高い壁のアリス

愛内那由多

第1話

 高い壁に囲まれた城がある。通称・高い城(キャッスル)と呼ばれる城。

 そこには聖女になると言われている、アリスという少女が住んでいる。

 彼女は一度も、城の外に出たことがない。

 なので、彼女は思う。

 城の外に出てみたい……と。



 ふかふかの毛布にくるまれ、今さっき窓から入ってきた太陽の光を浴びながら、アリスは目を覚ました。

「おはようございますお嬢さま」

 目を擦りながら、アリスはメイドの挨拶に返事をする。

「おはよう……。エミリー」

「お嬢さま、目を覚ましたのなら、ベットから降りてください」

「イヤよ。まだ眠いもの」

 アリスは枕を抱いて、ベッドの上でゴロゴロと寝転がる。まだ、6時になったばかりなのだ。

「いいから起きなさい」

 エミリーは掛け布団を剥いで、アリスの体を空気に触れさせた。

「それでは朝ご飯に遅れてしまいます」

「えぇ……。でも……」

「お食事の時間は、7時からと決まっているのです」

「まだ、1時間もあるじゃない」

「お嬢さま、朝食前に身だしなみを整えなければいけません」

「でも……」

「お食事を抜きにすることもできるのですよ?」

「えっ……」

 アリスは今ここで二度寝をするときのメリットと、朝ご飯を抜かれたときにデメリットがどちらの方が大きいのか考える。

 答えは一瞬で出る。

「起きます。起きるから~。エミリー」

「はじめから、そうすればよいのですよ。お嬢さま」

 アリスの眠気はすっかりと消えてしまった。食堂で朝ご飯を取る前に、歯を磨いたり、髪にクシを入れたり、着替えたり、香水をつけたり、その他諸々の準備をエミリーの手伝いを受けながらこなしていった。正直、アリス自身はここまでのきちんとした身だしなみを整えることに意味があるとは思えない。


 1階の食堂に向かうため、アリスはカーペットが敷かれた螺旋階段を下っていた。メイドのエミリーが後ろからついてくる。

「ねぇ、エミリー」

「はい、お嬢さま」

 感情をほとんど込めないで、エミリーは言った。彼女は自分の仕事に誇りを持っていて、抜かりはない。けれど、仕事中はほとんど感情を表に出さず、それがアリスには不機嫌に見えてしまう。

「なんでこんなにも朝ご飯を食べるのに面倒なことをしなくてはいけないの?いいじゃない、別に、パジャマで食事をしたって」

「お嬢さま」

 冷たい、切れ味のいい刃物のような声で言う。

「いいですか。ここでは、この城では、『信仰』が大切なのです。それが、なによりも大切に扱われるのです。そして、神を信仰しているという意思表示をするために、ルールを重んじるのです」

 アリスはお説教をくらうことになり、面白くない。アリスは階段の途中で止まった。

窓の外を眺める。壁の外の大きな木の枝だが、屋根にくっつきそうなくらい伸びていた。

「ルール守ること、これによって人は、神様から守られ、救済されるのですよ」

「はいはい……」

「お嬢さま」

 少し呆れるようにエミリーは言った。

「ルールを守ることは信仰していることに繋がるんですよ。それによって、神様から救済されるのです」

 アリスはうんざりした。ルールに縛られるばかりの高い城(キャッスル)での生活。それにアリスは希望を持てない。

(でも……。外にさえ、城の外にさえ出れば、こんな窮屈な生活とはさよならできる)

 アリスは彼女が物心ついた頃から、高い城(キャッスル)から出たことがない。四方を囲む壁、その内側の、礼拝堂、居館、見張り台、それらを繋ぐ回廊と、真ん中に塔がある城。それがアリスの世界の全部だった。

(つまらない)

 それがアリスの本音だった。

(でもここから出られれば、楽しいことが待ってる気がする)

「ねぇ、エミリー」

「はい、お嬢さま」

 事務的な返事が螺旋階段に響く。

「アタシ、この城から出られないの?」

 全く希望を持っていない素振りを見せながら、聞いてみる。

「ええ、お嬢さまはまだ、この高い城(キャッスル)を出ることはできません」

 無意識にため息が出る。今まで、何度も、耳にたこができるくらい言われてきたこと。言葉の子細は違うけれど、意味としては同じこと。

「お嬢さまが、立派な『聖女さま』になるまでは、城を出ることはできません」

「つまんない」

「いずれ、お嬢さまもこの城を出ることができます。けれど今ではありません。くれぐれも、高い城(キャッスル)から出ようとは思わないでください」

「は~い」

 アリスは中身のない返事をした。



 アリスは食堂でひとり、朝食を取ろうとしていた。

 オムレツに、パン、半熟卵に、スープ。いつもと同じで、なんの感動もないメニューが、

アリスの目の前にある。

 アリスがフォークを手に取ろうとすると、

「お嬢さま!!」

 メイドがアリスを牽制する一声。

「お祈りを忘れていますよ」

「ごめんなさい。うっかりしていたわ」

 白々しくアリスは答える。アリスは無意識でも、うっかりでもなくフォークを取ろうとした。エミリーを怒らせようとわざと、フォークを取ったのだ。

「お嬢さま……」

「はいはい」

 アリスは両手を胸の前でくみ、目を瞑った。

 食堂に沈黙が流れる。

「私達は主を信じます。主の導きを信じます。私達は主の意志を尊重します」

アリスは目を開けて

「これでいいでしょ?アタシ……」

 神様なんて、信じてないの。そう言おうとして、口を動かすのをやめる。これ以上エミリーを刺激しない方がいいと、直感した。

(これ以上は、きっと許してくれない)

「お腹ぺこぺこで……」

「ええ、お嬢さまはお祈りをちゃんとしました」

 アリスフォークとナイフでオムレツをお行儀よく食べ始める。

(でも、神様なんていない)

 アリスはそれだけは、確信している。


 10時から12時の間は勉強の時間。アリスは専属の教師から、勉強を教わっている。今勉強しているのは、数学だ。アリスは全く数学が好きになれない。

現在11時12分、1時間以上ぶっ続けで数学の勉強をしている。

「それではアリス。ピタゴラスの定理は?」

 アリスは考える。けれど、全く答えが思いつかない。ピタゴラスの定理を勉強したのは覚えているけれど、そこから先が思い出せない。

(それに、今それどころじゃないのかも……)

 アリスはちょっとした抜け道のことを考えていた。高い城(キャッスル)から抜ける方法を。

(もしかしたら……だけど)

 そして、それを利用するのに、するのに時間がいる。5分でいい。それでこの城から抜け出せる。

「えってと……。分からないわ……」

「アリス」

 数学教師はぬくもりを持って、アリスに言った。メイトとは違い、こちらにはアリスを思いやるニュアンスを感じられた。

「先生……ちょっと分からないわ」

「ふむ……。これは確かに、君くらいの年齢の子には難しい。しかし、アリス、貴女は特別な方だ。いずれ聖女になる。この程度のことで挫けてはいけません」

「でも……」

「ふぅ……。少し休憩の時間にしますか。疲れたでしょう。5分後に再開します」

 教師は部屋から出て行った。

 アリスは周囲を確認する。人気はない。エミリーもいない。

(チャンスは今)

 アリスは2階の窓に近寄った。

鍵を開けて、窓を開く。

 そして、見下ろす。

(うわ……。思った以上に高いな……)

 真下に屋根がある。しかし、そこまでアリスの身長の5倍以上の高さがある。

(でも、屋根をつたって行けば、あそこに行ける)

 そして、外に出ることができる。

 アリスはまず、足だけ窓の外に出してみた。

 屋根まで全く届かないのを見て、震える。

 顔から血が引いていく。

(……やっぱりやめようかしら……)

 しかし、後ろを振りかえって、思い直す。

(こんな所にずっと閉じ込められたままなんて、イヤ)

「えいっ」

アリスは覚悟を決めて、屋根に飛び降りる。

 ドン、と屋根が音を立てる。

「あ……」

 アリスは屋根の傾きに少し足を滑らせる。

が、なんとか着地した。

(急がないと、先生が部屋に戻って来るわ)

 アリスは屋根をつたって、城の壁を目指す。

(さっき見た木。アレを降りて行けば外に出られる)

 アリスは心躍らせながら、屋根の上を走って行く。


 (なんだか、簡単だったわ)

 アリスは木から下りて思う。

(こんなあっさりと城から出られるなんてね)

 自分の求めていたことが、こんなにもあっさりと実行できてしまうことに、アリス自身が1番驚いた。

(今頃、先生とエミリーは私がいなくなって、どう思っているのかしら?)

 アリスは意地の悪い好奇心をいだく。慌てふためくふたりの姿がまぶたの裏に浮ぶ。

(さて、どこに行こう)

 アリスは城の外に行ってどうしようか、迷ってしまう。城の外に出たことがない。なので、外でどうしていいのか分からない。

(とりあえず、街。そう、街に出てみましょう)

 エミリーや先生の話に聞いていた、街に出てみることにした。

(確か馬車が通る道をたどればいいのよね?)

 道に不安はあるが、アリスの心には全くの曇り

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