アドベントカレンダー2023 お題で書く短編集
くれは
一日目 鹿
冬は白い鹿の姿をしている。
森の中で白い鹿を見かけたら、それが冬の始まりなのだ。
毎年、村の誰かが白い鹿を見たと言う。誰か──大体は、秋の獣を狩りに向かった猟師たちが、その話を持って帰る。
そして本当に、そこからあっという間に寒くなり、雪が降りはじめる。冬というのは、そういうものだ。
その白い鹿は冬の間、森の中にいるらしい。雪深い冬の森には誰も入らないから本当のことは知れない。
けれど白い鹿は冬の王だ。春になる前に冬の者たちを従え、どこか遠い冬の国に帰ってゆくのだという。そのとき、白い鹿は空を駆ける。
(白い鹿が来なければ良い)
アイラは毎年そう考えていた。隣の家のハコラは、冬になるたびに体調を崩す。暖かな春、緑鮮やかな夏、ハコラは穏やかに過ごしている。だというのに、秋の収穫を終えて冷たい風が吹き始め、白い鹿が現れる頃にはいつも決まって咳が出始め、外を出歩けなくなるのだ。
その咳の声はいつだって苦しそうで、まるでハコラの命を削り取る音のようだった。
だからアイラは冬が嫌いだったし、白い鹿の話を聞くのも嫌だった。
それでも毎年、白い鹿はやってくる。
今年のハコラの苦しさは、これまでよりも一層酷かった。もう弱々しくぜえぜえと息を苦しげな息をしているというのに、咳が出るとなると止まらない。
アイラが様子を見にいくたびに、ハコラは痩せて具合が悪くなっていった。
ひどい吹雪の夜が明けた朝、アイラがゆくとハコラは珍しく目を覚まして起き上がっていた。
調子は大丈夫なのかとアイラが問いかけると、ハコラはそっと微笑んだ。
「いつか僕がいなくなっても泣かないで。冬に死ぬ僕はきっと冬の者になる。そうしたら白い鹿と一緒に冬の国に行くんだ」
「いなくなるなんてそんなこと言わないで!」
アイラは泣き出してしまった。ハコラは困ったように眉を寄せて、それからまた咳を始めた。アイラは慌てて家の人を呼び、背中をさする。
「お願い、いなくならないで。一緒にいましょう。また春の花を見ましょう。夏には湖に行きましょう。わたしはハコラと一緒にいたいの」
ハコラは咳をしながら、うっすらとアイラに向かって微笑んだ。心配しないでと言うように。
(白い鹿、ハコラを連れてゆかないで)
アイラは祈った。優しいハコラ。穏やかなハコラ。アイラは幼い頃から一緒にいるハコラのことが大好きだった。
けれど、冬が終わる少し前にハコラはまるで雪のように白く冷たく動かなくなった。
(白い鹿、白い鹿が来なければ!)
アイラは雪の中を森に向かって歩く。無茶なことをしているのはわかっていた。けれど、ひとりで泣いていると、涙は止まらず、気持ちも収まらず、めちゃくちゃになってしまいそうだったのだ。
アイラは森に向かって歩く。雪は深く、アイラの足を引っ張り埋めて、アイラは動くのもやっとだった。
それとも、と雪に埋もれながらアイラは考える。
(わたしも雪の中に埋もれたら、冬の者になれるかしら。そうしたら、ハコラと一緒に白い鹿に連れていってもらえるかしら)
アイラは雪の中で目を閉じかけた。
そのとき、森からハコラが走ってきた。アイラは最初幻かと思った。
だって、それは確かにハコラだったのだ。ハコラはすっかり元気そうで、咳もなく、苦しそうな息もせず、赤い頬をしていた。
ハコラはアイラを掘り出して雪の上に立たせると、アイラに向かって真面目な顔をした。
「アイラ、君はこっちに来ちゃいけない。戻って」
「嫌だ、わたしも一緒に行く」
「だめだよ。君はまだ一緒には行けない。行くのは僕だけだ」
「待って! まだ行かないで!」
アイラが止めるのも聞かず、ハコラは雪の上を軽々と走って森に戻っていった。
そして、ああ、白い鹿が、あの立派な角の冬の王、白い鹿が空を駆けてゆく。その姿を追いかけるように、ハコラも冬空を駆けていた。
今、ハコラは自由になっていた。苦しさから解き放たれて、笑っていた。笑って、嬉しそうに空を駆けていた。
ハコラが本当に行ってしまったのだと、アイラは感じた。
「ああ、さようなら。さようなら、ハコラ。冬が来たらまた会えますように!」
そして、冬は終わり、春になる。
白い鹿なんか来なければ良いと思っていたアイラは、今は白い鹿を心待ちにしている。
* * *
一日目お題「鹿」
Edyさんからいただきました。
https://kakuyomu.jp/users/wizmina
https://twitter.com/Edy_Edy_Edy
ありがとうございます!
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