#2「執事たるもの -5W1H-」


 執事たるもの、優秀であれ。


 それはきっと、中世欧州に夢を見過ぎた日本人による、最早ファンタジーと化した理想像なのだろう。


 だが、何もかもを完璧にこなし、けれど決して前に出ず、常に主を引き立てる──そんな姿に格好良さを見出し、憧れた者は少なくないはずだ。


 少なくともここに一人。少年時代の黒歴史めいた夢物語を、いい歳になってから運命の悪戯で叶えてしまった存在がいる。


「家令、今、五分ほどお時間をいただけますか」


 言葉遣いは最初にやらかしてしまった。今さら子供らしく振る舞うほうが不自然という判断である。


 確か中世ヨーロッパでは、子供という概念は曖昧で、「小さな大人」として扱われていたはずだ。


「……。」


 一拍置かれた沈黙と溜息。だがそれは親としての躾ではなく、子から求められた対話に応じるための間──執事長、ボナパルト伯爵である父上にとって、今の俺は眉を顰めたくなる相手だったかもしれない。


 これは子の願いというより、部下の申し出として捉えているのかもしれなかった。


「三分だ。手短に話せ」


 その応えに、少しだけ驚いた。父は、俺を一人の仕事人として見ている。それが嬉しくて、胸の奥が熱くなる。


 思考を整理し、一呼吸置いて言葉を紡ぐ。


「結論から申し上げます。私に執事としての権限を頂きたく、お願い申し上げます」


 まずは何より伝えたいことを端的に述べる。ただの子供の我儘なら、父上はこの時点で一蹴していただろう。


「……と、言うと?」


 けれど、促されるように向けられた視線は“続けてみよ”と言わんばかりのもので、俺は構成を整えて続けた。


「期限は二年後、お嬢様が七歳の誕生日を迎えて学舎に通うまでと定めます。それまでに私の働きを評価いただき、側付きに相応しいかをご判断願いたく存じます」


 提案の基本、5W1H。


 What何を──ルテティアお嬢様専属執事への任命。

 Whereどこで──このマルセイユ公爵家の邸内にて。

 Who誰が──もちろん、俺自身のこと。

 Whenいつまでに──二年後の入学まで。

 Howどのように──働きぶりをもって証明する。


 Why────


「ふむ……では、あえて聞こう。なぜだ?」


 父上自ら“Why”を問うてくれたということは、少なくともこの会話は切り捨てられていない。


「成人も迎えておらぬ伯爵家の倅が、公爵家の愛娘にこれほどまで肩入れする理由は、尋常ではあるまい?」


 ──逡巡する。


 悪役令嬢としての破滅フラグを未然に防ぐため、などと言っても正気を疑われて終わりだ。


 ならば、もっともらしい理由を探すべきか?


 家の繁栄のため、公爵家の安寧のため──いや、違う。


「一重に、お嬢様の幸せのためでございます」


 これに尽きる。


 ルテティアお嬢様は、順当に行けば同年齢の王子の婚約者としての道を歩むだろう。


 だが問題は、どの道を選ぶかではなく──その先で彼女がどうあるかだ。


「お嬢様が、笑顔で毎日を過ごせること。その望みを叶えることこそ、側仕えの使命と心得ております──その花咲く色が、青薔薇であれ白薔薇であれ」


 だが、うっかり王家青薔薇を暗に牽制するような発言になってはいなかったか。そこは少し不用意だったかもしれない。


「……すまないね。途中、暖炉の火の音でが」


 聞き流してくれたのか、それとも気遣いなのか。婉曲な指摘に首を垂れる。


「お前の主張、しかと受け取った。能力さえ証明できれば、ティアお嬢様と同い年であるお前にも、執事としての地位を考慮しよう」


 ──ただし、と言外に続けるように、父上は言葉を継いだ。


「ただ、その年齢にしては思慮深すぎる……まさか、悪魔と契約したわけではあるまいな?」

 


 ──さて、どう応えるべきか。


 この世界では、神聖な魔法もあれば、命を対価にする禁術も存在する。父上は、俺が何らかの“外なる存在”と接触したのではないかと疑っているのだ。


「いいえ、そのようなことはございません」


 それは確かに否定できる。だが──異世界転生が“正気の沙汰”であるとも言い切れない。


「ただ……“妖精”のようなものとお考えいただければ、と思います」


 人に似て非なる、時に導き手であり、時に悪戯好きな存在。俺がこの世にいる理由を強いて形容するなら、それが最も無難な着地点だ。


「なるほど。妖精、あるいは天使の類か」


 “天使”──人々に福音を届ける存在だというが、さすがにこそばゆい。だが、父は冗談めかして言っているわけではなさそうだ。


「では──命じよう」


 父上の声音が変わる。


「ルテティアお嬢様、マルセイユ公爵家の使用人たち、そして我がボナパルト家──それぞれに“利益”をもたらせ。その暁には、お前に執事としての権限を与え、ルテティアお嬢様の側付きとして任命しよう」


 ──難易度は高い。けれど、それでも望んだ通りの条件だ。


 中世欧州での教育制度は、七歳から十五歳が初等教育、十五歳から十八歳が高等教育だ。お嬢様が学舎に通うその日までに執事として認められれば、本編──十五歳からの物語に、彼女の傍で立ち会える。


「一点、伝えておく。我が国の初等部開始は“六歳”からだ。残された時間は、一年しかないぞ」


 ……あれぇ!?


 この国、現代フランス式教育制度なの……!?


「ふっ、天使様にもわからぬことがあるのだな」


 部屋を後にする俺の背中に向けられた父の言葉は、得体の知れぬ存在への警戒ではなかった。


 それは、息子の成長を喜びながらも、まだ背伸びが過ぎることを静かに諫める──温かな眼差しだった。

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