第4話 ノンバーバルコミュニケーションと捕縛と真相(終)

 男は店などは構えておらず富裕層の一人として名を馳せていた。名前は十次郎というそうだ。


 江戸の色々な道をくぐり抜けて着いた先は江戸時代でも豪邸に入る部類ではないだろうか。


 源三郎は十次郎宅の門を開け中に入り扉を開けた。


「十次郎はいるか」


 暫く何の返答も返ってこなかったが数度呼びかけると奥から十次郎が姿を現した。源三郎の同心の姿を見ると3つのFの一つフライトを見せた。

 足を玄関先に向け逃避の姿勢に入る。


「十次郎つかぬことを聞くが、昨晩の今暁九つ(深夜0時)頃なにをしておった」

 

それを聞くと十次郎の口に舌が巻き込まれるようにして入っていく。なだめ行動の一つだ。次に大粒の汗を流し言葉を考えているようだった。これもなだめ行動だ。


「突然何なんですか。私はその時間は一人で酒を飲んでいただけです」

「外が大火事になりに掛かっているのにか」

 

 その源三郎の言葉に十次郎は片眉を上げ眉間に皺を作った。これもなだめ行動の一つだ。


「一人で酒を飲んでいることを証明できる者はいるか」

「一人ですよ。居るわけがないでしょう」


 そう一人だと証明は出来ないが不在証明「アリバイ」もできない。


「大城屋が火事になったときにお主は優雅に酒を飲んでいたと」

「火事だと知ったのは後のことです」

「あれだけ大騒ぎになっているのに」

「私の家は日本橋南から離れているものでして」


 確かに籠でここまで来た印象は日本橋南からかなり距離が離れていることはわかった。


「お主大城屋の娘とは婚約者の仲であったはずであろう」

「そうでした。それなのに両親が邪魔をして私とお月の仲を壊したんでございます」

「なぜ壊された」


 そこで十次郎は喉を何回も触りながら言葉を考えているように思えた。これもなだめ行動の一つだ。


「私の家が大城屋とは相応しくないとかだそうで。確かに私は財産を受け継いでこの家に住んでいるかもしれませんが、それでもお月と一緒になったら二人で一生懸命頑張っていこうねと誓い合った仲だったのです」


 そこで源三郎は顎に手を置いてちらりとお花を見る。お花は源三郎の代わりに質問をする。


「例えば大城屋さんを今回の件で憎んでいたとかは」

「それは憎みましたとも。なぜなにもしていない私がこんな目に遭うのかと。お月は悪くありません。全て悪いのは旦那様と女将さんなのでございます」


「本当にお月さんは憎くないですか?」

「憎くないです」


 三つのF フライト ファイト フリーズが見受けられない。どうにもこの男を本心を言っているようにしか見えない。

 

 難しい事件だとお花は思ったあれだけの焼死体なのだから刺し傷や絞殺痕を見つけるのも困難だ。


 ただ明らかにノンバーバルコミュニケーション的に言えばこの十次郎は下手人であることは間違いのない事実なのだ。


「そうですか、あなたの辛い気持ちもわかります」

「そうでしょう分かってもらえますよね」


 話を一度合わせる。これもノンバーバルコミュニケーションには必要不可欠な事の一つだった。焼死体を見るに厳重に燃やした後が見て取れる。これはどう考えても普通の憎しみのレベルを超えている。


 十次郎が疲れたように玄関の三和土に腰を下ろすとお花も少し屈んで彼を見た。これはミラリングーといい相手のパーソナルペースに入る術の一つだった。


 眉間に皺を寄せて疲れた表情を見せていた十次郎だがお花のミラーリングを見て少し眉間の皺も減り、喉元を触ることも止めた。


 源三郎はお花がなにをやっているのか分からず少し困惑気味の表情を浮かべた。


「いやーこの家も立派なものだと思いますけど、大城屋さんはなにが気に入らなかったんでしょうか?」

「さあ、私が大城屋に入っても働かないと思われていたんじゃないでしょうか」

「でも十次郎さんは働く意思を持っていたんでしょう」

「持っていましたとも。そうお月と約束はしてましたし。それなのに別の婚約者を作るなんてあんまりだ」

 

 ここで源三郎がびっくりしたかのような表情をした。お花も大分パーソナルペースに入ることに成功してきたなと実感してきていた。


「別の婚約者?」

「はい別の婚約者です。私と別れた後に直ぐにそういう話が出たんです」

「お月はどう申していたのだ」

「もう私は大城屋に近づくことは出来なかったので、あくまで噂の伝聞で知ったのみなのでございますが、ただただの噂ではないでしょう」


 そこまでお花は聞くと一旦十次郎から離れるために外に出た。お花は正直喉から反吐が出そうであった。幾ら犯人捕縛の為と言えど、こうもパーソナルペースを近くしなければならないことに。


 気分転換の為に外に出て考える。これでCIAでも実践されている良い警官と悪い警官が実証できただろうと。高圧的に出たのが悪い警官で寄り添ったのがお花が演じる良い警官なわけである。これで良い警官の方に被疑者は偏りがちになり、供述も引っ張りやすくするであろう。


 そんなことを考えていたお花だったが、なにやらこの周辺蠅が多いなと思い始めていた。


 玄関の軒下を見るとそこが発生源のように思えたのでお花は急ぎ源三郎を呼ぶことにした。玄関から出た源三郎は軒下を見ると眉間に皺を作った。


 そして源三郎が玄関の軒下に手を突っ込むと包丁があった。その包丁から蠅や蛆がたかっている。


「犯人にとってのスーベニア「記念品」だったのかな」

「わからぬそのすーべなんとかという物は」

「犯人が自分の犯罪を残したいと思い、遺体から持って帰れない場合、こうした包丁や凶器が記念品になるんです」

「なんとも気持ちの悪い話よ」

「常人に理解できる範疇ではないので」


 源三郎とお花は包丁を持って十次郎の元へ戻る。


「蛆や蠅がたかっているが、お主この包丁でなにをしていた」

「さ、魚を切っていただけです」

「嘘です」

 

 十次郎がそう言いながら眉間に皺を作り、首筋に手をやった。これは先ほどのパーソナルペースを縮めることによって十次郎がどんな癖を持っていたのか全てを明らかにするためである。


 十次郎は普段は首筋に手をやることもないし、唾液を飲み込むことも眉間に皺を作ることもない。


 お花の嘘ですの言葉に十次郎の舌が口内へ巻き込まれるようにして消えた。更に十次郎は近くにあった布製の座布団を自分の胸に抱き、完璧ななだめ行動をみせた。


「この包丁をなんに使っていたんですか十次郎さん」

「さ、さかなを」

「いえ、魚ではありません。あなたはこれで人を刺したんです」

「何の根拠があってそんなことを」

「では逆に聞きます。十次郎さんあなたの今暁九つ(深夜0時)になにをしていたか証言して下さる方はいますか」

「ぐっ……」

「ついでを言うならこれで魚をさばいていた姿を見ている人も欲しいものです。深夜の暗がりに裁いていたとでもいうのですか?」

「ううっ……」

 

 どんどん十次郎に対する包囲網が出来上がってくる。源三郎は十次郎に冷え切った声音で言った。


「なにも正直に言わぬのなら伝馬町の牢で話を聞いてもかまわんのだぞ」

「そ、そんな」

「では殺したのか、そしてその後火を点けたのか」

「ぐぐっ……」


 なんともしつこい男である。普通の人間ならここで自分の罪を認めてお縄になることが普通であるが。


「ここで話を聞いても無駄なようだな」

「うぐっ、全てが大城屋が悪いのです。私は3人とも刺し火を点けました。憎い大城屋が憎い。大城屋の血統は全て絶やさねば」


 流石の十次郎も根負けと言った感じなのだろう。しかし狂った男だと考えた後に源三郎は凍える声で十次郎に最後通牒を言い渡した。


「放火は重罪、殺人も重罪である。お主には死罪が言い渡されるであろう」

「全ては大城屋が悪いのです」


 そう最後まで言って十次郎は源三郎の手によって捕縛されていった。お花は玄関から出て空を眺める、男の執念も怖い物だと。


 深夜になり源三郎の家でいつも通り美弥の料理に舌鼓を打っていた。今日のゼンマイの煮物は非常に美味しい。


「しかし永井様、男の執念も怖い物でございましたね」

「あやつ何回聞いても大城屋が悪いとしかいわん」

「既に心が壊れていたのでしょうか?」

「かもしれぬな。しかし心が壊れているものに心理術は通じるのか」

 

 そこで源三郎は美弥に酒を酌んで貰ってからお花に聞いた。


「限界の段階で聞けたのかもしれません。これ以上心が壊れてしまっては聞けなかったかもしれなかったかもしれません」

「ギリギリのところであったということか」

「はい」


 そこでお花は美弥に酒を酌んで貰うと、源三郎がお花に笑顔を向けて言った。


「そういえば奉行所の中ではお花の解剖が凄く評判が良くてな。神の手とか言われて居るぞ」

「そんな、そんな大したものじゃありませんよ」

「いえ、お花様は凄いのです。なにせこの江戸で初めて解剖という特殊技術を行ったのですから。それも奉行所の中で。私なら恐ろしく出来ません」

 

 美弥の褒め言葉にお花はむず痒い気持ちになる。お花は少しだけ笑顔を零すと、部屋を照らす明かりを見て思う。江戸始まって以来の解剖か、久しぶりにメスを握った感覚は酷く懐かしかった。


こうして放火殺人は終わりを告げる。

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