されど迷宮は鼓動を止めず

第29話

 日常に大きな変化があったからと言って、やるべきことは変わらない。それは現代の秘密結社に所属することになったとしても同じであり、当初の目標であった両親の奪還や妹の病気の治療に、ちょっと大きな目標である迷宮の解放が加わっても同様である。

 俺こと沢渡久遠さわたり くおんの日常はと言えば、朝起きて歯を磨き、顔を洗って飯を食い、軽いランニングでウォーミングアップをした後は、迷宮に潜るか、地上でトレーニングに精を出すかの二択である。

 

 美玖みくの治療薬を入手してからは安全策と引っ越しの為に回数を減らしていたが、正規の探索者として活動していた時のスパンは二日から三日に一回の頻度。これは正規探索者の中でもかなり多い方に当たる。

 非正規の探索者として同じように潜るのは自殺行為。何せ脱出のスクロールが入手できるまで粘らなければいけないのだ。精々週に1回、代わりに数日迷宮内に居る事を想定しなければならなかった。


 まぁ、そんなリスクの高い探索も今は昔。秘密結社ラプラスのサポートを受けられる様になり、脱出のスクロールだけは事前に入手できるようになった。ぶっちゃけリスクを取ったのは1回……救助に使ってしまったのを除けば、最初に府中迷宮に潜った時だけなんだよな。


 そんな回想をしながら久々に気兼ねなく迷宮を探索し、とりあえず府中迷宮6階層までをソロで踏破してジムに戻った所、一週間ぶりに顔を合わせた班目まだらめが『頼まれていたものが仕上がりましたよ』と声をかけてきた。


「なんか頼んでたっけ?」


「レベル偽装の件ですよ。忘れないでいただきたい」


 ああ、正規の迷宮端末メイズデバイスの方の話か。

 美玖に連絡を入れてから、飲食スペースに移動して席を取る。迷宮上がりで腹が減ったとパンケーキセットを頼んだら、班目はその倍を注文した。相変わらずよく食うやつだな。


「ええっと、どこから説明しましょうか。食べてからにしましょうか」


「まだ注文も来ていないんだがな。まあ、美玖が来てからでいいさ」

 

 中途半端な時間だからか、スペースにはウェイターの青年以外誰もいない。こちらもドロップ品を解析に回して、買取をして貰いたい。解析にも金がかかるが、それでもプラスにはなるだろう。


「積極的に潜られているようですね」


「日帰りだけどな。生活費の足しになるのが助かる」


 非合法探索者は脱出のスクロールが出るまで粘るのが普通なはずなので、こうして気軽に日帰りし、さらに入手物を売却できるのはとてもありがたい。入手経路不明の現金なので使い道は限られるが、食費や日用品の購入資金が手に入るので生活に貯蓄を切り崩さなくて良いのだ。


 しばらくはそのまま与太話をして過ごす。

 先に食事が届いて、それを食べている間に美玖来て、俺が食べ終わるのと美玖が頼んだアイスティーが来るのがほぼ同時。一息つく間に班目が食べ終えた。早い。


「えー、それでですね、これはデバイスに搭載された生体情報記録器バイタルモニターの機能を殺してあります」


 迷宮端末メイズデバイスには、自動的に所有者の状態を観測する機能と、それを送信する機能がある。


「送信側はすぐにばれますので、観測側、つまりレベルとステータスを1レベルに固定してあります」


「それなら確かに出入りの時に気づかれないだろうけど……いや、ダメじゃね?」


 迷宮には交差点クロス・ポイントと呼ばれる、他の探索者と遭遇する階層が存在する。出会った探索者の情報は相手のデバイスに転送されて、その記録は迷宮を出た時に管理サーバーに転送される。

 府中迷宮の交差点クロス・ポイントは最短で5階。ソロで潜れば4階までは問題だろうが、逆に5階で誰にも会わないのは難しい。5階でソロ1レベルの探索者は怪しい事この上ない。すぐに調査対象になるだろう。


「はい。なのでデバイスで魔石を取り出した際に自動で回数を記録し、レベルアップするようになっています」


「ああ、なるほど。それなら魔物を倒せばレベルが上がるな」


 ドロップ品だった場合に多少のずれが生じるが、おそらく問題にならないだろう。


「え?いや、それじゃ足らないよ」


「ん?気になる事でもあるのか?」


「階層によって怪異を倒して得られる経験値が違うんだよ。回数でレベルが上がるだけじゃ、表示は低レベルなままになるよね」


「……そういやそうか」


 1階層の魔物は経験値1、2階層なら経験値2。階層が増えるほどに得られる経験値は増えていくが、階層数に何割かプラスした位の値がいい所。

 それに対してレベルアップに必要な経験値は毎回倍くらいになると思われる。階層による経験値増加をカウントしておかないと、3階層か4階層あたりで計算が合わなくなるな。


「はい。そこでうちがリリースしている公式の階層記録アプリを入れていただきます」


「階層記録?サードパーティ製のやつか?」


 迷宮端末メイズデバイス向けのアプリは、官製の物のほかにもあるが……ラプラスはそんな事もやっているのか。


「はい。ちゃんとフロント企業が政府の許可を取っているものです。迷宮端末メイズデバイスは操作を記録するので、操作とレベルアップが重なると違和感のあるログが残ります。それを避けるために、階層を移動後に我々のアプリで階層を記録してもらって、それを読み取ることでログを残さず状態を記録します」


 実際にそのアプリを見せてもらうと、俺も聞いた事のある物だった。ドロップ品の入手タイミングや、バイタルの変動などを記録してくれるものだ。


「これメジャーアプリだけど、シェアはいまいちなやつだよね」


「ああ、迷宮の解析をしてる奴なら、もっと便利なの使うからな」


 ドロップ率とか、経験値とかを調べるためにログを残すアプリは幾つかあって、名前は聞いた事があるがあまり使われてないアプリのはずだ。


「目立たないのも重要ですから。一応、魔石の抽出情報も自動記録できるのはうちの独自技術ですよ。ただ、説明にもヘルプにもそんな機能載ってませんが」


「載ってないのかよ」


「ええ。こちらでこっそり使うための物なので。それでですね、このアプリに階層移動時に記録してもらえば、それを読み取って現在の階層を考慮したレベルアップの表示を実現してくれます」


「それって、ログに残らないの?」


「デバイスが記録しているのは操作情報ですから。バックグラウンドアプリの詳細動作までは残りません。日本はソースの開示義務も無いですからね。民主主義万々歳です」


 なるほど。階層移動した際の情報を記録する動作はログに残るが、それを読み取ってバイタルモニターの表示を変えるのは記録に残らないのか。


「注意点としては、HPとSPが当てになりません。正確には、現状のレベルに到達すればバイタルモニターが有効になりますが、沢渡さんは10レベルですからね。単独でそのレベルになるのは10階層より先でしょう」


「だいぶ遠いな」


 俺が10レベルまで上がったのは階層主を倒したからだろう。

 普通の魔物を狩ってそこまで行くのは、もっと深く潜らなければならない。13階層以上はだいぶリスクが高くなるから、実質HPやSPは確認できないと思っておいた方がよさそうだ。


「転じて、心拍や血圧などのバイタルとHPの状態が一致しないログが残ります。ダメージを受けない事を心がけてください」


「言われなくても」


 誰だって痛いの嫌だ。特に正規の迷宮探索で無理をする理由は無い。

 そう言うのはこっそり探索の方だけで十分だ。


「使い方は以上です。階層移動後の記録を忘れなければ、違和感を持たれることは無いと思われます。大丈夫だとは思いますが、操作のタイミングはご注意願いますね。魔物もそうですし、うっかり忘れて変なタイミングで操作すると、経験値の入り方やレベルアップがおかしな形になります」


「お兄ちゃんは攻略のスピードも注意だよ。早すぎると悪目立ちするからね」


「あー……公開されてはいないけど、階層毎の攻略レコードとかありそうだな」


 魔石を入手した時に経験値カウントをするなら、回収するときに20くらい数えるみたいなルールを決めておこう。


 これで家賃などの出費の心配をしなくて良くなる。

 ラプラスの装備を借りて潜ったほうが実入りは良さそうだが、銀行への入金は出来ないし、週1くらいは正規で潜らないと怪しまれる。

 まずは久々に組合に顔を出そう。

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