◆ コックリさん・紫の教室 ◆

能仲 賢円

第1話


ビルとビルとの隙間に、血のような赤い太陽がゆっくりと沈んでいく。


世界が一面、夕暮れという朱に染まる。


昼と夜との狭間に存在する、物憂げで寂寥感の漂うゆるやかな時間帯だ。


空気さえもが、なにか生温い。


幻想というものがもし存在するならば、このような時に見るものなのだろうか。



私立帝仙女子学園。


中高一貫教育の私立女子校で、創立は戦前にまで遡る。


一昔前までは、良家の息女のみが通うことが許された、厳格な規律で知られる進学校だ。


都内とは思えない広大な敷地には、中等部と高等部の校舎。部活動のための別棟、講堂に体育館などが建ち並ぶ。


その周囲を、まるで学園を外界から遮断するかのように高い針葉樹が取り囲んでいた。


高等部校舎の白壁も、沈む夕陽に橙色に染めあげられている。


運動部の練習をしている生徒たちが、校庭に長い影を落していた。



とある教室。



放課後の教室は、昼間と違って静寂に満たされている。


窓から射し込む夕陽が、教室を気怠げな…それでいて一種異様な空間に色づけていた。


教室の真ん中にある机を取り囲むように、三人の女生徒が座っていた。


机の上には、一枚の紙が置かれている。


コピー用紙大のその紙は横にされ、一番上に鳥居のマークが、その左右には「はい」と「いいえ」の文字が書かれていた。


その下には1から9、0までの数字。


そしてさらにその下には、五十音のひらがなが均等に並んでいた。



コックリさん。



日本では1970年代に、主に若年層を中心に流行した占い遊びの一種である。



その起源は古く、19世紀の西洋では「テーブル・ターニング」と呼ばれた降霊術であった。


降霊術とは読んで時のごとく、霊媒師を介して様々な霊を降ろす儀式である。


初期のテーブル・ターニングは霊媒師と数人の参加者がテーブルを囲み、呼び出された霊によりテーブルが揺れたり動いたりするという、あまり占いとは呼べないものであった。


その後、19世紀末頃に外国船員を通して本邦に伝わったテーブル・ターニングは、日本古来の土着信仰や言い伝えなどと複雑に混合し、占い板の「ウィジャボード」などに影響を受けて今のような形になったと言われている。



紙の上、真ん中の辺りに一枚だけ十円玉が置かれ、三人の女生徒がそこに人さし指を乗せている。


夕焼けに照らされ、陰影のついた女生徒たちの顔ははっきりしない。


紙の正面に座っていた女生徒が、おもむろに口を開いた。



「コックリさん。コックリさん。おいでください」



他の二人の女生徒が、ちらりと目を合わせた。


特に、なにか異変が起こった様子は無い。


なんとも言えない、沈黙が流れる。


正面の女生徒が、ふたたび口を開いた。



「コックリさん。コックリさん。おいでください」



このまま、何も起こらないのではないか。

そんな考えが、ぼんやりと皆の頭に浮かんだ。


その時。


ズズッと、十円玉が滑るように動いた。


他の二人の女生徒が、小さな悲鳴をあげた。


思わず、指をひっこめそうになる。



「指を離さないで!」



正面の女生徒が、声を張り上げた。


その間にも十円玉は紙の表面を滑り、描かれた鳥居の上でぴたりと止まった。


正面の女生徒が、弾んだ声で言った。



「きた…!」



二人の女生徒は、怯えたように指先を凝視する。



「…うそ」


「ほんとに?」



三人が、思わず顔を見合わせた。



「コックリさん。コックリさん。おいでいただきまして、ありがとうございます」



正面の女生徒が、やや興奮にうわずった声でそう言った。


二人の女生徒も、息をのんで十円玉を見つめている。



「コックリさん。コックリさん。お答えください。私は、第一志望の大学に…」



 ズズッ



質問が終わらぬうちに、十円玉が動き始めた。



「えっ…?」


「ちょっと、なんで…」



三人が指を置いた十円玉は、ゆっくりと紙の上を移動していく。


それは、ひらがな五十音のある場所で少し止まると、また動き出す。


文字を、なぞっているのだ。



 と


 も


 だ


 ち



その四箇所を示すと、十円玉はふたたび鳥居にまで戻った。



「ともだち…?」


「ねえ、なんなのこれ」


「どういうこと?」



理由がわからず、女生徒たちが戸惑った声を上げる。


すると、また十円玉が動きだした。


そして先ほどと同じ動きを、紙の上でゆっくりと繰り返す。



 と


 も


 だ


 ち



「ちょと…なんなの、これ」


「もうやだ…変だよ」


「帰そう」



取り乱し始めた二人の女生徒に頷くと、正面の女生徒が強い口調で言った。


心なしか、声が震えている。



「コックリさん。コックリさん。どうかお帰りください…」



しかし、三人の期待に反して十円玉はぴくりとも動かない。


正面に座っていた女生徒が、椅子から腰を浮かせた。


声を張り上げる。



「コックリさん。コックリさん。どうかお帰り…」



 ズッ



十円玉が動いた。


はっとして、三人がそれを目で追う。


それは、三たび五十音のひらがなをなぞった。



 つ


 れ


 て


 い


 く



「連れて…いく?」


「やだ…もういや!」



一人の女生徒が十円玉から指を離し、コックリさんの紙を机から払い落とした。


十円玉が、高い金属音を立てて床に転がる。


紙が、ひらひらと舞い落ちた。



「ちょっと、なにやってんのよ!」



正面の女生徒が、咎めるようにその女生徒の肩を掴む。



「わたし…わたし知らない!もう帰る!」


「ちょ…待ちなさいよ!」



半狂乱の女生徒は、なんとか押し留めようとした二人の女生徒を振り払い、鞄を抱えて教室から走り出る。


正面に座っていた女生徒ともう一人の女生徒が、その女生徒が出ていった教室の扉を呆然と見つめた。


すでに日は沈み、辺りには紫色の帳が下りようとしていた。





都内、御徒町にある三階建ての古いビル。


築年数は、二十年は経過しているだろうか。

見たところ、平凡なテナントビルといった佇まいである。


一階と三階は普通のガラス窓がはめられたタイル柄の壁だが、二階だけは全面が大きなガラス張りになっていた。


時計の針は、もう21時になろうとしている


二階のガラス壁はカーテンで閉め切られていたが、こうこうと灯った照明の光が隙間から洩れていた。


この賃貸ビルを丸ごと借り上げているのが、芸能事務所『ORANGE P』である。


設立からまだ四年と数ヶ月。


当初はモデル事務所だったが、現在は地下アイドル三組のプロデュースとマネジメントを主に行っている、小規模な新興芸能事務所だ。


その地下アイドル三組のなかに、きいなが所属する四人組ユニット『LOLLIPOP SEESAW』がいた。


ビルの二階には、壁の一面に鏡が張られたかなり広い部屋があった。


いわゆる、ダンスなどのレッスン室として使われている部屋だ。


ガラス張りの壁は、黒いカーテンで塞がれていた。

それに正対する廊下側の壁には、出入り口の扉とロッカー。音響や映像機材などが並んでいる。


室内には、五人の人間がいた。


きいな、まりあ、るな、いずみというLOLLIPOP SEESAWのメンバー四人と、マネジャーの田所由利子の合わせて五人だ。


きいなたち四人はラフなレッスン着で、音楽に合わせて体を動かしていた。


ダンスの練習だろう。



 パンッ!パンッ!



音響機材の横に立っていた田所が、両手を打ち鳴らす。


流れていた音楽を、切った。


LOLLIPOP SEESAWの四人が、動きを止める。



「きいな、そこタイミングずれてる!るなもテンポはやい!」



田所の叱責がとんだ。


三十代半ばだと聞いている田所だが、趣味の悪い眼鏡とキツい顔つき、地味なスーツのせいでやや年かさに見える。


るなが縮こまり、いずみとまりあが顔を見合わせた。


ふてくされたように、きいながその場に座りこむ。



「あのさぁ…振り入れ半日って、キツいから」



きいなはそう言って、うっすらと汗が浮かんだ顔を天井に向ける。


他の三人も、疲れた表情でうなだれた。



「明日のイベントに空きが出たから、ウチのグループを二組ねじ込んだの。ネット配信ライブとは言え、顔を売るチャンスなんだから」



田所は傍らのホワイトボードを軽く叩きながら、いらいらした口調で言った。


どうやら、かなりせわしない性格のようだ。


それに、若い頃はそれなりに名の売れたダンサーだったらしい。

そんな田所の目から見れば、きいなたちはまだまだ物足りなく映るのだろう。



 プルルルルッ



その時、携帯電話の着信音が鳴った。


しん、となったレッスン室にその音がやたら大きく響く。


田所の眉が、一際吊り上がった。



「だれ?」


「あ、たぶんウチだわ」



バツが悪そうに、きいなが立ち上がった。



 バンッ!



田所が、ホワイトボードを平手で叩いた。



「レッスン中は、スマホの電源切る!」


「ごめん!ごめんて!」



きいなが、ロッカーのバッグに走り寄った。


スマホを取り出すと、着信を見る。



 阪崎…?



五浦中央署、生活安全課の阪崎だった。


倉科ではなく、阪崎からの連絡は初めてだ。



「バイトの電話だから、ちょっと」


「きいな!ちょっ…!」



田所が制止する間を与えず、きいなはレッスン室から走り出た。


そのまま、ビルの非常口に小走りで向かう。


鍵を外すと、非常階段の踊り場に出た。


きいなは手すりにもたれて、鳴り続けているスマホをタップする。



「もしもし?」


「あ、どうも。阪崎です」


「あ、どうもじゃねぇわ。タイミング悪すぎ」



きいなはそう言いながら、ポケットからマルボロを取り出すと簡易ライターで火を点けた。


ふう、と一息、うまそうに煙を吐き出す。


踊り場の隅に置かれた防火用水のバケツに、灰を捨てた。



「タイミング…ですか?すいません」



わけもわからず、阪崎が謝る。


低姿勢の割に、どこか呑気であまり反省している風には聞こえない。


とりあえずさっさと電話を終わらせたくて、きいなは尋ねた。



「で、なに?」


「この前の、配信者を覚えてますか?」


「あぁ…なんだっけ。デ…」


「デデンさん」



二週間ほど前のバイトの際、行きがかりできいなが命を救った男だ。


確か、退院したんだったか。



「本名は出田さんて言うんですが、どうしてもきいなさんに会ってお礼がしたいとしょっちゅう署に連絡してきて、困ってるんですよ」



出田(いずた)…出田(ででん)…デデンか。なるほどね。


そんなことをぼんやり考えながら、きいなは頭をかいた。



「めんどくせぇな、誰が会うか。そっちでなんとかなんだろ?警察だろ?」


「それがですね…こちらも表立った仕事じゃないんで、あまり強くは言えなくて」


「どうしろっての?」


「お礼を言えば納得するらしいんで、なんとか都合つきませんか?」



…つづく。



※ この小説は筆者の創作であり、特定の団体、事件、個人とは一切関係ありません ※


※ 本作品の無断転載は、かたくお断りいたします ※

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