質問

 汗ですっかり重くなったシャツを洗濯機に放り込み、頭の天辺から冷水のシャワーに打たれる。

 少年時代の夏休みにも、今のように水のシャワーを浴びたものだった。

 そのあとはキンキンに冷えた麦茶を飲みながら居間でテレビを観て、夕ご飯の前にほんの少しだけ宿題をやって。

 日が暮れると父に連れられ地区の寄り合いに行き、同じように親と来ていた同年代の子らと夜の冒険に出掛ける。

 風化で文字が読めなくなった墓石が並ぶ墓地で行われた肝試しは、過剰ともいえるほどにスリリングだった。


 ろくに体も拭かず下着だけを身に着けると、南の庭に面した広縁に腰を下ろして先ほどの出来事を思い返す。

 あの少女が水守唯の幽霊だったと考えるほど、私は信仰深くもなければロマンチストでもなかった。

 おそらくは彼女の妹か従妹いとこあたりなのだろう。

 いずれにせよ、その容姿があまりにも故人に酷似していたせいで、あの瞬間は頭から冷水を浴びせられたような思いであった。

 いま洗濯機の中で右に左にと翻弄され続けているであろうシャツに染み込んだ汗は、必ずしも暑さによるものだけではなかったはずだ。

 高畑にでも聞けばその正体も判然とするかもしれないが、それを知ったところで何があるわけでもない。

 なによりそんなことをしてしまえば、それこそさっきの中年女性たちと同類になってしまう。


 当初はこのあと墓参りに行くつもりでいた。

 時間や体力には十分な余裕があったが、精神と相談した結果、明日の朝に予定を延期する。

 そうと決まれば晩飯の調達に専念するとしよう。

 冷蔵庫の中を覗けば何かしらの食材はあるかもしれないが、自炊をするような殊勝な気持ちはこれっぽっちも起きなかった。

 そもそも私は包丁を握ることができない人間なのだ。

 とりあえず洗濯物を干してから一眠りして、そのあとのことは未来の自分に委ねよう。

 急遽組み立てた可能な限り自分に甘いプランを実行すべく、真夏の日差しによってすっかり乾いた髪を手ぐしで整えながら、軽快とは言い難い足取りで洗濯機のある脱衣所へと向かった。

 


『rrrrrrrrrr』

 電話によって起こされるのは昨日の朝以来のことになる。

 それがゆえに、出る前からあまり良い相手と内容ではない予感があった。

 時刻は十八時を少し回っており、どうやら三時間も寝て過ごしてしまったようだ。

 家の北側にあるこの居間には、苛烈ともいえる夏の西日はほとんど届いておらず、日暮れを前にしてすでに薄暗い。

 まだ開ききらないまぶたの隙間からスマホの画面に目を落とす。

 そこには半ば予想していた通り、今日の昼過ぎには荼毘だびに付され、いま頃は自宅に帰っているであろう元同級生の名前があった。

 油の切れかけたロボットのようなぎこちない動きでスマホを耳に当て、側面にある受話ボタンをゆっくり押下する。

「はい、中原です」

『もしもし』

 その声は記憶の片隅にわずかに留めていた同級生のそれにあまりに似通っていた

 心臓が大きく跳ね上がり、危うくもう少しで口から飛び出してしまうところだった。

「……失礼ですが、水守さんのご家族の方でしょうか?」

 なにもクイズを出題されているわけではないのだ。

 電話口の相手が自ら名乗るのを待てばいいだけだったはずなのに、私は何を焦っているのだろう?

『水守マチカといいます。おねえちゃんの、水守唯の妹です』

 半ば予想していた相手であったことを知り胸を撫で下ろす。

 スマホを右手から左手に持ち替えると、いつの間にか手のひらに薄っすらと汗をかいていたことに気がつく。

『急に電話してすいません』

「いえ。この度は本当に突然のことで言葉もありません」

 十代と思しき相手に対し、テンプレートそのものといったお悔やみを述べるのは、我ながらどうかとも思った。

 だが、それ以外に掛けるような言葉が思いつかなかった以上仕方がない。

『あの。中原さんにお尋ねしたしことがあって』

「はい? 私にわかることであれば」

『正直に答えてください』

「はい?」

『おねえちゃんの恋人って、あなたのことですか?』

 マチカと名乗ったその少女が口にした質問の意味を、私はまったく理解することができなかった。

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