バス――三途の川発

 和正は老いた足で一心不乱に走っていた。もうすぐバスが出る時間だ。必死に走っていると、遠くにバス停が見えてきた。バスは既に到着しており、今にも発車しそうだ。このバスを逃すと、次のバスは当分来ないだろう。和正は走る、ただ走る。

 やっとの思いでたどり着くと、バス停には「三途の川」と書かれていた。和正は正しい目的地に着いた。これで天国に行ける。



 和正は幽霊だった。生前は善人だった。若い頃は電車で老人を見かけたら席を譲ったし、募金箱があれば少額でも募金した。ボランティアのゴミ拾いもしたし、娘夫婦が共働きだったから、孫の面倒も見た。さらには道に迷っている人がいれば、道案内もした。和正ほど善行を積んだ人はそうはいないだろう。

 三途の川を渡った時は当然、天国行きのバス乗車券もらった。



 走り走った反動で、和正は息切れをしていた。膝に手をついて休む。

「あの、早く乗ってもらえませんか? すでに発車時刻を過ぎているので」

 バスの運転手は腕時計に目をやりつつ言った。

「これは申し訳ない」

 和正はバスに乗り込むと、運転手に乗車券を見せる。

 運転手は首をかしげたが、やがてこう言った。

「どうぞ、後ろの席へ。前の方は揺れが大きくて危ないので」


 和正はバスの後部へ行く途中で、何人か他の乗客が座っているのを見た。みな一様に青ざめている。幽霊なのだから、当たり前か。自分も同じかもしれないと和正は思った。

 天国に行く途中、どれくらい時間がかかるか分からない。一人だと暇になるだろうと思い、若い男の隣に腰かけた。

「隣を失礼」

「どうぞ」

 若い男は傷だらけで、服はところどころ破れている。

「若いのに亡くなるなんて気の毒ですな」

「車を運転していたら、向かいからトラックが突っ込んできたんです。気がついたら、三途の川にいたんです」若い男はぼそぼそと言う。

「とんだとばっちりですな。相手の運転手はどうなったんですか?」

「向こうはトラックに乗っていたので、かすり傷で済んだようです」

「なんと!」

 和正は若い男を憐れんだ。

「あなたはこう言いたいんでしょう。『神様は不公平だ』と」

「まったくもって、そのとおりです」

 他人事ながら、憤まんやるかたない。

「自分がスピードを出していたのも悪いんです。それに俺は走り屋で、人をはねたこともありましたから」

「でも、善い行いもしたから天国に行くのでしょう?」

 若い男は目を丸くして見つめ返してきたが、しばらくすると視線を下に向けた。

 これ以上聞くのも失礼かと思い、和正は目的地に着くまで眠ることにした。


 しばらくして目を覚ますと強い違和感を覚えた。違和感の正体はすぐに分かった。このバスはどんどん下に向かって進んでいる。天国行きなのだから、上に向かうものだと思い込んでいた。

 その時だった。車内にアナウンスが流れた。

「当バスはまもなく地獄に到着します。到着まで席に座ってお待ちください」

 和正は耳を疑った。何かの間違いだ。そう思い車内の電光掲示板に目をやると、こう書かれていた。

「三途の川発 地獄行き」と。

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