第一の矢:お嬢様について

#3「雛鳥の祭典と小さなポモドーロ -Plan-」


 さて、まずはタスクの棚卸から始めよう。


 俺が果たすべき成果は、大きく三つに分けられる。


 ・ルテティアお嬢様への支援を成功させること

 ・マルセイユ公爵家の従業員たちに良き影響を与えること

 ・ボナパルト伯爵家に対しての成果を出すこと


 といったところか。


「まずはティア様の件からだな」


 領地経営のような大規模な任務を任されるには、まず実績を積み重ね、信頼を勝ち取る必要がある。


 従業員を指揮・管理するのは、執事としての主要な務めだ。今後を見据えるなら、確かに課題として相応しい。だが、優先順位を誤ってはいけない。


 この家に仕える執事として──いや、ルテティアお嬢様の側仕えとして隣に立ちたいと願う俺だからこそ、まず彼女の問題に真っ先に取り組むべきなのだ。


 ──だからこそ、なのだろうか?


 異世界転生! 現代知識! チート技術で巨大プロジェクトを成功させる俺TUEEE!──そんな“映える”シナリオを選ばず、俺はあくまで「執事」としての在り方を優先する。


 正しい選択ができるかどうか──それも、父上が見定めようとしているのかもしれない。


「お嬢様、失礼いたします」


 軽くノックしてから、俺は書庫の扉を開いた。


 ルテティアお嬢様──ティア様は、王立極光魔法学園、通称『オーロラ学園』への入学を前に、家庭教師を招いて先取り学習に励んでいた。


 偉いな。俺の前世の五歳なんて、ただヤンチャして親を困らせた記憶しかないというのに。


「アル!」


 俺の姿を見つけると、お嬢様は花が咲くような笑顔を見せてくれた。


 ──百点満点。まさに天使。可愛いにもほどがある。


 ……と、そんな愚かな感想は脇に置こう。どうやら、ティア様がこの笑顔を見せたのには別の理由がありそうだ。


「あら、アルセーヌ君」


 講師として招かれている女性が、どこか困ったような表情で静かに声をかけてくる。険悪な雰囲気はないが、少し戸惑いを含んでいるように見えた。


 何かトラブルがあったのだろうか?


「お嬢様、いかがなされましたか?」


 “どしたん、話聞こうか?”という気持ちを、品位ある言葉に乗せて尋ねる。ティア様は「あのね」と小さく前置きしてから、慎重に言葉を探すように話し始めた。


「えっとね、先生のお話はとても大切なことばかりなの。王族や国の歴史、お父様のお仕事、お母様のマナー……どれも、わたしが学ばなくちゃいけないことなのよ」


 でもね、とティア様は続ける。


「全部一度に覚えようとすると、頭がいっぱいいっぱいになっちゃって……あ、でも先生が悪いってわけじゃなくて!」


 まるで手元のろくろを回しながら話す営業マンのように、言葉を選びながら丁寧に説明しようとするお嬢様の姿に、俺は思わず笑いそうになる。


 ──これのどこが傲慢で傍若無人な“悪役令嬢”だって? ゲームに出てきたキャラと、現実の彼女との間に、深い隔たりを感じずにはいられない。


「なるほど、そういうことだったのですね」


 咳払いで笑いを誤魔化しつつ、俺はお嬢様の抱える問題の解決法を思案する。


「ところでお嬢様、勉強の合間に休憩は取られていますか?」


「え? うーん……特には」


 やはり。集中力が続かない原因は明らかだ。


 さらに話を聞けば、この優秀な講師の女性が、初等部の学習内容をすべて一人で教えているらしく、昼食や夕食の時間まで、ほぼノンストップで講義を行っているとのこと。


 講師が優秀だからこそ成立するカリキュラムだが──五歳の少女には明らかに酷な話だ。


 違う科目に変えれば気分転換になるという理屈も、同じ分野で仕事をしている人間からすればピンとこないかもしれない。たとえば、イラストの息抜きに別のイラストを描く絵師や、ゲーム実況の合間に歌ってみたを投稿する配信者のように。


 はたから見れば意味不明だろうが、それが集中を維持する手段になる場合もあるのだ。


「それでしたら、定期的にリフレッシュできる仕組みを取り入れてみましょう」


 ここで紹介するのが──ポモドーロ・テクニックである。


 二十五分間集中し、五分間の休憩を挟む。このサイクルを繰り返すことで、長時間の学習でも高い集中力を維持することができるという手法だ。


 名前の由来は、発案者が使っていたトマト型のキッチンタイマー(イタリア語で“ポモドーロ”)にちなんでいる──別に、トマトでなければならないわけではないが。


「一定時間が経つと鈴を鳴らす魔道具を作ってみます。その音を合図に一度手を止めて、軽く呼吸を整えてください。そして、次の鈴が鳴るまで再び集中する──というサイクルで学習を進めてみてはいかがでしょうか」


「ポモ……? アル、それって魔法の一種なの?」


 ティア様が小首をかしげる。その仕草は春風に揺れる一輪の花のように可憐で、俺の心を一瞬で撃ち抜いてくる。


 ──いやいや、今は真面目な話だ。気を引き締めろ俺。


「いえ、魔法ではございません。物事に集中するための、時間を管理する技術のひとつでございます」


 そのやりとりに、傍らの講師が興味を持ったようで、静かに視線を向けてくる。


「簡単に申しますと、一定時間集中し、短い休憩を取ることで、高い集中力を維持できる仕組みです。たとえばお嬢様の場合──」


 俺は一本指を立て、説明を続ける。


「二十五分間、学習に集中していただきます。その後、五分の小休憩。このサイクルを繰り返すことで、効率的な学習が可能になります」

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