ショートショート集

雨宮 徹@クロユリの花束を君に💐

ホラー

律儀な死神

 ある夜のことだった。僕の枕元に変な恰好をした人物がいた。黒いマントに大きな鎌を持っている。鎌? 殺人鬼だ! 逃げなきゃ! でも、体が動かない。その時だった。

「お前の寿命はあと一年だ」そいつは言った。

 僕は思った。お前に今、殺されるのだから、何かの聞き間違いだろうと。あと一秒の間違いだろう。鎌を振り下ろされるのが怖くて思わず目を閉じる。しかし、一向に痛みは来ない。死ぬ時って、いつの間にか死んでいて、苦痛はないのだそうか?

 疑問に思い勇気をもって目を開けると、まだ、そいつはいた。

「おい、同じことを言わせるな。お前の寿命はあと一年だ。いいか、死神の俺が言うんだから、間違いない」

 夢でも見ているのか? 今、死神っていうワードが出た気がする。

「死神……?」

「そう死神だ。これは夢ではない」

 あと一年で死ぬ――これは余命宣告だ。あと一年しかない? それともまだ一年ある? 

 そんなふうに考えていると、死神は感心したように言った。

「お前は変わっているな。今まで余命宣告された者は、大抵発狂したのだが」

 確かに、と自分で思う。でも、急な話でまだ実感が湧いていないのかもしれない。

「なんにせよ、あと一年、せいぜい足掻くがいい」死神はそう言って嘲ると、去っていった。



 翌日、僕は昨日のことは、悪い夢だったのだと考えた。そもそも、死神が律儀に余命宣告するのも変だ。いきなり殺すはずだ。そう考えると、気が楽になった。


「行ってきまーす」僕は母に言う。

「いってらっしゃい。最近、交通事故が増えてるみたいだから、気をつけるのよ!」

「分かってるって!」

僕はそう言うと、門戸を開けて外に出る。



 運が悪い。もうすぐ車道というところで、信号が点滅しだした。しかたない、次に青になるのを待とう。いくら車どおりがなくても、自分の良心が「赤信号は渡るな」と語りかけてくる。ぼけーっとしていると、子供たちがワイワイしながら、こっちに向かってくる。そして、子供たちが赤信号なのに道路を渡ろうとしている!

「おい、赤信号だぞ。危ないぞ」

 僕がそう言うと、子供たちの反応は三者三葉だった。

「えー」

「無視しちゃえ」

「青信号になるのを待とうよ。このおじさんの言うとおりだよ」

 おじさん? 僕はまだ、大学生なのに。ショックを受けていると、子供たちは道路を渡るのをやめていた。彼らには、まだ良心があったらしい。

 その時、交差点を軽トラックが曲がってくる。大丈夫、三人とも僕の注意で赤信号を渡っていない。僕はほっとした。

 次の瞬間、風がビューっと吹き荒れ、子供の帽子が吹き飛ばされる。

「あっ」

 子供が帽子を追って車道に飛び出した! 僕の体は本能的に動いていた。子供を突き飛ばした瞬間、軽トラックが僕を跳ね飛ば――。



 僕はどこかに横たわっていた。どうやら、死んだらしい。これが死ぬということか。案外、悪い感覚はしない。

「あ、あ、明彦ぉぉ」

 母が僕の体にしがみつく。あれ、これは夢?

「痛い!」

 いつの間にか声が出ていた。

「あぁ、本当によかった! 無事でよかった」

 母はますます強く抱きしめてくる。

「痛い、痛いよ!」

「奥さん、大丈夫ですか!?」

 扉をガラッと開けて、白衣の女性がやって来る。母の声が大きかったらしい。

「まあ、先生に伝えないと!」

 その女性は、勢いよく扉の向こうに消えた。

「もう、心配したのよ! 先生が言っていたのよ。『軽トラックにはねられて、重症です。もって数日でしょう。運が良くても植物状態です』って!」


 しばらく、母は僕のそばで泣きじゃくっていたが、父に連絡すると言って病室を出ていった。

「よぉ、お前、人が好過ぎないか? 人のために自分の命を投げ出すなんて」

 背後から聞こえる声に振り返る。そこには――昨日の死神が立っていた。

 死神? あれ、昨日のは夢じゃなかった? それとも、これが夢? どっちだ?

「きょとんとするな。言ったはずだ。『お前の寿命はあと一年だ』と」

「ど、どういうこと……?」

「お前の寿命はあと一年――正確にはあと三百六十四日――だと。つまり、それまでお前には猶予があるんだ。いきなり死なれちゃあ、余命宣告したのに、嘘をつくことになる」

「死神って、いきなり命を奪うんじゃないの?」

「それは違う」

 死神の言うことはにわかには信じがたい。死神が律儀に約束を守ることなんて、あるのだろうか?

「なんにせよ、俺の手を煩わせるな。お前は、命つきるまで大事な人と過ごせばいいのさ」

 僕は疑問に思った。

「ねぇ、一個質問していい?」

「一個だけだぞ」

「それって、君が僕のそばにいる限り、不死身に近いってこと?」

「まぁ、そういうことになるな」

「ありがとう」

 まぶたが重くなってきた。起きて早々、無理をし過ぎた。

「またな」

 そう言うと、死神は去っていった。



 数週間後、僕は歩けるようにまでなっていた。リハビリがてら、病院の庭を松葉づえで歩いている。

「明彦、調子はどう?」

 僕の彼女、美幸が言う。

「まあ、ぼちぼちかな。あのさ、僕が退院したらどこかディナーに行こうよ」

「退院祝いにね。それまで無茶しちゃだめよ」

「分かってるって」


 数か月が過ぎて、ようやくディナーが実現した。

「ねえ、明彦、こんな豪華なレストランでいいの?」

「もちろん。バイトしてお金を貯めてたんだ。今日は僕がおごるんだし」

「でも、あなたの退院祝いよ? 私が払うべきだわ」

「気にしないで。だって、僕が払う前提で、ここを選んだんだもん」

 本当はバイトで貯めたお金を使い切ってしまう。だが、お金はあの世へは持っていけない。

 美幸は首を傾げている。

「まあまあ、せっかく来たんだし、楽しもうよ」


 僕たちは将来を語り合った。大学を卒業したら、記念に旅行に行こう、旅行先はどこにしようかと。

「ねえ、明彦」

「うん?」

「私たち、結婚を前提に付き合っているじゃない?」

「もちろん」

「じゃあ、新婚旅行もしないとね!」

「もちろんさ」

 僕は胸が苦しくなった。そんな未来は来ないのだから。

 その時だった、けたたましい音が鳴り響く。この音は――火災報知機の音だ!

 次の瞬間、周りが騒がしくなる。

「きゃあぁぁ、火事よ」

「おい、逃げるぞ。そこをどけ!」

「非常階段はどこだ!」

 人々は我先に逃げようと押し合いへし合いになる。その人波が僕と美幸の間を裂く。

「美幸!」

 懸命に手を伸ばすが、人だかりが邪魔をする。美幸は見えなくなってしまった。

「ちくしょう、なんてこった」


 美幸が見つからない。まずい。美幸が死んでしまったら、僕はこの先、生きていけない。彼女はかけがえのない人だから。その時、気づいた。彼女は絶対に無事だ。なぜなら彼女はまだ、死神から余命宣告を受けていない! ここで死ぬのは余命宣告をされて一年経つ人だけだ。では、自分は? 死神に余命宣告はされているが、あと数か月先だ。 

 つまり――。


 僕は気づくと、またもやベッドの上に横たわっていた。

「また、会ったな」

 死神が枕元で言う。

「それで、もちろん美幸は無事なんだよね?」

「ああ、お前の彼女か? まあな」

「良かった。一安心したよ。そっか、僕は余命宣告を受けているから、君は約束を守るために、僕を助けた訳か……」

 僕はそのとき、閃いた。



 数週間後、晴れて退院となった。

 河川敷を歩きながら僕はどこかのタイミングで、先日の閃きを試せないかと考えていた。まあ、そうそうチャンスはない。むしろ、チャンスがない方がいいとも言える。その時だった。

「誰か助けてくれー」

 助けを求める声の方を向くと、どういう経緯か分からないが、老人が川で溺れかけている! 老人はなんとか川の淵に生えた木にしがみついていた。でも、助けようとすると、共倒れになりかねない。しかし、僕なら?

 僕は老人の方へ駆け寄る。

「今助けますから、必ず僕の手を握りっぱなしにしてください!」

 そう言うと僕は老人の手を強く握る。

 川の勢いは凄まじい。僕も右手で木を握り、左手で老人を掴んでいる。しかし、木がミシミシと音をたてて、折れ始める。

「もう、いいのじゃ。これ以上無理をすれば、お前さんも死んじまう」

 老人はそう言うと僕の手を放そうとする。僕は負けじと握り返す。

「絶対あなたを死なせはしない!」

 ポキっと音をたてて木が折れた。僕も川に落ちる。でも、ここまでは想定範囲内だ。あとは、僕の閃きがうまくいくかだ。川の勢いは凄まじく、水が口からどんどん入って来る。

 そして――その先の記憶はない。



 僕はまたもや病室で横たわっていた。もう見慣れた天井だ。

「また、会ったな」死神が言う。

 このやり取りは何回目か分からない。しかし、僕はホッとしていた。

「しかし、本当にお前は人が好過ぎる。人のために命をなげうつなんて、馬鹿か?」

「そう、僕はお人よしさ。困っている人がいたら、勝手に体が動いちゃうんだ」

「なるほど。それならしょうがない」

「それにね、今回、死ぬつもりはなかったよ」

「うん? どういうことだ?」

「だって、君は約束を守る、律儀な死神だ。そして、今回も僕は危うく死にかけた。でも、君は余命宣告を守らなければ気が済まない、それが信念だ」

「そう俺の信念は『約束は守る』だ」

「そこで僕は考えた。それをうまく利用できないかって」

 僕はニヤリと笑いながら死神を見つめる。

「お、お前まさか、最初から俺が助けると踏んで……!」

「そのまさか、さ。これからもよろしくね、死神さん」



 それからの時間はあっという間だった。僕は死神の信条を利用して、様々な人を助けてきた。



 そして、その日がやって来た。

「今日は君と出会ってから、丸一年経ったね」

「そうだ。お前は今日死ぬ。今までとは違う。俺は約束を守る。つまり、いくらお前が足掻こうと死は免れない。さすがに、死ぬのは怖いだろう?」

「もちろん、死ぬのは怖い。手の震えが止まらない。でもね、君は怖くない。ずっと一緒にいたから」

「変わった奴だ。それに俺の信条を利用しようなんて、今までそんな奴はいなかったぞ」

「まあね。僕はお人よしだから。さあ、一思いに僕を殺してよ」

「覚悟は決まっているって訳か」

 死神が鎌を振り上げて、僕に振り下ろす。

 ――その先の記憶はない。


****


「それにしても、奇特な奴だった。明彦、天国に行けるといいな。いや、行くべきだ。あれだけ、人助けをしたんだから」

 死神の後姿は寂しげだった。

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