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南利根町幼女誘拐殺人事件の犯人、高橋誠が住んでいた町営アパートは遺棄現場となった資材置場から、狭い農道を進んで、田園地帯を抜けた五分ほどの所にある。
被害者家族が住んでいた集落からも車であればすぐに着く場所だ。
農村地域というよりは住宅街のようになっていて、狭い区画に家が密集している。
大体が一戸建て住宅ではあるが、その中に外壁がクリーム色の二階建て長屋が二棟ある。一つの長屋に四世帯が入居できるようになっているこの無機質なアパートの一室に高橋は住んでいた。
外から見る限り、現在この町営アパートに入居しているのは二世帯しかないようだ。敷地には草が生い茂っている。
側を通った人たちに事件の話しを聞こうとしたが、三人に声を掛け、全員に断られてしまった。
高橋の名前を出すと皆あからさまに眉間に皺を寄せ、いかにも忌々しいといった表情をする。中には「そんなこといまさら調べて何になるんだ!迷惑だ!」と声を荒げる人もいた。
無理もないことだろう。
事件当時はマスコミが大勢この町営アパートに駆けつけたという。近所の人からすれば迷惑な話である。私のような作家もそういったマスコミと同じようなものなので煙たがるのも当然だ。
何より殺人、しかも幼い子供を殺害したともなれば、高橋という存在をタブー視する感情がより強力になるのも仕方ないというものだろう。
私は早々に、ここでの取材は諦めた。
その後、図書館に行き、南利根町の歴史や風俗について調べたが、特に今回の取材のヒントになるような物は見当たらなかった。
気づくとすっかり日は落ちていた。
このまま東京に戻るのも気が引ける。車の運転があるのでノンアルコールな物しか残念ながら飲めないが、私はこの町の居酒屋に寄ってみることにした。
昭和五十八年の事件の情報が得られなくても、別の怪談を蒐集出来ればそれでいいとの考えもあったのだ。
車を走らせ、役所周辺の、店が立ち並ぶ一帯へと行く。そこにあった地元密着型であろう小さな居酒屋に入ることにした。
店に入るとカウンターに座る常連客らしい年配の男性が二人と、店を切り盛りしてるであろう五、六十代の夫婦の姿があった。
私の姿を見て、夫婦の奥さんの方が「いらっしゃい」と元気に声をかけてくれた。
店はそれなりに広く、五人は座れるカウンターに、テーブル席も二卓あった。
マスターらしき男性もその奥さんらしき人もラフな、トレーナーにジーンズ姿だった。
私もカウンター席に通され、常連客二人から一席開けた場所に座らされた。
奥さんがお通しの柿の種を出しながら「南利根の人じゃないでしょ?関西からじゃない?ここへはお仕事で?」と聞いてきた。人を見る目が的確で凄い。
私は、昭和五十八年の事件について取材に来たと答えた。すると奥さんは「まだ調べてる人いるんだぁ」と、被害者家族が住んでいた集落で話しを聞いた女性とまったく同じ反応をした。
店を切り盛りするご夫婦は五十代だそうだ。事件の事は子供の頃のことだからとあまり詳しくはなさそうだ。
常連客らしき年配の男性二人は七十代で、事件当時のことはよく覚えいるとのことだが、被害者側とも加害者側とも特に接点はなく、新しく教えられる事は何もないという。
事件について収穫無しかと私は諦めかけた。だがしかし、ここから話しは急展開を見せる。
常連客のうちの一人の男性が奥さんに向かって「ほら。あのDさんっているじゃない?あの人なんか事件の関係者じゃなかったっけ?」と言った。
すると奥さんは「ん?Dさん?そうだそうだ!そうだったわよ!Dさん、犯人の息子と友達だったって言ってたわ」
奥さんからさらっと飛び出した言葉に私はノンアルコールビールを口から吹き出しそうになった。
なんと犯人の高橋には息子がいたというのだ。事件当時どのマスコミも報じていなかったことだ。しかもその息子と友達だったという人物と、この居酒屋にいる人達は知り合いだった。
なんという幸運だろう。
私は喜び勇んでそのDさんと連絡を取りたいと申し出た。すると奥さんが、Dさんに電話して店に来るようにと言ってあげると言いながら、携帯電話を取り出した。
数分後、通話を終えた奥さんによれば、Dさんはあと三十分後に店に来るという。果たしていったいどんな話が聞けるだろうか。
Dさんが来るまでの間、たわいもない話しを夫婦と常連客二人と交わす。だいぶ打ち解けてきたなという時、店のドアが開いた。四十代くらいのスーツ姿の男性の姿があった。
「いらっしゃいDさん。この人があんたに会いたいって言ってる作家さん」
そう言って奥さんが私を指差した。
Dさんは私の隣に座るとビールを注文した。すぐに瓶ビールとコップが出てくる。
「無理を言って来ていただいてありがとうございます」
私がそう言うとDさんは「いえいえ。こちらこそお会い出来て光栄です」と謙遜した。物腰の柔らかい人だった。
さっそくお話しを伺いたいのですがと私が言うと、Dさんは「なんでも聞いてくださいと」言って、手酌でコップに注いだビールを一気に飲み干した。
景気のいいスタートの合図であった。
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