第19話 重なる世界(7)

「? ……何を、言っている……?」

 アカーシャは立ち止まり、アリスの言葉に困惑の表情を浮かべる。

「その様子じゃ自分でも自覚してないようだね。あたしらと同じだ」

「……くだらないはったり」

 そして再び一歩踏み出す。だが差し向けたその手がわずかに震えている。

「これをエーテライズして気付いたよ。これはシューニャの使ってたレポートだ」

 アリスは襲いかかる鳩をエーテライズして元に戻した紙の束を突き出して見せる。

 その紙はかつて大学のあの研究室で使っていたレポート用紙であった。エーテライズの実験で幾度となく分解、再結合したもので、その書誌構造は覚えていた。

「……そうだ、姉さんが組んだものだ」

 アカーシャは何を当たり前のことを、と言わんばかりに声を上げる。

「そうさ、でもあいつは魔法司書なんかじゃなかった」

 そしてアリスは紙の束を放り投げ、ばらまく。

「……な、に?」

「こいつらにはあんたの、アカーシャなんて子の記憶はこれっぽっちもなかった。あったのはシューニャが必死にエーテライズの仕組みを解き明かそうと研究してた記憶だけだ」

「!」

 アリスはエーテライズした際にそれを見ていた。

 そのレポート用紙をケイや自分が何度も分解、再結合している横で目を輝かせて記録を取っているシューニャの姿を。

 そして彼女の魔法司書への憧れ、自分もそうありたいという『願い』を。それが今目の前にいる少女、アカーシャを作り出したことを。

「……そんな、ありえない」

 アカーシャは愕然とした表情で立ち尽くす。

「あんたがどうして生き別れの妹の姿になったのかは知らないけど、きっと願いを叶えたんだよ。おそらくあの日、あの九年前の事故の時にね」

 アリスは言いながらその言葉が自分にも突き刺さる痛みを感じていた。

 この呪われた姿になることを自分も願っていたのかと――


「……なんで、それじゃ――ラジエル……は――」

 アカーシャは咄嗟にラジエルを見上げる。姉シューニャから譲り受けたエーテルキャット。これだけが自分と姉を結ぶ唯一の絆。それが――偽り?


「アリスさん!」

「館長!」

 睨み合う二人の元へトワとエメリックが駆けつける。

「! あんた達なんで来た!」

 アリスは二人の姿を見ると激昂して怒鳴り立てる。

「ごめんなさい! でもイツカくんはわたしが助けます!」

「一人で行くなんて無謀ですよ」

 だが二人は臆さずに声を上げて返す。

「まったく……仕方ないね、とにかくイツカは時計塔の上だ。早く止めに行くよ」

 アリスは深くため息をつくと、時計塔を見上げて嘯く。

「!」

 青い光の漏れる時計塔を見てトワは息を飲む。確かにそこにイツカがいるのが感じられた。そしてそこで何かが起ころうとしていることも。

「あいつの相手はあたしがする」

 アリスはラジエルを見上げながらぼんやりと立っているアカーシャに視線を向けながら言う。

「! でも館長、端末が……」

 二人に先に進むことを促すアリスが愛用の端末を失っていることにエメリックは気付く。

「いいから! 今のうちに――」


「ラジエル!」


 不意にアカーシャが大声を上げて両手を振り上げる。

 すると民家の屋根の上に留まっていたラジエルが翼を大きく広げ飛び上がる。

 広場の周りの建物の上にいた鳩達も一斉に飛び上がり、ラジエルに突っ込むようにエーテルの粒子に戻りながら次々と集まり、吸収されていく。

 どんどん巨大になっていくラジエルがその翼をはためかすと、立ち込める霧を払うかのように重い旋風が起こり、低い轟音が鳴り響く。

 そしてゆっくりと広場の上空を旋回しながらアカーシャの前に着地する。その衝撃で石畳が砕ける。

「こいつは――」

 アリスはその目の前の巨獣に言葉を失う。

「まるでドラゴンだ……」

 エメリックもそのこの世のものとは思えない姿に驚く。

 元の黒い鳩とは比べ物にならない巨体は、三メートルにも及んだ。大きく左右に伸ばした翼、くちばしから溢れる白い牙、ぎょろりと三人を見下ろす赤い瞳、あたかも古代の恐竜のようであった。

「すごい……」

 トワも思わず声を漏らす。もちろん恐怖はあったが、それ以上にこんな現実には存在しない生物をエーテルキャットとして創造できることに驚いた。

「それで、そいつであたしらをどうする気なんだい?」

 逃げるのは無理だと腹を括ったアリスがアカーシャに問いかける。

「……ラジエル、は……姉さん、の――」

 だがアカーシャは聞く耳持たず、独り言のように呟き続ける。ラジエルが首をもたげ、咆哮する。形容しがたい未知の生物の奇声が轟き、震える空気がまるでエーテライズされたかのように青い粒子に変容して漂い始める。

「あたしが囮になるから、あんたらは時計塔に行きな!」

 アリスはもはや話し合いは無理だと悟り、トワ達に先に行くことを促す。行ってどうにかなるのかはわからない。向こうの思う壺かもしれないが、このままあの竜に襲われるよりはマシと判断した。

「しかしっ!」

 エメリックは再びアリスを引き止める。エーテルキャット端末を持たない彼女は、所詮非力な一人の少女にすぎない。あの竜をどうにかできるとは思えない。

 二人が迷っていると、不意にラジエルはもたげた首を下げ、その口から青い炎を吐き出す。

「くっ!」

「きゃあ!」

「ちぃっ!」

 アリスとトワの前に立ったエメリックは咄嗟に胸ポケットから手帳を取り出し、燃え広がる炎に向かってそのページをばらまいた。

 まるで意思を持つように広がる大量のページがエーテライズされ巨大な壁を形成し、炎を遮る。

「!」

 だがその壁も一瞬で炎に包まれて焼け落ち、エーテルとなって霧散する。辛うじて炎に巻かれるのだけは回避したが、激しい熱風が吹き抜ける。

「大丈夫かい!」

「……はっ、はいっ!」

 トワを庇って抱き寄せたアリスが声を荒らげる。エメリックも身を屈めて熱風と火の粉に耐える。

「くっ、今ので全部使ってしまいましたよ」

 そして迫り来るラジエルを睨みつけながら悪態をつく。

「さあて、どうするかね」

 アリスもトワを抱きながら不敵な笑みを浮かべる。

 だが余裕も打開策もないことは、その額からトワの頰に零れ落ちる汗で明らかだった。


「にゃ!」

 そこへ間の抜けた鳴き声が上がる。


「えっ? デューイ?」

 トワが驚いて胸元に視線を落とすと、そこにはトワとアリスに挟まれる形でデューイがいつの間にか現れていた。

「なんだいこんな時に。悪いがおまえと遊んでる暇は――?」

 アリスははたとトワの肩にかけていた自らの手の平を見つめる。繋がっている感覚が蘇っていることに気付いた。魔法司書がエーテルキャットを通してデータベースに繋がる感覚が。

「まさか、おまえ――?」

「にゃー!」

 アリスの問いに、デューイは得意満面といった顔で応える。

「トワ、どういうことだい? こいつはケイ以外には使えないはずだろ?」

 訝しんでトワに尋ねるが、トワは首をぶんぶんと振ってわからないと答える。


 ラジエルが再び首をもたげ、炎を吐き出す態勢をとる。

「試してる暇はなさそうだね!」

 アリスは左手でデューイの頭を乱暴に撫でると、迫り来る炎に向かって振り向きざまに右腕を大きく薙ぎ払う。

「にゃあ!」

 デューイがもっと優しくしなさいよと不満げな声を上げる中、炎はまるで見えない刃に切り裂かれるように分断され、エーテルに変換され霧散した。そしてその刃はラジエルの口元をも切り裂き、飛び散るエーテルは元のレポート用紙に変換され舞い落ちる。

「行きな!」

 アリスはトワの背中を押し出し、エメリックに預ける。

 二人は黙って頷き、時計塔に向かって走り出した。

 直後ラジエルが苦悶の叫び声を上げながら、どしどしと床を踏み鳴らし、二人を追い始めるが、すぐに前のめりに倒れこみ石畳を派手に砕く。その足にはびっしりと白い紙の束が張り付いていた。

「言ったろ。お前の記憶はもう見たって」

 片膝をつき、左手をデューイの背の上に、右手を前に突き出しながらアリスが呟く。

 ラジエルの身体を構成するエーテルを元のレポート用紙に変換し、それを貼り付けて足止めする。アリスのエーテライズの圧倒的速さならではの芸当だ。


「悪くはないじゃないかい」

「にゃ!」

 彼女のお褒めの言葉にデューイが喜びの声で応える。


「……」

 その一部始終をアカーシャは黙って見つめていた。

 そして物憂げな表情で時計塔の入口に向かう二人を見やると、光放つ時計塔を見上げた。

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