サードキル2
しまくらを出て三十分くらい走ると、車の窓から見える景色が見覚えのあるやつに変わった。
晴れの日も雨の日も曇りの日も関係なく、毎日毎日暗い気持ちで見ていた景色だ。
小さな公園が流れ去って消えた。小学生の頃、家に帰りたくなくて、あいつが寝るだろう時間までひとりで過ごした公園だ。
何をするわけでもなくただ夜空を見てた。思い出すと胸が張り裂けそうになる。あの頃の私をよく頑張ったねって抱きしめてあげたい。
「もうすぐ目的地なんだけど……」
おじさんがナビを横目でちらっと見ながら言った。
「ここらへんで停めて。目的地の前までは車じゃいけないからさ」
西川口駅から歩いて十五分くらい行った、マンションや一軒家が密集する住宅街。車と車がやっとすれ違えるくらいの狭い道路で、おじさんは慎重に車を道路の端に寄せて停めた。さらにここからもっと狭い横道に入ると私の生まれ育った家がある。
「大丈夫?出れる?」
ずっとよそよそしかったおじさんが見せた、気づかいと優しさに少しキュンとしてしまう。それなりに長い時間を過ごした事で少し気を許している自分がいた。だけどそんなことじゃ駄目だなってすぐに気づいた。隙を見せちゃいけない。
「お兄さん。お兄さんのスマホ貸して」
私はおじさんに向かって手を差し出す。
えっ?なんで?っていう顔しておじさんは私を黙って見ている。
「だってお兄さん私が車から降りたらすぐにスマホで警察に電話するでしょ」
すぐに通報されて、目的を達成する前に警察が来ちゃうのだけは避けたい。スマホがなければたとえおじさんが逃げて、何かの方法で警察に通報するとしてもそれなりに時間がかかる。目的を達成する時間を稼ぐためにもおじさんのスマホは私が持ってなくちゃいけない。
「嫌だって言ったらどうする?」
おじさんが反抗的な口調でそう言った。
残念だけど主導権を握ってるのは私だよ?その事を分からせなくちゃいけない。私はバッグからぬいぐるみを取り出した。
「お兄さん。このくまちゃんと目合わせて」
おじさんがぬいぐるみを見る。おじさんは固まって、目を見開いて、口を大きくあけて苦しそうだ。
三十秒くらい経ってから、私はぬいぐるみの目を指で隠した。おじさんは元に戻った。でも疲れたのか肩で息をしてる。
「こういう風にして、相手が意識を失った隙に私はナイフで刺してふたり殺したの。言うこと聞かないとお兄さんも殺すよ?」
私の説明を聞いて、おじさんは観念したのかスマホを私に手渡した。私はそれをバッグの中に入れた。
「じゃあ、お兄さん行ってくるね。出来ればここで待ってて。まぁ逃げてもいいけど」
逃げたら自分でなんとかするしかない。
私は荷物を手に持ちドアを開けて外へ出た。そしてあの家に向かって歩き出す。太陽はいつのまにか沈みかけていた。
狭い狭い路地に入ってしばらく歩くと、二階建ての一軒家と一軒家に挟まれた、古くて汚い平屋がある。そこが私の生まれ育った家だ。外の壁は茶色く錆びついてる。ここだけいつからか時が止まっているような雰囲気だ。
昔はあんなに帰るのが嫌だったのに、今日は少しだけウキウキしてる。
玄関の鍵は開いていた。
厚底ブーツは履いたまま土足であがりこむ。
居間の方から、テレビの音が聞こえる。
居間に入ると薄暗い空間の中にあいつの姿があった。上下黒のジャージ姿で、床に仰向けになって寝ている。
居間は相変わらず散らかっていて汚い。ビールの空き缶と脱ぎ捨てられた服がそこら中に転がっている。無精髭で肌荒れしてるあいつの顔も汚い。見てると吐き気がした。
「パパ!パパ!」
自分からあいつに話し掛けた記憶はない。今日が初めてかもしれない。
あいつは目を開けた。そして上半身を少しだけ起こして、肘を床につける体勢で私を見た。
「ミズキか」
今にも死にそうな低い声であいつはそう呟くと完全に上半身を起こしてあぐらをかいた。
「ママはどこ?」そう私は聞いた。
「ママ?お前が出てった一週間後に同じように出てったぞ。なんだ一緒じゃないのか」
そう言うと、あいつはテーブルの上に置いてあった煙草に手を伸ばして一本口に咥えて火をつけた。指に煙草を挟んで口から離し、わざと私の方に向かうように煙を吐き出した。
「てっきり二人どっかで一緒に暮らしてると思ってたよ。たぶんママは新しい男でも出来たんじゃないのかな?お前がいなくなって心おきなく男の所にいけたんだろうな。娘より男。お前見捨てられたんだな」
あいつの見下したような喋り方は相変わらずだった。ママの事で私が傷つくとでも思っているのだろうか。
家出してからしばらくはママと連絡を取っていた。でも私が連絡を無視するようになってからしばらくすると何の連絡もこなくなった。どちらかといえば私がママを見捨てたんだ。とにかくそれまでの事は全て捨て去って歌舞伎町で新しい人生を送りたかった。
ママの事は少し心残りだった。まだあいつから殴られてたらどうしようかと思ってた。だから安心した。ママが私のことからもあいつのことからも開放されて今幸せならそれでいい。
ママには感謝している。私があいつから殴られてる時、ただ見てるだけだったけど、そのあと抱きしめてごめんねって言ってくれた。それが救いだった。今の私をママに見てもらいたい。私があいつを殺したらきっとママも喜んでくれる。
「で、お前今日はなんで帰ってきたんだよ」
そう言ってあいつは煙草をまた咥えた。
「パパを殺しにきたんだよ」
あいつは鼻で笑った。そして煙草の火を灰皿に押し付けて消すと「次は俺か」と呟いた。
「テレビのニュースで見たぞ。お前二人殺したんだろ?警察が行方を追ってる女ですってお前の顔が出てきたときは笑ったな」
そう言ってケラケラとあいつは笑った。気色悪い。
テレビは見てなかった。もしかしたら私が捕まるのも時間の問題ってやつなのかな?それなら早くこいつを殺さないと。
「やっぱり蛙の子は蛙だな。いや蛙の孫は蛙か」
訳の分からないことをあいつが言い出した。どういう事?そう私は聞いた。
「殺人犯の孫は殺人犯ってことだよ。ミズキ教えてやるよ。俺の親父。つまりお前のおじいちゃんはな、殺人犯なんだよ。それも三歳の小さいかわいいかわいい女の子を犯して殺した狂った殺人犯なんだよ」
だから何?そうとしか思えない。私は苛立ちで足が震えて来ているのが分かった。おじいちゃん?会ったこともない人の事を言われてもなんとも思わない。
あいつは仰々しく続ける。
「ミズキ、自分を傷つけた男たちを殺して魂が救われたか?浄化されたか?もしそう感じてるんだとしたらそれは勘違いだ。何人殺してもお前の魂が救われることはないんだよ。お前には殺人犯の血が流れてる。殺人犯の遺伝子でお前は出来てる。何人殺しても、俺を殺してもその事実からは逃げられないぞ。何人殺しても俺を殺しても、ずっとずっとお前の体の中に穢らわしい欲望にまみれて罪を犯した男が居座るんだ。もし救われたいなら、浄化されたいなら自分を殺すしかないんだよ。自分で自分に刃を向けて自分を殺すしかな。お前には殺人犯の血が流れてるんだよミズキ!」
私はバッグからナイフを取り出して手に持った。
私の中に殺人犯の血が流れてる?
私の中には私の中には───
「私の中には私の血しか流れてねーんだよ!」
私はそう叫びながら、あいつの顔にナイフを横切らせた。あいつの右頬にぱっくり赤い線が描かれて血飛沫が舞った。
「やっぱり血は争えないな!」
あいつは私の方を見て笑いながらそう言った。
「さっきから血、血ってうるせーんだよ!」
私はそう叫びながら厚底ブーツを履いた足の裏であいつの顔面を思い切り蹴り飛ばした。
あいつの上半身が後ろに倒れて仰向けになった。私はあいつを跨いで胸のあたりで馬乗りになった。何度もあいつにこうされてきた。今度は私の番だ。刃を下にしてナイフを握る。あいつのおでこにナイフの先端を押し付けた。
「私のおじいちゃんが殺人犯だからってなんなんだよ。それが私に何か関係あるのかよ。私は私だけの理由で人を殺してるんだよ。おじいちゃんの殺人とは何も関係ない。別物なんだよ。私は私の意思で、自分の意思で人を殺す選択をしたんだよ。選び取ったんだよ。私とおじいちゃんを一緒にするな!私は私なんだよ!」
そう言って私はナイフを振り上げると、あいつの首筋を目指して思い切り突き刺した。面白いように刃が沈み込んだ。
あいつは不思議なくらい無抵抗だった。私にされるがままだった。私は首筋からナイフを抜いて立ち上るとあいつから離れた。あいつはなんとか上半身を起こすと、血が溢れ出てる首筋の傷を手で押さえながら途切れ途切れに言った。
「お前持ってるんだろ。あの熊のぬいぐるみ。死ぬ前に会わせてくれよ。一目見たいんだよ。頼むよ」
意識が朦朧としているのか、あいつは右に左に前に後ろにゆらゆら揺れていた。そして今にも眠ってしまいそうな目をしている。首筋の傷を押さえている手の指と指の隙間から血がどんどん溢れ出てくる。
バッグからぬいぐるみを取り出す私の姿を見て、あいつは「ふぎゃあああああ!」と奇声を発した。立ったまま、あいつの顔の目の前にぬいぐるみを持っていく。
(しょうもない男───)
また声がした。
(しょもない男は殺せそれか自分を殺せ殺せ───)
あいつは笑ってるのか、泣いてるのかどっちとも取れる表情で固まっている。
五分くらいたった所でその表情のまま仰向けに倒れた。固まったまま動かない。たぶん死んだ。
モンスターをやっつけた。どこかの殺人犯みたいな事ツイッターに書き込もうとしてやめた。ださいことはしないほうがいい。
もうこれで安心して眠れる。悪夢を見なくていい。やっぱり来て良かった。そう思った。
シャワーを浴びた。ヨレヨレのトレーナーは脱ぎ捨てあいつの顔を隠すように死体にかけた。しまくらで買ったパーカーを着た。ぬいぐるみとナイフをバッグにしまった。
私は家を出た。もう振り返らない。振り返りたくもない。こんな家、私は捨てる。
さておじさんはいるかな?私の予想では九十パーセントの確率で逃げてる。どうせいない。期待してない。半分諦めてた。警察が待ち構えてたりして。
そんなことを考えながら横道から車を停めた道に出る。
いた!嘘でしょ!おじさん待っててくれたんだ!
私は車まで走った。運転席にちゃんとおじさんはいた。私は助手席に飛び乗った。
「お兄さんなんでいるの?警察行かなかったの?」
おじさんは私の方を見て苦笑いした。エンジンが掛かる。車が動き出す。
「お兄さんの家に連れていってくれる?」
「いいよ」
おじさんはただ一言だけそう言った。
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