質問

 汗ですっかりと重くなったシャツを洗濯機に放り込み、頭から冷水のシャワーに打たれる。

 清涼な井戸水により、徐々に頭の芯に籠もった熱が取り払われてゆく。

 子供の頃の夏休みも、虫取りなどをして帰ってくると水のシャワーを浴びていたことを思い出す。

 そのあとは母が用意してくれた麦茶を飲みながらテレビを観て、夕ご飯の前に少しだけ宿題をやって。

 夜になると父に連れられ地区の寄り合いに行き、同じように親と来ていた同年代の子らと真っ暗な墓地で肝試しをした。

 風化で文字が読めなくなった墓石がいくつもあるような墓地でやるそれはといえば、過剰ともいえるほどにスリリングだったことを覚えている。


 ろくに体も拭かずに下着だけを身に着け、南の庭に面した広縁に腰を下ろすと、先ほどの我が身に起きた出来事を思い返した。

 あの少女が水守さんの幽霊などと考えるほどには、私は信仰深くもなければオカルト好きでもない。

 普通に考えれば、彼女の妹か従姉妹いとこなのだろう。

 が、いずれにせよ、その容姿はあまりに故人に瓜二つだった。

 そのせいで出棺の最中にうっかり「あっ!」と大きな声を漏らしてしまい、弔問客からの要らぬ注目を集めるはめになってしまった。

 いま洗濯機の中で右に左にと翻弄され続けているであろうシャツに染み込んだ汗は、必ずしも暑さによるものだけではなかったはずだ。

 高畑に聞けばその正体も判明するかもしれないが、それを知ったところで何があるわけでもないし、なによりそんなことをしてしまえば、それこそさっきの中年女性たちと同類になってしまう。


 当初はこのあと墓参りをすることになっていた。

 時間や体力には十分な余力があったが、精神力と相談した結果あすの朝に予定をスライドさせることに決めた。

 かといって、このままただゴロゴロとしているわけにもいかない理由があった。

 なぜなら晩飯の調達を自分でする必要があるからだ。

 冷蔵庫の中を覗けば何かしらの食材はあるかもしれないが、自炊をするような殊勝な気持ちはこれっぽっちもなかった。

 そもそも私は包丁を握ることができない人間なのだ。

 とりあえず洗濯物を干してから一休みして、そのあとのことはそれから考えよう。

 急遽組み立てた可能な限り自分に甘いプランを実行すべく、真夏の日差しによってすっかり乾いた髪を手ぐしで整えながら、軽快とは言い難い足取りで洗濯機のある脱衣所へと向かう。

 洗濯物を屋外に干すという経験は生まれて初めてのことかもしれない。

 実家に居た頃は衣食住のすべてを父と母に委ねていたし、都会で一人暮らしをするようになってからはもっぱら室内干しだった。


 買い出しに行くにしても、もう少し涼しくなってからのほうがいいのではないだろうか?

 そんな内なる自身の意見に耳を傾けた私は早速それを採用すると、洗濯物を干し終えたのと同時に居間から拉致してきた座布団を枕にして広縁に寝転がった。

 このまま自然に目を覚ますまで寝たら、洗濯物を取り込んでから町にでよう。

 それはあまりに完璧な計画だった。



『rrrrrrrrrr』

「……ん」

 電話によって起こされるのは昨日の朝以来だった。

 それがゆえに、出る前からあまり良い相手と内容ではないだろうという予感があった。

 時刻は十七時を少し回っており、どうやら三時間も寝て過ごしてしまったようだ。

 家の北側にあるこの居間には、苛烈ともいえる夏の西日はほとんど届いておらず、日暮れ前にしてすでに随分と薄暗い。

 まだ完全には開ききらないまぶたの隙間から画面に目を向ける。

 そこには半ば予想していた通りに、今日の昼過ぎには荼毘に付され、今頃は無言のままに自宅に帰っているであろう同級生、水守唯の名前があった。


 広縁の板に手をつき起き上がり、佇まいを直してから普段はビジネスで使用している声色で電話に出る。

「……はい、中原です」

『あの』

 受話口から聞こえてきた女性の声に心臓が跳ね上がる。

 なぜならその声が、記憶の片隅にではあったがわずかに留めていた同級生の少女のそれにあまりに似通っていたからだ。

「あの。もしかして、水守さんの妹さんでしょうか?」

 私は何を焦っているのだろう。

 クイズを出題されているわけではないのだから、電話口の相手が自己紹介をしてくれるのを待てばいいだけだったはずなのに。

『あ、はい。あの、水守マチカっていいます』

 案の定ではあったものの、なぜか胸を撫で下ろしている自分がいた。


 スマホを右手から左手に持ち替えると、いつの間にか手のひらに薄っすらと汗をかいていたことに気がつく。

『あの。急に電話してすみません。中原かなた……さん、ですか?』

「はい。お姉さんの高校の同級生だった中原です。この度は突然のことで。本当にご愁傷さまでした」

 十代と思しき相手に対し、テンプレートそのものといったお悔やみを述べるのはどうかとも思った。

 だが、それ以外に掛けるような言葉が思いつかなかった以上仕方がない。

『はい、ありがとうございます。それであの。中原さんにお尋ねしたしことがあって』

「はい? 私にわかることであれば――」

『あの。おねえちゃんの恋人って……あなたですか?』

  間髪をいれず飛んできたその質問の意味を、私はまったく理解することができなかった。

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