泣き虫と記憶領域
森メメント
前編
「ゔぅあ゙ぁあ゙ぁあ゙ぅぅぅゔぅぅ」
久しぶりに呼び出されたな、なんて思いながら部屋に入れば、嗚咽交じりに泣きわめく
相も変わらずなのか、部屋は散らかり放題だ。平積みにされた文庫本、仕事用と思わしき書類の山、ベッドの上に散乱する服と使いかけの化粧品、高品質で有名な柑橘系の香水瓶――香水は変えたのか、いい傾向だ。
「ゔぅぅぅ、あ゙あ゙ぁぁぁあ゙ぁあ゙ぁ」
さて、肝心のお姫様はご機嫌斜め、というか垂直落下のご様子。髪はぼさぼさ、真っ赤に充血した目はずいぶんと腫れぼったい。いつだったか俺がプレゼントしたフワモコのパジャマは、大量の涙と鼻水を拭ったせいで袖がデロデロになりつつある。……以前よりサイズがきつそうな印象を受けるのは、きっと気のせいだろう。
「ずずぅぅ……んんんぅぅ。……えぅぅっ、えぅぅゔぅぅ」
なんだか呼吸困難の一歩手前であらせられる姫君は、乱雑にティッシュを箱から引き抜くと、そのままありったけの力で鼻の通りを良くした。滅茶苦茶な状況の部屋でもゴミだけはしっかりと捨てられていたようだが、この様子だとゴミ箱がいっぱいになるのも時間の問題だろう。
(ん?)
しかしどういうわけか、茜は鼻をかむ間も旧型の携帯ゲーム機を左手で握りしめていたことに気付いた。すぅ、と彼女に近づき、そのまま液晶を覗き込む。
(……ロードできないのか)
泣き虫姫君が始めようとしていたのは十年と少しほど前に流行ったアクションゲームだった。国境を破って攻めてきた魔王軍を撃退する、というシンプルな構造ながら協力プレイの楽しさがウリで、当時大学生だった俺も友人と一緒にハマった人間の一人だ。
だが、ゲームが苦手な茜は周りに流されて始めてみたものの、中盤の難所をどうしても突破できず、そこを手助けしたのが同じゼミにいた俺だった、というのが俺たちが付き合いだしたきっかけ。そんなことを、今やおぼろげとなりつつある記憶を少しずつ手繰り寄せながら思い出す。
茜は甘え上手だが、同時に意地っ張りの負けず嫌いでもあった。いつか自分が一人で難所をクリアするために、俺が手伝って無事先へ進めたデータとは別のステージ前のセーブデータを保存していた。うっすらと目に涙を浮かべながら、歯を食いしばって「ぐやじいがら」なんて言っていたのを大笑いした記憶がある。
「うぇぇぇぇえぇぇぇ」
タイトル画面にはたどり着ける様子なのだが、ハードの記憶領域に物理的な破損でもあるのか、過去のデータを読み込もうとするとエラーメッセージが表示される。茜は無意識のうちにだろうか、左手で何度も『ロード』と『エラー』の画面をボタン連打して映し出しては、一瞬で消すということを繰り返していた。
「ぐぅぅぅ、あ゙ぁぁうぁぁぁ」
モノクロになりつつある過去の記憶を振り返っても、このゲームについて何かしらの特別な約束をした覚えはない。ただ何度かデート代わりに一緒にダラダラと遊んだだけで、特訓めいたことも何もしていない。コツコツ努力を続けるタイプの茜ならば、反射神経が悪くてもいずれ一人で全ステージクリアできるとさえ思っていた。
「ゔぅぅぅ……ぐずっっ」
掃除でもしていたのだろうか。古びた携帯機を久々に見つけてしまい、過去の止まった時計の針をうっかり進めてしまって、そしてそれは俺を久々に呼び出すことになったようだ。最近は呼び出される間隔が空いていたから喜ぶべきなのだが、同時に自分自身が少しずつ消えていくのを感じる寂しさもあった。
「ケンくぅん……ケンぐぅうん」
ああ、そういえば俺はそんな風に呼ばれていた。何度も聞いたはずの、懐かしい、暖かい声色によって、凍り付いていた記憶が少しずつ色彩を取り戻していく。
「会いだいよぅ、ざみじぃよぅ」
泣き虫が泣き声で泣き言を漏らす。そんな恋人の髪を撫でて慰めようとした右手は、やはり、そのまま触れることなく彼女の頭を透き通って、今の自分がこの世界に実在していないことを明確にした。
「なんで死んじゃっだのよぅ……」
……俺もわかんないよ。
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