大げさねえ」

 アヌビスは全く悪びれる様子もなく舌を出す。

「おまっ――!」

「今日はもう帰るわ。とりあえず確認だけしときたかった。間違いなくそれは聖典。世界を変える力を持っている」

「あなたはイツカ君に何をさせたいんですか?」

 トワは立ち去ろうとするアヌビスに問いかけた。

「さっきも言ったように、このまま魔法司書が増え続ければ、やがて争いが起こるようになる。私達がいくら防ごうと足掻いてもね。だからこの世界の理自体を書き換える必要がある」

「何の話だ」

「オリヒコ、あなたにも関係のある話よ。魔法司書の力を自ら捨てたあなたにもね」

 アヌビスの言葉に九重は顔をしかめる。

「……俺は、別に後悔はしてねーよ」

「かもね。でもあの子達はそうは思っていない。そのことだけは忘れないで」

 アヌビスは九重の顔は見ずに横を通り抜ける。

「私からは何もしないわ。トワさん、イツカさん、二人で決めてほしい。この世界をどうしたいか。このまま魔法司書が迫害を受ける争いの世界か、或いは――」

 そして図書室を出ると、振り返り最後の一言を告げた。


「ただし、もうあまり時間は残っていない。来週の紫苑祭、そこで嫌でも選ぶことになる。だからよく考えておいてね」

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