あるいは幸運なミステイク
@IrmcherTurbo
本編
「ご注文の部品ですが......廃盤です」
部品屋の一言に、高井戸ミヤは思わず舌を巻いた。またか、あるいは、やはりか。もう幾度となく繰り返してきた事だった。旧車というのは、そういうものだ。
旧き良き、という価値観は大いに首肯するが、それが簡単な価値観であるかというとそうではない。旧い車を見てノスタルジーに浸る分には博物館のひとつでもあれば済むことだが、いざ自己所有でーーそれも実働でーーとなると、部品が出ないという一点だけで大わらわである。部品が出ないというのは悲しくも旧車の宿命であり、高井戸ミヤの所有する1980年式のRN30型トヨタ・ハイラックスとて、その宿命からは逃れることができない。
「産まれる時代、間違えたよなぁ......」
荷台に転がしたプロペラシャフト。ヨーク部にガタが出てしまい、急遽取り外したそのシャフトは、本来であれば後輪の車軸を駆動していた重要な部品だ。
気を使っていたつもりでも、永遠に壊れぬものは何もなく、ミヤの自慢する四駆のハイラックスとて、今は世にも奇妙で価値の無い「FFのハイラックス」である。
「せっかく、来週は憧れの先輩が主催するキャンプ大会だったのに」
もっと言えば、自分は自分が好きな車に乗っているだけなのに、どうしてこう、時間はすべてを台無しにしていくのか。
この車が新車であれば、1980年であれば、部品なぞ悩むことなく手に入ったろう。
「こんな旧くてボロい車なんて恥ずかしい」と言われてつい関係を絶ち切ってしまった元友人とも、まだ関係があったかもしれない。
あるいは憧れの先輩だって、新車のハイラックスに興味を示したかもしれない。それを口実にドライブに誘うことだって、それで、その先も......いや、それは妄想に過ぎるか。
しかし1980ならあり得たすべて、2030年を数える今となっては半世紀も前の事。実際、四半世紀ですらも生きていないミヤにとって、半世紀はあまりに旧く思える。ミヤにとってはついこないだ販売が全面終了した純ガソリン車が全盛期で、8mmビデオなんて触ったこともないカメラが新発売。インターネットなんて概念すらほぼ存在せず、他人の家の固定電話を借りるなんて日常茶飯事。そんな聞くか調べるかで情報を入手するしかない「遥か昔」が「今」だった頃。そんなに時代に新しかったものは、今となりては当然、旧い。元友人の言葉だって、私がカチンときてしまっただけで、別に何ら間違いでは無かったのだ。旧いし、ボロい。改めてハイラックスを見れば、確かに旧いしボロい。旧いしボロい......
ああ、なんだか無性に泣きたくなってしまった。いいじゃないか、この車が好きなのだ。たまたま好きになったのがこの車だったのだ。ああ、産まれる時代を間違えた......
もうダメだ、帰ろう。帰って不貞寝と洒落込もう。
ウィンストン・キャビンに火を点けてドアを開け、運転席にドサリと腰を降ろしたとき、不意に声が響いた。
「あら、高井戸さん」
なんだ、いかにも私が高井戸だが、文句でもあるのか?と、私は不機嫌さを隠さずに8mgをすぱぁとやって、咥えタバコのまま行儀悪く紫煙を吐き出した。
いかにも葉っぱを燃やしている、強く燻された煙の味。
いかんいかん、相手に罪はない、とせめて取り繕った真顔で相手の方を見ると、同じサークルの白石アテネが居た。アテネという女神の様な名を表すがごとく、すらりとしたスタイルの美人。誰をも引き付けて止まない美貌と、清廉な心の主。こんな病みかけの一般人とは隔壁のあるべき存在にして、私の憧れの先輩の想い人。いつもいつも輝いている彼女と、いつもいつも日陰の私が、どうしてこんなときばかり顔を合わせるのか。ああ、神よ。
「来週のキャンプ、楽しみね」
曇りひとつ無い笑みのアテネ......いや、白石。前言撤回、こいつは罪だ。私の心を抉った罪である。......じゃない。それは酷だ。白石アテネ含めて、まだキャンプを欠席だと伝えていないのだから、共通の話題としてそれを出すのは普通の事だ。そんなことで罪と言われては理不尽だ。私は思い直す。白石アテネに罪はない。
「それだけど、残念だが、欠席しようと思う。車が壊れて」
今度こそそれなりに取り繕った愛想笑いで言うと、アテネはきょとんと首をかしげる。
「動かないの?レッカー待ち?」
「そうじゃない。プロペ......駆動系の一部が壊れたんだ。一応動かせても、大事をとるべきだから」
私がそう告げながら灰皿に灰を落とすと、白石アテネは得心が行ったとばかりに手を叩く。
「やっぱり高井戸さん、その車が大事なのね」
「そりゃそうだろ」
私はちょっとイラッときた。そうでなきゃこんな苦労なんかしていないのに、やっぱりその車が大事なのねとはなんだ。ボロいって言いたいのか、旧いって言いたいのか、馬鹿馬鹿しいって言いたいのか!?
「でも、それくらいで不参加なんて勿体ないわ」
白石の事が一瞬で嫌いになった瞬間だった。
あぁそうですかたかが車ですか、でも私にとってはハイラックスの方が大事なんです。なにか問題が!?
そう言い返すだけの度量もなく、眉間に皺を寄せたままいっそう強くすぱぁと煙を吸い込むと同時、白石が言った。
「プロペラシャフトのヨーク......スパイダーの打ち替えくらいなら、ウチですぐに出来ますわよ」
「......は?」
白石の口から出たとは思えない専門用語に唖然としているうち、キャビンの灰がポトリと落ちた。
それは風に吹かれ、落ち葉と共に飛んでいくーーー
ーーーーー
「この年代の車は、汎用部品も多いですし、今でも寸法が同じ部品を手に入れるのはそう難しくありません」
白石アテネが万力のハンドルをグリグリとひねり、ハイラックスのプロペラシャフトを分解している。
「純正がなくとも、それが規格品であればどうにかなります。であれば......えぇと、54mm、かける、62......」
バラした部品の寸法を測り、メモ用紙に記入する白石。アウトドアサークルの女神が、油で手を汚しながら寸法取りをしている。どういう光景だ?
「測った実寸を元に品番検索、クロスジョイント......」
続いて、ピンク色のいかにも女子といったスマホに入力される、いかにも工業的な寸法の羅列。ややあって、工業用品の業販サイトはいかにも無機質な機械部品を提示してくる。
「外径53.8xベアリング長62.5、スパイダー全長160、これですわね、在庫ありの即日発送」
私はいったい何を見ている?
「注文してしまいますわね」
その言葉で我に返ると、白石アテネはこちらを見てフフッと微笑んでいた。
「えっと、つまり......愚問だが、」
私は先程までの光景を飲み込んで、咀嚼して、それでも理解が追い付かず、変な質問をするので精一杯だ。
「ハイラックスは......直るんだな」
「ええ」
「そうか、ありがとう」
感謝を告げた途端、白石アテネはなぜか少しうつむいてしまった。
「......どうした?」
「......ずっと、話したかったんです。高井戸さん。私よりも純粋で、好きを好きと本心で言える人」
純粋?私が?本心での物言いなんて......特に、好きずきに関することなんて、むしろ出来ないことの方が多いが。
「私も、祖父の影響で、旧い車が好きなんです。でも、廻りの目があって、言い出せなくて、結局、乗るにも乗れなくて」
「祖父の落ちる時にも、素直になれなくて」
「人生のやり方、失敗したなぁって、思ってたんです」
「だから、高井戸さんみたいに、旧車と付き合って喜怒哀楽を共にしてるの、とっても憧れなんです」
「車のために怒れる人で、車のために哀しめる人で、車のために......こんなにも、笑える人。素敵です」
白石アテネはそう告げた。ああ、そうか。女神の名前を持ってしても、白石アテネだって人の子なのだ。人の子であれば悩みもあるのだと、恥ずかしながら、私はその時初めて気がついた。
「私も人生を失敗したと思っていたけれど」
だけど、それは一面でしかないのかもしれない。
「あるいは今を共有できる、知己を得た瞬間なのかもしれないな」
産まれる時代を間違えて、ここに居る。
旧車と共に生きる。
それは、なんと幸運なミステイクなのだろうか。
ーーーーー
男どもはやんややんやとやっている。先輩に憧れただけで入ったアウトドアサークルにおいては、私は隅でビールを啜っているだけの存在だ。時たま、とりとめのない会話をして、他者とは何となくの距離感。それでいい。
アテネの直してくれたプロペラシャフトを装着して、ハイラックスは正真正銘の4x4へと復帰した。そして、今日のキャンプ道具の大多数を運んでくれた。こんにちに至ってはHighでもLuxuryでもない旧くてボロいハイラックスだが、トラックとしての質実剛健さは惚れたところそのものでもある。
「ところで、白石先輩はまだなんですか?」
後輩の子が問い掛けてくる。
そうだよなぁ、何かあったんじゃ、なんて言い出す男どもに、キャビンを一服しながら一言。
「もうすぐだよ。アテネの車は高速に乗れないからな」
訝しげな反応をする面々は、不意にベンベベンと響く不思議な音調に気をとられた。
風に乗り漂ってくる、油の燃えた様なかすかな異臭。
アイツめ、やっぱり買ったか。
やがて河川敷に現れる、ジャングルグリーンの小さな小さな車体。76年式、スズキ・ジムニー、SJ10。
運転席に座るアテネの、申し訳なさそうだが、誇らしげな顔と来たら。
「ごめんなさい、遅れてしまいましたわ」
「いいや、遅れてなんかないよ。今からだ」
これは、少しばかり人生をミステイクした私達の、あるいはとてつもない幸運のお話。
あるいは幸運なミステイク @IrmcherTurbo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます