第2話 逆さの女

 三人が法善寺に着くと源三郎は先導するような形でお花を井戸の前へと連れて行った。お花は井戸を見ると少し考える仕草をする。


「井戸?」

「そうだ、この中に逆さの女がいる」

「逆さ?」


 お花が井戸の中を覗くと、中に逆さになって井戸に落下している女の姿が見えた。


「確かに逆さでございますね」

「うむ」


 このまま見ていて埒があかないのでお花たちは遺体を引き上げることにした。

 筵の上に屍を乗せお花は見聞していく。


年齢は二十前後、体つきは華奢でありながらも男を魅了するような姿をしている。


「溺死なのか?」


 源三郎の問いかけにお花はそれではまずはそれから調べてみましょうと言うと、お花と源三郎は二人がかりで屍の腹を押さえる。


「水はでぬな」

「でませんね」


 お花は源三郎のその言葉に同調するように言った。そしてお花は屍の顔を見る。

 鼻からは少しどろりとした血が漏れたのをお花は見逃さなかった。


「血?」

「血がどうしたのだお花」

「永井様、この屍の鼻から血が漏れております」

「なんだと」


 溺死でもない。しかし鼻から血が漏れ出たと言うことはこれはただの溺死ではないということになる。


「井戸で自殺したかのように見せかけた偽装殺人」


 お花の口からそんな言葉が漏れる。お花は屍の服を脱がすと体中を確かめていく。鼻、口、舌、目、腹部、顔、背中、腕、足には異常なし。股を調べ腹を少し押さえると息を飲み込んだ後にお花は源三郎に言った。


「永井様、この屍、子を宿しております」


「な、なんだと。なんと不憫な」


 おなかの子は死んでいるだろう。源三郎と美弥の間には子がいない。子を宿したくても宿せないと言った方が近い。だから源三郎はより子供の死に感情的になった。対してお花には子がいない。こういうときにお花は思う。法医学ができても、ノンバーバルコミュニケーションができても結論としてたった一人の子供も救えないのだと。

しんみりとした考えになっていたお花だが、気持ちを切り替えて検屍をしていく。


「陰裂に異常はなく、肛門などにも釘は打ち込まれていない。では脳はどうなのか?」


 この時代にCTというものはないので手で調べるか薬を使うかという選択になる。

 よくよく爪の間を見ると防御層が見受けられた。


「争った痕跡あり」


 磯吉は屍によってくる蠅や蛆と格闘している。文月という季節も関係あるのだろうか下腹部が緑青色の変色が出現していた。その後一部は血管の走行に沿って(腐敗網)進み腐敗泡を形成しつつあった。


 死後硬直を確認すると下腹部に緑青色が見られ、死後硬直は手指足指にまで及んでいて、死斑は上半身向きで固まっている。角膜を見ると一日程度の強濁を見せている。顔面は巨人顔に(膨れて、目をむいたような、肥満した力士の様子)なりつつあった。


「薬を使いましょう永井様」


「うむ」


 屍の頭に白梅、葱白、塩、山椒を塗り、その上を糟酢で覆う。それから暫く待ち薬の効能が現れてくるのを待つ。


 充分時間が経ったところで屍の腹から糟酢を取って明るい日差しの中で様々な角度で見ていく。


 そうすると、女の頭付近には打撲痕が見てくる


「でましたね」

「おおっ、でたな」

 

 お花のほっとしたかのような言葉に源三郎は安心したかのように同時に相槌を打った。


 念のために再度口を調べ銀の簪を喉元へ差し込み、毒の臭いも嗅いでみたが、銀の簪に異常が出ることもなく、毒の臭いもしなかった。


「毒の反応もなし」

「毒殺ではあるまい」

「念には念を入れたい正確なので」

「うむ」

「永井様。間違いなくこの屍は後頭部の打撲で死んでいます」

「そのようだな」


 お花は腕を組んだ後に考える。


「簪も着物も富裕層の持ち物に見えます」


 お花は紙を取り出すとさっと女性の絵を描いていく。絵を描き終わるとお花は源三郎に渡す。


「永井様、恐らく思うのですが、この屍の富裕層ぶりからみて捜索願いが出ていると思います。ですのでこの絵を持ってこの女性が何者か調べて下さい」


「いつもいつもすまんな」


 遠慮気味そういう源三郎にお花は顔の前で手を振った後にいつも通りの決め台詞を言った。


「いえ、いいんですよ。それと本日私が出来るのはここまでになりますので、後は後日になりますね」

「すまぬな」

「いえ、それでは本日は私はこのあたりで」

「ご苦労であったな」

「はい」


 お花はそういうと籠に乗り込み自分の医院へと戻っていく。そんなお花に源三郎は頭を下げると仕事の続きを始めるのだった。

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